観音院の今日在るは皆さまのおかげ、ご恩報謝は大切なことだと考えます

■今から四十年前は観音院は檀家二百四十六戸の小さな寺でした。
鈴之僧正が住職となられたのは、先々住の恵俊僧正が体調を崩され
たからです。
▼先住(せんじゅう)の鈴之僧正は大胆な方で、檀家様に大変に心配
を掛けたそうです。それまでは、寺は殆ど地元の町内会で管理され
ているような状態だったそうです。

■鈴を腰に二個付けて所在を示し、噂話、悪口、批判などを嫌悪され、
ご自身も堅く行動を律して強烈な建前で日常を過ごされ、納得出来
ない事には妥協せず、檀家の月参りも一切せず、大蔵経に埋もれて
日々を過ごされていました。
▼こんな住職は不要だと、排斥も受けておられました。先住は檀家
制度を否定し、「信徒中心」に物事を考えておられたようです。

■金銭感覚が無く、貧しさに耐えれる方ですから、収入が無いこと
など気にもされません。 
■宗旨宗派を問わず、困難な人の救済には献身的でした。
▼教えを説くことに熱心で、現在の観音院の幹部は私を始めとして
救済された者ばかりです。
■信徒数は三年くらいで十倍、それからは倍々で増加しました。

▼寺院規則を改定され、経理の公開、世襲制の廃止、強烈な権限を
持つ常勤監事の設置、本堂庫裏の立替、そして五十二歳で引退。

■突然に住職にされた私は盛大な晋山式(しんざんしき)の中で何も
考えていなかったと思います。
■先住は何時の間にか鈴之僧正と世間から呼称され、ご覧の通りの
観音院に成りました。そして、寺の運営を金銭から切り離して考え
ることが御恩報謝だと決められて今日が在ります。

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