観音院の大般若転読

寅さん
今年も残りわずかになりましたが、ご隠居にはこの一年間いろいろお世話になり、ありがとうございました。ご隠居 寅さんに、改まってそんな挨拶をされると、すこしテレるが、ま、いいだろう。で、今日は何の話をすればよいのかな?
寅さん
観音院さんで、年末年始に大般若転読法要がありますが、いつも内陣にきまって飾られている佛画、あれは一体何で、また、どんな意味があるんです?
ご隠居
観音院さんの大般若転読(てんどく)は、特別、年末年始にかぎったことではなく、毎月の第一日曜日に転読法要が定例でおこなわれ続けている。
ただ、大晦日から元日にかけての大般若会(だいはんにゃえ)は、ことし一年の感謝と新年への期待と抱負、つまり厄年厄除(やくよけ)、身体健康、交通安全・家内安全など、家族の諸願成就(じょうじゅ)を年頭に、はやばやとお願いするということにある。
そして質問の佛画だが、大般若転読法要のさい、座の正面右に佛絵像の掛け軸が飾られる。「釈迦如来と十六善神」で、それは正面に釈尊、両脇に文殊と普賢の両菩薩、阿難、迦葉、つぎに常啼(じょうたい)法涌(ほうゆう)の諸尊、その左右に見るからに恐ろしげな形相の十六善神(じゅうろくぜんしん)がずらっと居流れている。また、その下のほうに玄弉(げんじょう)三蔵法師、それに塵沙大王という神とも人間ともつかぬ得体の知れない像が描かれている絵柄で、大般若転読のときはこの佛画を祀(まつ)っておこなうのが昔からの決まり事のようだな。
寅さん
なぜ大般若会のさい、その「十六善神」というものを描いた絵を祀(まつ)るんでしょう?
ご隠居
十六善神というのは、姿かたちは醜怪な夜叉(やしゃ)や鬼神(きじん)だけど、ひとたび佛(ほとけ)の教えを聴いて、すぐ改心し、善心をおこして三宝に帰依(きえ)した。
ことにこれらの善神たちは「般若」をこれから我々で大切にお守りします、という大誓願(せいがん)をおこしたので、以後、これらの神々を「般若守護の善神」とした、というわけだ。
大般若経のなかに次のような文章がある。

「かくのごとき十六神王は、おのおの七千の鬼神(きじん)をひきい、座より起って佛足(ぶっそく)を頂礼(ちょうらい)し、ほとけに申しあげていわく、世尊、今、この者たちは、ほとけの教えをお聞きし、一切の罪を滅して三途(さんず、火途・地獄道、刀途・餓鬼道、血途・畜生道)に堕ちることなく、佛種の芽を育てることになり、我ら神王もすでにみ佛の恩(めぐみ)をこうむりました」

これより佛法僧に帰命(きみょう)し、つねに三宝を擁護(ようご)いたします」

とな。

――般若波羅蜜のご利益――

寅さん
十六神王がそれぞれ七千の配下の鬼神をひきいていたということは、つごう十一万二千人の大集団になりますね。
ご隠居
その神王と多くの眷属がみな三宝の守護神となったわけだから、それらが発する神変不思議な妙力は大変なものがあるな。
また、文にいわく、
「もし、比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)および一切衆生、この法を受持(じゅじ)して、もし読み、もし誦じ、もし念じ、もし座禅する者あらば我ら神王およびもろもろの眷属(けんぞく)、その行くところにしたがってこれを護衛すべし」
云々。
また、つぎの文章には、般若を念ずる者たち、つまり私たち信者のことだが、これを守護する、という誓いが記されている。
「もし町の中、田舎の片隅、農村漁村において、この般若波羅蜜多の名を念ずる者あらば、我ら神王みなことごとく擁護する」
と。
そしてまた、
「一切時一切処(いつなんどき、また、どこであろうと)この般若波羅蜜多を念ずる者あらば、その者の身にふりかかる一切の凶事、災難を除き去る」
とある。
次は、般若の霊験を与えようという誓いが書かれている。
「もし、般若波羅蜜多の験(しるし)を得たいと欲する者あれば、我ら神王は、その者の願いを聞き届けかなえよう」
云々。
次は、ほとけが、これら十六善神をおほめになって、その誓願を許可され、あわせて修行の法などを説き示された文章がつづく。
「そのとき、ほとけが十六の善神を褒めていわれた。善哉善哉(よいかなよいかな)、汝ら神王、未来世のもろもろの衆生のために修行の法を説け。そして般若波羅蜜多を奉ずる者のためにこれを護衛せよ。そのとき、神王らは言った。
だれであろうと、かりにもこの般若波羅蜜多の功徳、陀羅尼成就自在の威力のことわりを信ずる者は、すでに我ら十六神がその求めに応じて守っている。
汝ら、この法によってよく結束し、道場を建て、壇法(だんほう)をおこない、もろもろの利益を求めれば、四方何事もなくして災禍を免れ、病苦を除く」
云々。
次に、
「般若波羅蜜多の法要には二十一種類の供具(くぐ)を設け、至心(ししん)に供養すれば、一切衆生が遠い過去よりかぎりなく積み重ねてきたもろもろの罪を消滅し、現在切望するところの願いをかなえるであろう」
と。
寅さん
二十一種類の供養の供具(くぐ)というのは?
ご隠居
一つ一つとても覚えきれるものではないので省略するが、その文章にただし書きがある。それには、もし、二十一種類すべて供えることができなければ、五種で済ませてもよい。その五種とは、一に香水(こうずい)、二に花々、三に焼香(しょうこう)、四に飲食(おんじき)、五に灯明(とうみょう)で、以上の五種を供えて大慈心をおこし、一切衆生をあわれみ思いやり、諸佛を供養すれば、うたがいなく験(しるし)を得るであろう、と書かれている。
このようにみてくると、十六善神は、その大勢の配下である眷属(けんぞく)とともにお釈迦様の弟子となり、まさしく般若波羅蜜多の守護神となったのはまずまちがいないだろう。
――お大師さまのお土産――
寅さん
その十六善神には、たとえばどんな名前があります?
ご隠居
もともと天竺(古代インド)の神々だから、我々にはあまり馴染みのない神様だな。
たとえば提頭頼咤(ダイズラダ)禁毘魯(キンピロ)、跋折魯(バゾロ)神王といったあんばいで、おぼえようとすると頭が痛くなる。
というわけで、以上は般若波羅蜜多大心経の中から文章を抜粋したものだ。
寅さん
この十六善神の絵が、大般若転読法要に用いられるようになったのは、いつごろからなんでしょうか?
ご隠居
古い記録によると、南天竺からはるばる唐へ行かれた金剛智三蔵が、当時、帝位にあった玄宗皇帝の命によって、現在伝えられているような構図の佛画を作成されたという伝承がある。
日本では同じ時期、元正女帝の養老三年にあたり、「日本書紀」が完成するわずか一年前ということになる。それから約八十年後に、お大師さまが唐に渡られ(八〇四年)、真言密教とともにこの十六善神の佛画を日本へ初めてお持ち帰りになった、と聞いている。
寅さん
へえ、十六善神はお大師さまの唐土産だったんですか。
ご隠居
観音院さんの大般若転読法要では、必ずこの佛画が祀(まつ)られているから、寅さんも参拝して拝見させてもらうとよい。
十六の善神(ぜんしん)が佛教の般若を守護するため、手に手に太刀や独鈷(どっこ)弓矢や斧や宝棒など、いろんなものを持って我々を災禍(さいか)から守ろうと身構えておられる。
寅さん
それはまた心強い。
ご隠居
この十六善神を、薬師如来の眷属の十二神将(じゅうにしんしょう)に、四天王(してんのう)を加えた十六神ではないか、といった説もあるようだが、それはどうもちがうようだな。
寅さん
四天王とは?
ご隠居
四天王は、東西南北四方の佛法を守る四人の神だ。東を持国天(じこくてん)、西を広目天(こうもくてん)、南を増長天(ぞうちょうてん)、北を多聞天(たもんてん)が、佛法の敵から守っており、帝釈天の部下だな。
寅さん
この佛画に描かれている十六善神以外のほとけさま方は、どんな方々でしたっけ?
ご隠居
正面に般若会(はんにゃえ)の教主であるお釈迦様、両脇に文殊、普賢の両菩薩、そして佛弟子の阿難と迦葉尊者、さらに常啼菩薩と法涌菩薩。
寅さん
そのお二人は、どういう菩薩さまです?
ご隠居
常啼菩薩は、一切衆生を利益するために難行苦行をして功徳を積まれ、般若を求められた菩薩だ。また、法涌菩薩も、常啼菩薩と同じように厳しい修行のあげく、ついに般若を得られたということが大般若経に書かれている。
――三蔵法師と塵沙大王――
ご隠居
おもしろいのは、佛画の下のほうに描かれている玄奘三蔵と塵沙大王(じんじゃだいおう)の故事だな。
寅さん
どんな話です?
ご隠居
「因縁集」という書物によるとこうだ。
唐の玄奘三蔵が三十四歳のときはるばる天竺まで行かれて、十七年間佛教を学ばれた。
そして、ここからがどことなくあの「西遊記」の物語を連想させるのだが、三蔵法師が、大般若経など経典三百五十七部をたずさえて帰国されるその途中、河の辺で一人の鬼神に遇われた。
見ると、鬼神は首元にペンダントのようにして髑髏(しゃりこうべ)をぶらさげている。三蔵法師が怪しんで聞いた。
「汝は、いかなる神か? また、なにゆえ帰路を急ぐ私の前に現れたのか?」
すると、鬼神が言った。
「私はこの河に棲む蛇神ですが、私の眷属はこの辺に塵(ちり)と砂ほどたくさんいますので、我が名を塵沙大王と申しております。
ところで、法師は前世より代々高僧であられて、佛法を求め、衆生を利益(りやく)するため天竺(てんじく・インド)に行かれることすでに六世に及んでおります。そして、いま法師がたずさえておいでのごとき数多くの経典類を奪うため、我らはそのつどここで待ち伏せ、法師のご一行が河の中ほどに差しかかったところを見澄まして、暴風を起こし、激浪により船を転覆させて経典を横取りしてまいりました。
そんな悪事を代々六世にわたっておこない、法師もこのために命を落とされること、また六世に及んでおります。私の首に掛けているこの髑髏(どくろ)も実は法師の六世にわたる髑髏なのです。
したがって、いま、法師とこうしてお会いするのは数えて七度目になるわけですが、拝見すると法師は従前どおり、いや、むしろ以前にも増して数多くの般若を請来(しょうらい)しておられる。
私は、今はじめて佛法に寄せる法師の心情の熱さに思いいたり、六世もの長いあいだ法師の悲願をさまたげつづけた大罪を衷心より後悔しております。おねがいです。どうか、慈悲をもって私をあわれみ、大般若の功徳力を—-」
と泣いて、前非を心から悔いた。
「善哉善哉(よいかなよいかな)汝のいまの懺悔(さんげ)によって、汝がこれまで代々かさねてきた罪障は消滅した。
これより以後、汝は眷属たちと力をあわせて佛法の弘通(ぐつうと、衆生済度にこころをいたせ」
と、三蔵法師は、所持していた大般若経を取り出して、塵沙大王の頭上に頂かせられた。こうべを低くたれ、恭しく法師の言葉に耳を傾けていた塵沙大王がいう。
「これからは般若経の置かれている場所、百由旬(ゆじゅん・梵語で由旬那の略。距離の単位で、四十里、三十里、十六里など諸説がある。なお一里は六町)の範囲内にかぎり、身をもって災禍(さいか)からの事態を防ぎ守ります。
また、日頃より般若を敬い信じる人に対しては、現在から未来にいたるまで、いついかなる場合もその願いが叶うよう援護するでありましょう」
と、固く三蔵法師に誓約したあと、やがて流沙河の中へ帰っていった、という話だな。
つまり般若経は、玄弉三蔵法師によって中国に伝えられ、塵沙大王という河の蛇神が「般若波羅蜜多」の守護神となった因縁(いんねん)いきさつを図に描いて後世に伝えたものである、とまあ、こういうわけだ。
寅さん
それにしても、その絵をお大師さまが唐から日本へ持って帰られ、それを今なお大般若転読法要のさい使われているというのは、凄いことですね。
ご隠居
そういうことだから、寅さんも、こうして迎えた新世紀の一年目がよい年でありますよう、観音院さんの大般若転読法要でよくよくお祈りしておくとよいな。
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