虚空蔵菩薩さま

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)さまは、丑寅歳の守本尊として、芸術・工芸のみ仏さまとして広く信仰されております。
 私(浄寛)は寅歳生まれで、音楽関係の仕事に携わってきましたので、若い頃より虚空蔵菩薩を信仰し、自家のご仏壇には菩薩さまをお祀(まつ)りし、日々礼拝(らいはい)しております。
 以前、広島観音院に出仕させて頂いた際のことですが、お内陣の、金剛界曼荼羅の御前で、お灯明を一対お上げして、理趣経をお唱えさせて頂いておりますと、虚空に満る菩薩さまの慈悲の光を感じるような、有り難い体験をしました。
後述しますが、若かりしお大師さまのご修行のお姿が目に浮かび、お大師さまと読経しているような悦びを感じさせて頂きました。

 今昔物語(十二世紀前半)に、ある若い僧侶のお話があります。
 僧侶は学問の志があり、虚空蔵菩薩さまに学問大成のご祈願をしておりましたが、お願いするだけで、遊び戯れる日々を過ごしておりました。しかし遊び戯れ学問を行わない自分自身の不甲斐無さは自覚しておりました。
 ある日虚空蔵菩薩さまのお参りを終え帰寺の道中、日が暮れたので知己の者の家に泊めてもらおうと歩いていると、とても豪勢な門構えの家がありました。僧侶は事情を話し一晩泊めてもらうことになりました。夜分部屋を出てふと見ると、ある部屋で蝋燭の灯で本を読んでいるとても美しい女性がおりました。僧侶は一目で女性に魅せられてしまいました。僧侶は前世の定めによって女性と出会うことになったのだろうと想い、家人が寝静まったころ、女性の部屋に忍び込みました。女性は驚きましたが、落ち着いた声で、「お坊さまはお経をそらでお読みになれますか」と聞きました。僧侶は、「お経は学びましたが、そらでは読めません」と答えました。すると女性は「お経がそらで読めるようになったらまたいらして下さい」といいました。
 僧侶は寺に帰り一生懸命お経を覚え、二十日間ほどでそらで読めるようになりました。僧侶は前回と同じく虚空蔵菩薩さまのお参りの帰りに女性の家によりました。
女性にお経をそらで読めるようになったと話すと、女性は、「お経をそらで読めるだけで得意になるような方の妻にはなれません、三年間お山に篭り立派な学僧になってからおこし下さい」と僧侶を帰しました。
 それから三年間、僧侶は女性に会いたい一心で学問に励み、名声がとどろく学僧となりました。そして三年ぶりに女性に会いに虚空蔵菩薩さまのお参りのあとにまいりました。女性はたいそう喜び、その夜二人は手をつなぎながら話をし過ごしていましたが、僧侶は疲れからか寝入ってしまいました。
どのくらい経ったのかふと僧侶が目を覚ますと、まったく人気のない野原に横になっておりました。恐ろしさに僧侶は虚空蔵菩薩さまのお堂に逃げ込み、おたすけ下さいと拝んでいるうちにまた寝入ってしまいました。
 夢の中に虚空蔵菩薩さまが出られ、今夜騙されたのは悪霊のしわざではない、本来は聡明であるのに遊び戯れ、学問をしないのに、私のところに参り、どうか学問ができますようにと祈るので、思案をし女性に身を変え、学問をするように勧めたのだ。何も恐れることはない、寺に帰り学問に励みなさいとおっしゃられました。
 目が覚めた僧侶は、女性に身を変えてまで、導いて下さった虚空蔵菩薩さまに感謝し、これまでの愚かさを悔い、一層学問に励み、立派な学僧になったとのことです。
 虚空蔵菩薩さまは、大日如来さまの福と智の二徳をつかさどっている菩薩さまといわれております。
虚空蔵とは文字通り「虚空を蔵する」の意で、広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った仏、という意味で、胎蔵界曼荼羅「虚空蔵院」の主尊であります。
 今昔物語のように「智恵を授かる仏さま」として人々の信仰をあつめております。虚空蔵菩薩さまの二徳を「福威智満」という言葉で説明されておりますが、外は福分があっても、内に智恵がなければならず、内に智恵があっても外に福分なければならない。福と智の二徳を兼ね備えて威徳があらわれ、尊敬を受ける人物になる—-。
虚空蔵菩薩さまを信仰すると二徳が得られるといわれております。
 虚空蔵菩薩さまといえば、若き日のお大師さまの修行時代のご様子が想い出されます。
 奈良の都の大学は修身斉家治国平天下(天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。)を基本とする儒教を学ぶのが中心でした。さらに高きものを求めて中退されたお大師さまは、仏法を求め師僧を探されていたところ、勤操大徳に巡り会いました。勤操大徳はお大師さまの仏縁を見抜かれ「虚空蔵求聞持の法」をお授けになられたといわれます。
 「虚空蔵求聞持の法」は虚空蔵菩薩さまを本尊とし、印を結び、ご真言(観音院常用経典まことの道二十四ページ)を百万遍お称えする行で、五十日や百日などの間に修する過酷な行法であります。
 お大師さまは著書「三教指帰」に、「阿国大竜ヶ嶽に登りよじ、土州室戸崎に勤念す」と書かれ、阿波の国大竜ヶ嶽や土佐の室戸岬にて修行されたことを述べられております。虚空蔵求聞持の法行満の日を室戸岬で迎えられるのですが、その時、夜明けの明星がお大師さまの口中に入ったといわれております。お大師さまは出家得度の前行であるとおっしゃられると思いますが、六年間山中で苦行され、菩提樹の下で宇宙の真理と仏の道を覚られたお釈迦さまとあまりにも似ているのではと、お大師さまを信仰する方々はお想いになることと存じます。
 お大師さま三教指帰にて虚空蔵求聞持の法の功徳を、「法に依って此の真言百万遍を誦すれば、一切の教法の文義を暗記する事を得」、「若し能く常にこの陀羅尼を誦する者は、無始より来たる五無間等の一切罪障は悉く消滅す」とお書きになられております。
 虚空蔵菩薩さまは、お子さまの「十三参り」の守り本尊さまでございます。十三歳になった男子女子のご守護を願います。
 観音院ではご本堂の金剛界曼荼羅前に「虚空蔵菩薩さま」をおまつりしております。三十cmほどの華麗なお厨子におまつりされている純金仏で、観音院の秘仏とされていますが、ご法要時に皆さまにお参り頂いております。毎月十三日がご縁日で学業成就をご祈念になっておられます。

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