観音院は信徒さんのご協力でとても立派な設備が出来ました

夜七時過ぎてお寺さんに枕経を依頼すると、機嫌が悪い寺院が増えたそうです。
会館ですれば、寺も楽だそうです。観音院は二十四時間対応です。率直に申し上 げて、立派に荘厳された寺の内陣で葬儀をするのと、設備の整っていない素人の 須弥壇で出張葬儀をするのは、葬儀執行が難しいと思います。正面に御本尊さま を奉安し、左右に金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅、燈篭を沢山荘厳し、み佛さまの 御許にご遺体を安置し、葬儀を執行すれば、納得する葬儀が可能です。会館と異なり 会葬者の混乱もありません。観音院では戒名料の話題はありません。「人身受け 難し」、人として生まれ、最期を迎えた人には最高の礼儀でお受けします。院号は 当たり前です。僧侶も布施の多少に関わらず最低三人でお出迎えします。納得が いく葬儀を執行してお送りしたいのは僧侶の責任です。観音院の立派な本堂を造ら れたのは皆さんです。葬儀にはご自分の寺を遠慮無くお使いください。観自在編集部

  
観音院は冷暖房完備です
    トイレもシャワレットです
 

 観音院には布施の相場は一切ありません。葬儀の布施を期待していませんし、式場料は皆さんのお寺ですから、当然無料です。御棺の費用やら霊柩車など葬儀社に支払われる費用は必要でが、低廉に協力してもらっています。

 葬儀社は川原さんの経営する「ファミリー葬祭」ですが、川原さんは、あちこちの葬儀を担当され、比較検討し観音院を菩提寺に選んだ信徒です。
  業者と言うより皆さんの同行です。何処の葬祭業者と比較しても大体三分の一の費用で済みます。月掛けをして居られた業者より低廉です。
  川原さんは観音院のボランティアとして良く手伝いをされています。
  私の考える葬儀は、義理の会葬者を廃した地味葬です。多くの葬儀は大きめに設定され、費用も高くなります。
  手抜きは一切ありません。格式高く丁重に執行します。
  ご焼香は、普通に使用される粗悪な五色香は用いず、純金より高価な伽羅を使用するのが普通のことです。
  毎日三座供養や祈願を執行している道場なので、引導の水準が高いのです。
  観音院の運営の主体は僧侶には無く信徒さんの運営です。護摩木一本も大半の寺院が一本五百円にされる中で、二百円を維持して来られました。    
  昔、観音院は一日二百万円から三百万円の浄財が上げられていました。
  私は一切の祈願料や供養料を全廃してもらいました。多額のお布施を勧める常勤役員は辞めて行かれました。
  寺には浄財目標があってはならないと考えたからです。寺の繁栄を考えて下さった役員さんですが、私は、壮大華麗な寺院には関心がありません。

ご葬儀は格式高く丁重に執行されます

  寺は予算決算で運営するのでは無く慈悲で運営すべきと決めました。
  私は観音院の役員でも何でもありませんが、祭祀を主宰する立場として、絶対に譲れないことがあります。
  信徒さんは、とても充実した立派な寺院を拵えて下さった。大切に維持するのが僧侶の責任です。これ以上勧進活動をすることの必要を認めません。
  慈悲の無い寺院は世間の迷惑、もし必要とされるなら何処でも、慈悲を求められる所に行く、私の原点です。
  特に葬儀は遺族が混乱し、ここに経済行為が持ち込まれると、遺族は言いなりの契約をしてしまいます。慈悲で葬儀を執行する僧侶には大切な役目があるのです。的確冷静に葬儀の規模を想定し、不必要な物を省き、後々信徒さんに感謝される葬儀を指揮してこそ僧侶の面目が保てます。経済的利益追求の業者の都合に従いたくありません。

 私は、世間のことや社会の仕組み、寺の在り方等について、深く深く考え、み佛さまの前に座して瞑想する習慣があります。もちろん、皆さんの「お願い」や「供養」も気が済むまでします。
  一週間や十日くらいは一睡もしないで、その間は食事を摂りません。トイレに立つと冷水で身を清めます。
  何か正しいことで、何が間違っていることか。正邪の問題から善悪。色々と正にみ佛さまと会話するように精神を集中します。それだけの精神集中が無いと、十善は勧められません。
  葬儀についても、法事についても、熱き祈りを捧げるには、自分の納得と覚りが大切になります。
  先般、葬祭会館で隣室の僧侶と遺族の会話が聞こえてきます。「院号は付けてもらえないか」僧侶は「要はお金を出しなさい」ということ。
  悲しい会話ですね。人が人として生まれて来ることは大変に有り難いことなのです。私は無条件で院号、居士・大姉の戒名を付けるのを当然としていて、何ら躊躇は有りません。
  観音院は皆さんのお寺です。そこに居る僧侶が金銭の多寡で戒名に上下を付けたりすることは許されません。 

鈴の法話(2)
慈悲の運営と利益追求の相違は
    寺は慈悲を拠り所として運営すべき
       利益追求の世間の企業を肯定しますが

  世間から大金を勧進して大伽藍を建立する、日本に限らず諸外国の大寺院も同じような例があります。
  その蔭には、仕方無く血涙を流した庶民の存在が存在すると思います。
  権力者の帰依による寺院の建立は、支配される人にとっては迷惑なことでは無かったかと容易に想像できます。
  多額の費用を掛ける葬儀社の営業も戦後のことです。毎月掛け金を掛けていても、提示される標準葬儀は百六十万円前後、それから掛け金を三十万円くらい引いてもらえます。喪主に同情するのが会社の営業方針です。続いて仏壇購入を勧めて、墓地購入の勧め、墓石の勧めと総額壱千万円に達する場合もあると聞いたことがあります。
  葬儀が少ないと嘆く僧侶は少なくないようです。お布施が少ないと怒りだす僧侶もいます。僧侶も葬儀関係者もすっかりと経済優先になりました。

 
  月参りは駐車禁止地区の拡大で無理になりました。観音院はそれに変えて毎日朝十時・正午・午後二時の法要を定例無休で執行することにしました。
  観音院は信徒さんの所有する寺で、僧侶の支配する寺ではありません。但し経済本位で運営されるとストップを掛ける指導力はあります。

■常勤監事の一人に引いてもらったのは、息子さん二人を観音院に入れ、給与を決め、かつ自分の家の家業として観音院を運営する、と仲良しの役員さんに漏らされたのが原因です。
  私や住職が、世襲制を廃止したのは相当な葛藤を乗り越えてのことです。
  子供さんを思うあまりの施入金増加計画はとんでもないことです。
  この問題は明朗化したということで過去の話ですから、これで終りです。
  ある意味では当然のことですから、非難してはならない問題です。
  寺の業務を仕事と思うか、生活の手段と考えるか、帰依の結果とするか、微妙なところですが、職業僧侶は断固として排除します。
  私は、観音院を霊性の高い、礼拝と慈悲のある寺として格調高く運営し、世間の迷惑とならぬよう注意深くありたいと願います。
▼従来の万倍ダルマさまはもお焚き上げが不可能になりました。お持ちの方は交換しませんので、大切にして下さい。新しく「万倍ダルマさまを印刷した紙の祈願箱」になります。熱祷してますのでご霊験に変わりはありません。
  もう一つ「一本うどん」も廃止になります。これは台所従事の方が食品衛生責任者資格を持たれる方が少なくなったことに原因があります。寺院として食中毒は絶対に起せません。
  地球の温暖化防止に協力するとか、ノロウイルスを蔓延させないとか、考えなければならないことが沢山あります。護摩壇には五馬力の給気・吸気排出を付けて二酸化炭素を減少するとか、参詣された方の楽しみに「福引」を残して置くとか、有名人や芸能人に来て貰って人集めは絶対にしないとか。
  信徒運営の寺ですから、唯々、信徒さんのことを第一に考えています。皆さんが安心してお参りしています。
  お寺に金額の付いた「お札」や数珠を置かないとか、寄付金の張り出しをして・競争の原理に基づいて寄付金を集めないとか、他所の寺院とは運営の異なることは多々あります。
  観音院でただ一つ誇れるところは、慈悲で運営することです。

観音院は信徒の皆さまのお寺です

  一番重点を置いているのは、僧侶の霊性を磨き上げること。礼拝瞑想によって、み佛さまと会話が出来るような水準の僧侶を養成することです。
  霊性を磨いていないと、供養しても故人の精霊がどうなるか、祈願を受けても成就しません。
  瞑想すると、信徒さんの願っておられる現状が観えるようになります。あまりこの話はしない。し過ぎると、皆さまは私を過度に期待されるようになる。それくらいで済まなくて嘘吐きにされかねない。
  私は、十善戒—-、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両
舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見を大切にしてるので、不妄語、不綺語に関わる話はしたく無いし、カリスマ性なんか有りません。
「霊性」とか「慈悲」と言うものは、善い師匠について、自然に身につくものです。教えることは不可能。住職の霊性や慈悲心が非常に高まりつつあることは私の希望の光。善い僧侶になっている。世の中にはマニュアルやテキストに出来ないことが沢山あります。
  七福を即生し、七難を即滅する力と、亡き人を確実に弔える力は、着実に備
わっている。
  必要なことは謙虚であり、遵法し、世間に幸せをもたらし、迷惑を掛けず、腐敗せず、奢らず、慎ましく、秩序ある観音院を育てあげ、人を差別せず、親切に、貧富に関わらず親切に、信徒さんの立場で考える大道を歩きたい。
  年末に当たり、ここまで育ててくださった信徒さんの皆さまに合掌九拝し、唯々、報恩謝徳の道を進むことを約束して、世に在りたい。
  十二月の厄除け法要、大晦日の年越、大般若転読法要、ご参詣下さる信徒さ
まに親切に応対することが大切です。
  信徒さまの悩み事相談を丁寧に聞き、命懸けで熱き祈りを捧げ、信徒さまと 喜怒哀楽を共にし、大難を小難に小難を無事にすること、それが私の目的であり、住職の目的です。
  決して悪をなさず、善事をなし、世のため人のためにに尽くすこと、それを観音院の旗印とします。

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