衆議院選挙民主党が地滑り的大勝しました

「全てに愛を」と私も説きますが、これがLOVEではないことは皆さんも既にご承知のことですね。フランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の「博愛=フラタナティ(fraternite)」。この博愛を「友愛」と訳して、鳩山さんもお坊さんみたいなことを言い出した。

 「全てに愛を 光と祈り」は私のキャッチフレーズです。「いたわり、慈しみ、思いやり、相手の立場で考える」。もしかしたら鳩山さも言い出すかも知れない。

 宗教的立場の言葉は、僧侶の心得です。悩み事困り事の相談ならやれますが、どうも鳩山さんは補正予算でもやるらしい。私のスローガンで金銭の給付を伴うと直ちに経済的に破綻してしまいますし、平等は担保できません。これがやれるなら鳩山由紀夫さんは坊さんに成られた方が適切ですよ。
観自在編集部

平家物語の冒頭を地で行ってる
安保条約の米国は腰を抜かしそう

 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし。自民党と同時に、民主党にも贈る言葉です。

 それにしても、自民党の破綻壊滅的敗退は推測されていたことです。

 私は期日前投票に沢山の人を運びました。たがら、有権者と意向はとても良く存じていました。衆参ともに敗退した自民党、都議選も敗退でしたね。

 この傾向が地方の選挙に影響することを強く憂慮しています。

 国会議員クラスでは人間関係にあまり大きな変化は起きないでしょう。

 ですが、市会県会などでは人間関係と密接に関係します。風向きは候補者自身が持っておられる感覚よりは大きな影響があります。

 県会議員さんや市会議員さんには、徹底した「溝板選挙運動」をしてもらいたいと願います。都選みたいなことになりますと人間関係が崩れます。

 皆さんも民主党に何もかも委任した訳ではありません。運転仮免許を与えて、まぁ任してみるかくらいの割合に軽い投票行動でした。

 リーマンショック以来の不況、中小企業の破綻、失業率の推移などは、金融資本主義の破綻が原因でした。

 外需依存から内需依存が言われていますが、これは無理な話です。

 日本人の「勤労意欲は低くなりつつあり、忍耐力も、責任感も低くなった」とよく聞きます。

 これらの環境の中で、企業を運営することは容易ではありません。

 かてて加えて、働く人は何が出来るかとスキルアップの傾向も薄れつつあります。学ぶ、修業する、ご恩を感じるというような素朴な人間性も失われつつあります。上司も面倒の見甲斐が無くなりました。

 このたびは、新人当選者たちも失言も無く、一様に謙虚で、慎重に行動するよう「お達し」が出て居ることは、間違い有りません。

 そして、社民党や国民新党と連立の磨り合わせは、分かりきった相違を、妥協し合う、譲り合うのですから、これは国民にとっては理解が難しいです。

 安保条約の相手国である米国の動揺も大きいようです。予想していたにも関わらず、大物政治家が来日していますが、後手後手です。

 日本の色々な団体は会長に政治家を据える傾向があります。どちら様も大混乱です。さりとて突然民主党の人が単純には引き受けられないでしょう。

 著名な政治家が役員に就任すると、お金が集め易いですから、持ちつ持たれつの関係が出来上がったのでしょう。あるいは、それなりの成り行きがあった場合も考えられます。

 景気は世界的環境で動きます。民主党さんの努力くらいでは左右出来ません。好転すれば幸運です。

 政権交代は投票行為で政治は変えられることを国民は学習しました。

 民主党のマニフェストは魅力的ですね。これを実現するには大変な痛みも覚悟しておくのが国民の有るべき姿勢ですが、自分に都合の良いように解釈するのが普通の国民です。

 民主党が金持ちで国民を甘やかしてくれるのでは有りません。税金の使い方を決めるだけです。付けは、そのまま国民に回って来ます。

 何はともあれ、私自身は「後期高齢者」を返上できるのは有り難い事です。

 十六日には鳩山さんが総理になられ、人事を発表されます。これで、色々なことが理解出来ます。続いて霞ヶ関の面従腹背の官僚をコントロールなされますか大変でしょうね。

 民主党の成人年齢十八歳引き下げは当然のことです。衆議院比例議席定数を八十議席削減も良いですね。これには社会党は賛成出来ません。

 民主党は経済再生を軌道に乗せつつ、後世代に過大なツケを残さず、持続可能な財政を創るために、平成十七年夏(平成十八年度予算編成開始)までに、十年~十五年をめどとして実質的な借金増をストップさせることをめざした「財政再建プラン」を策定されるそうですが、民主党はどうして借金の増加をストップするのか示していません。

 子供手当て大賛成です。消費税の据え置きも嬉しいです。高速道路の無料化は何だか大変に感じます。ガソリン税廃止も燃料が安くなるなら、取り敢えず嬉しいことです。世の中が変ったから民主党は大勝しました。民主党が世の中を変えたのではありません。

 いろいろな「変革」が起こりそうですが、「倫理道徳の復興」も考えて欲しいことの一つです。昔に評価されていた日本人の「勤勉さ」も取り戻して欲しいです。

 政権も変った、世の中も変った、だけど、この変化に付いて行けない人の救済を考えるのも政治家の役割です。

 色々と良い事が有りそうですね、でも、決して政治に甘える事無く、コツコツ働いて、勤勉に働き、貯蓄して、自分の老後は自分で支えるような気構えが大切だと思います。

奈良県の御所市の奥のほうに廃寺になりかけたお寺がありまして。本尊様にお不動さまが祭られていました。

 過疎地化が起きる頃の最初の頃の話です。小さなお堂にお不動さまが祭ってありまして
、本堂は傾き屋根は苔や草が生えている状態、信徒さんが十世帯くらい、和尚さんは八十歳を過ぎて居られました。

私も先代住職が遷化されて間もなくその寺を紹介されて行きました。

 標高三百メートルくらいの位置にあるお寺、川に面して二間四面くらいの小さなお堂、修復も出来ない程に傷んでおりました。本堂の裏に六畳と台所に便所があり、風呂は有りません。

 加えて住職さんは体調が悪い、信徒さんの息子さんが観音院を知っておられて面倒を見て欲しいと言われて案内されてやって来ました。車も通らぬ山道で行くのも大変でした。

 毎月の和尚さんのお布施も護持する信徒さんにはご負担だと言うことで、先代が遷化されて、間もない頃でしたから、大変に同情して、生活費は私が何とかしますと世話人さんたちに約束しました。お不動さんを掃除して、泊まって行くよう世話人さんから随分と丁寧に頼まれたのですが、翌日所要があり、帰ることにしました。

 それから毎月五万円をお送りし、数ヶ月が経ったころ、病院から電話が有りまして和尚さんが遷化されたとの事、取るものも取り敢えず飛んで生きました。民家で信徒さん二十人くらいと葬儀を済ませました。

 それからが大変、お寺は明治ころに建立されたそうですが、関連寺院も不明、時に近くのお寺さんにお布施を出して拝んで貰っていたそうですが、そこに先のお坊さんが住み着いて半農で生活して居られたそうです。

 信徒さんたちの話では、もう寺の再建も無理、観音院さんでお不動さまを引き取って拝んで欲しいと言う話です。

 少し考えさせて下さいと、夜十時頃帰途に着きましたら、空が曇って雨が土砂降り、川筋の水がごうごうと音を立てて流れる、街頭電気も一基も無く、懐中電灯も切れて真っ暗闇、自分の掌も見えない、真っ暗闇とはそんなものです。正に立ち往生です。

 這うようにして川に落ちないように歩いていると、真っ暗闇にぼんやりと燐光に包まれたお不動さまが見えるのです。その後ろに付いて四時間ばかり、着いたのは元の荒れ寺。川の下流に向けて歩いていたのが、元の場所に辿りつくなんて、考えられません。

 この時に蝋燭の明かりをつけて、世話人さんの拵えて下さった饂飩を食べながら、考えました。このお不動さんと私には「ご縁」があるのだと。

 で、お不動さんを引き受けて、信徒さんたちに見送られて軽自動車にお不動さまを載せて観音院に向かいました。

 観音院の二階にお祭りすると、昔から居られたように座りが良いのです。

 その後、その部落は絶えました。でも当時の信徒さんのお子達がお参りに時々奈良から来られます。

 御所市は、奈良県の大和平野の西南部に位置し、西部に金剛山・葛城山が峰を連ね、東南部の丘陵地から平地の広がる緑豊かな自然に囲まれた田園都市です。県都奈良市へは約二十五キロメートル、大阪の都心部へは約三十キロメートルという距離にあり、交通網では関西国際空港へ国道三百九号「水越トンネル」が便利です。今は随分と便利になりました。

 付近には有名社寺も多く、このお不動さまも、その何処かと関係があるかも知れないと思うこともあります。

 このお不動さまには別名「金くれる不動」の異名があります。

 私はこのお不動さまを拝んでいた庵主さんに毎月生活費を送ってましたから、「金くれる不動」とは私の事かも知れません。そのような事はどうでも良い事ですね。

 私にとっては、真夜中、真っ暗闇の中で、燐光を放ちながら道案内をして貰った不思議な宗教体験が得られました。こんなことは有りません。あっても普通は信じられません。私は怪異や奇跡を説く僧侶ではないですから、どうでも良い事ですが一度は経緯を説明して置く義務が有ると思います。

 一所懸命に礼拝していると、色々なみ仏さまが寄って来られます。

 私の応接には、香薬師の立像が御座います。阿弥陀如来座像もおまつりして御座います。阿修羅神の素晴らしい立像、守っていて下さいます。純金の虚空蔵菩薩さまもおられます。

 このような事を、僧侶の幸せと言うのかも知れませんね。

▼十月十一日の日曜日午前十一時から例年通り「燈籠供養」を執行致す予定になっております。

 この法要は燈籠をご喜捨された方々の特別な法要です。

 現代のような渾沌とした世の中にありまして、高価な燈籠をご喜捨して下された事は誠に奇特殊勝なお徳を積まれた皆さまで御座います。

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