十方諸佛と大日如来

寅さん
まもなく四月八日、お釈迦さま(紀元前四六三ー三八三?)がお生まれになった「花まつり」ですが、私は以前からずっと疑問に思っていたことがあります。
ご隠居
ほほう、何かな?
寅さん
佛教には、お釈迦さまのほかに、いろんな佛菩薩がおいでになる。それは何故なのでしょうか? 私の考えでは、ほとけさまはいっそのことお釈迦さまお一人に決めて、その釈尊を念ずることにしたほうが、よほどすっきりと気持ちの整理がつくと思うんですが、いかがなもので?
ご隠居
たしかに、「佛教の大海には、信をもって能入(のうにゅう)する」とあり、信ずることによって往生が定まるならば、一佛を念ずるだけで十分だ。
ことさらに種々様々な佛菩薩を念じて、純一な佛教に対する信心の濃度を薄めることはない、というのが寅さんの意見のようだが、はたしてそうだろうか?
佛教は、お釈迦さま一人でお説きになったもので、そのほかどの佛菩薩の意見も介入してはいない。
なぜなら、釈尊以前、人々は一佛一菩薩のお名前さえも知ることはなかった。
いま、私たちが存じあげている佛・菩薩は、すべてお釈迦さまの説法(せっぽう)によって紹介され、その広大な功徳(くどく)を我々が知ったわけだから、それらの諸佛諸菩薩はすべからく釈尊の分身といって差し支えない。
だからお釈迦さまのことを、千百億の化身(けしん)ともいう。したがって、いかなる如来菩薩の名号(みょうごう)があろうとも、佛法の教主はお釈迦さまであり、たとえどの佛菩薩を念じようとも、信心は、ぜんぶ釈尊一佛に帰するというものだ。
寅さん
なるほど、言われてみればその通りですね。
ご隠居
元来、佛教のありがたさは、すこし俗っぽくいうと、病に応じて薬を与える「応病与薬(おうびょうよやく)」、そういう痒いところに手のとどく即効性にあるとされている。
それゆえ病気の種類が多ければ多いほど、薬の数も多くなければならないし医師もまた、内科や外科など専門のお医者さんがいて、処方する薬も千差万別だ。単純に一種類の薬を服用して、それで身体が良くなるものではない。
――法身、報身、応身――
ご隠居
比喩(ひゆ)が、あるいは適切でないかもしれないが、たとえば、人間が飢えを凌(しの)ぐのに、ただ、ありあわせの物をなんでもお腹いっぱい食べてればよいか、というと、そういうわけにはゆかない。
衣服は、寒暖を凌(しの)ぐためにだけ何か身にまとえばそれで済むだろうか? 住まいにしても同じく、雨露を凌ぎさえすれば、掘っ建て小屋でかまわないだろうか?
そんなわけにはゆかない。
人間は、できれば御馳走を食べたいし、みなりを飾っておしゃれもしてみたい。すばらしい家に住んで快適な暮らしを楽しみたい。
それが人情というものだ。
このように私たちの実生活にもいろいろ暮らしのパターンがあるように、信仰の世界にも、それぞれの環境や各人の心のあり方などに応じて、自らが信じ、心に念ずる佛なり菩薩があってもよいのではないか。お釈迦さまは、私たち衆生のそういった気持ちをお考えになったうえで、それまで人々がまったく知らなかった佛界のあることを教えしめされたのだ。
そして衆生(しゅじょう)一人一人の能力に応じ、数多くの法門を開示(かいじ)された。
法門がたくさんあるから、佛菩薩がたくさんおいでになるのは当たり前だ。
しかし、さっきも言ったように、それらの佛菩薩は、すべて釈尊一佛に帰納(きのう・寄せ集める)せられ、一佛ではあるけれども、これを演繹(えんえき・意味を押し広めること)すれば、また多佛になるのは道理ではないか。
寅さん
すると、私たち真言宗の大日如来さまは、どういった立場にいらっしゃるんです?
ご隠居
そもそも佛に法身、報身応身の三身があるとされているがその三身はほんらい別々ではない。
三身は即一身にして、一身はすなわち三身でもある。
お釈迦さまは応身(おうじん)でありながら法身(ほっしん)と報身の二身もその身に兼ね備えていらっしゃる。法身とは理体、つまり真理そのものであり、報身とは衆生の願いにむくいる智相なのだ。この理智が深く溶け合って、すべてを満たす佛身となる。
お釈迦さまは、そういった果満(かまん)の佛身にましますゆえに、たとえば、法身である大日如来のお姿で大日経を説かれたり、あるいはまた、報身の阿弥陀如来に相を現じて阿弥陀経を説かれたりされるわけだ。
そして、応身のお釈迦さまは、時として我々の住むこの世に出現されることがあるが、久遠(くおん)の釈迦如来は、はるかな昔より、寂光浄土に安住しておいでになる。
このように法身久遠の釈尊も、応身にして、その存在を実感として感じることのできる釈尊も、ほんらいは同じお釈迦さまなのだが、衆生の心のなかに備わったほとけの教えに応(こた)える能力の差によって、あたかも二身の釈尊が存在するように思われることがないでもない。
が、しかし、諸佛はあくまでも平等であること、また、多佛と一佛は同義であることをわれわれはよくよく理解する必要があると思うな。
――十方諸佛と大日如来――
寅さん
ご隠居の話だと、お釈迦さまも大日如来も同じ、ということになりませんか?
ご隠居
釈尊と大日如来と、どれほどの差別、違いがあるか、ということから説明する必要があるようだな。
佛の法・報・応の三身のうち、顕教の法身は、真如法性(しんにょほっしょう)の妙体を法身(ほっしん)といい、密教では、地水火風空識の六大を法身という。そしてわが真言宗はこの法身に大日如来という尊号を付し、またの名を大日毘盧遮那佛(びるしゃなぶつ)とも、遍一切処(へんいっさいしょ)ともいう。
六大も真如も、ともにこの宇宙に隙間なく満ちあふれているからだ。そして大日というのは、太陽が万物をすみずみまで照らすように、あまねくどこまでも光りが届く情景だ。したがって、これという物体がどこかに存在している、といったわけのものではない。
この天地そのままが大日如来の佛体であり、この大自然の営みそのものが、大日如来の佛心でもある。それゆえに、一切衆生の心のなかにも一個の大日如来がおいでになる。これを自性天真佛という場合もある。
つまり、私たちの身体じたいが六大法身であるから、龍樹(りゅうじゅ)祖師が申されたごとく、「もし、人が菩提心をおこし、佛慧に通達すれば父母所生(しょしょう)の身に、速やかに大覚位を証す」るのである。
したがって真言宗では、人は死んでのちに未来の成佛をうんぬんするのではなく、この身がそのままほとけに成る、ということであるから、即身成佛(そくしんじょうぶつ)が真言宗の宗義となっている。しかし、即身成佛は、口で言うのはたやすいけれども、真に加持顕得の位にまで達することはなかなか容易ではないとされる。
また、いわゆる報身というのは果報の佛身ということであって、菩薩が修行によって五十二位の段階を践(ふ)み、ようやく成道作佛(じょうどうさぶつ・悟りをひらいてほとけになる)の大覚位を証得し、その顕得した果佛が大日如来であるから、成道された十方諸佛は、すべて大日如来であらせられるわけだ。
――密厳浄土(みつごんじょうど)――
ご隠居
そして大日如来が、その本地法身の法界体性智に住まわれるのを、自受用三昧(ざんまい)、自受用法身と申し上げる。また、大日如来が、大円鏡智(だいえんきょうち)の三昧に住(じゅう)せられるのを阿閃(あしゅく)如来といい、平等性智(びょうどうしょうち)の三昧に住せられるのを宝生(ほうしょう)如来、妙観察智(みょうかんざっち)に住せられるのを阿弥陀如来、成所作智(じょうしょさち)三昧に住せられるのを不空成就(ふくうじょうじゅ)如来といい、これらを他受用報身と申し上げる。
したがって十方の諸佛如来は、いずれも大日毘廬遮那佛の分身というわけだ。
つまり、大日如来は理佛であり、阿弥陀如来や薬師如来など因果応報(いんがおうほう)の報身は智佛であって、この理佛と智佛とが合体して、世間に応化(おうげ・佛が衆生を救うためにいろんな姿を変えてこの世に現れる)されたのが応身のお釈迦さまだ。
だからお釈迦さま主体に考えると、十方諸佛はすべて釈尊の分身であって、法・報・応の三身といっても、じつは一身であり、一身はすなわち三身でもあるというわけだ。
お釈迦さまが自受用(じじゅよう)三昧—-ご自分の世界で、みずからのために悟りのままにお説きになったのが陀羅尼(だらに)真言という。
また、他受用(たじゅょう)三昧—-衆生の立場にたち、大慈悲によって人間を救い、成佛(じょうぶつ)を遂(と)げさせようとしてお説きになったのが、大乗の教えである。
また、大日如来やお釈迦さまが住しておいでの自性法界宮(じしょうほっかいぐう)という所があるが、これを押し広めて言えば尽十方(じんじっぽう)世界、尽十方虚空(こくう)のことごとくが自性法界宮であり、極論すると大日如来やお釈迦さま自体が、すなわち自性法界宮でもあるわけで、これを密厳浄土(みつごんじょうど)ともいうな。
このように考えれば、私たち一人一人も、じつは一個の自性法界宮であり、密厳浄土の真っ只中で日々を送っていることになるわけだ。常日頃から観音院の大日如来さまによくお参りして、御姿を心に刷り込んでおいて、苦しいとき辛いときには思い浮かべ、元気と御加護を頂くとよいな。
千手観音を信心して幸せを願い、福分を得た貧しい女の話 日本霊異記
海使蓑女(あまのつかいみのめ)は、奈良の左京の九条二坊の人である。
蓑女には九人の幼い子がいたが貧しい暮らし向きは一通りでなく母子十人がその日を生きるのに精一杯というありさまであった。
さて、蓑女は、家から近い九条四坊の穂積寺の千手(せんじゅ)観音をいたく信心していて、ひまをみつけては観音像の前で手を合わせ、どうぞわたくしに福分をお授けください、と熱心にお祈りをしていた。
淳仁天皇の御世、天平宝字七年(763年)の冬のことである。
蓑女の貧乏暮らしを敬遠して、ふだんはあまり寄りつこうとしない蓑女の妹が、なにを思ってか、ふいに彼女の家を訪ねてきた。
妹は、皮でできた大きな箱を、「よっこらしょ」と、いかにも重そうに持ち込んで、これをしばらく預かってくれという。見れば箱の脚もとに馬の糞が付着している「すぐに引き取りに来ますから、姉さん、お願いします」といって妹はそそくさと帰っていった。
仕方なく蓑女は箱を預かったものの、だが、それきり妹は、待てど暮らせどいっこうに姿を見せない。
弟の家に行って妹のことを訪ねてみたが、弟も知らないという。
彼女は箱が気にかかって仕方ない。とうとう我慢がならず、蓑女は妹の置いていった箱を開けてみることにした。
すると、どうだ。箱の中に銭百貫が入っているではないか――。
さっそく蓑女は、いつものように、いや、銭百貫という思ってもみなかった福分にあずかったのでいつもより多くの花と香(こう)と灯火の油を買って、千手観音を供養することにした。
一心不乱に拝んだあと、何気なく観音像の足元を見ると、そこにも馬の糞がくっついていた。
そこで蓑女は、あの銭百貫は、ひょっとして観音菩薩がお授けくださったものではないか、と思ったのであった。
そうこうしているうち三年が過ぎた。
千手観音像の安置されている穂積寺に、蓑女が寄進した銭百貫もいつしかお寺の修理代などで費消してしまったが、妹のほうは、それ以後何も言ってこない。
やはりあの銭は、千手観音様から賜(たまわ)ったものだったのだわ、と、蓑女は、はっきり悟ったのである。
賛(さん)にいわく
善きかな、海使蓑女。朝(あした)に飢えたる子どもたちの空腹を満たすべく懸命に働き、夕べに香燈をたいて観音の徳を願う。
千手観音が、その信心に感応(かんのう)して、授けた銭が蓑女の貧乏の心配をなくし、福分を与えられた。いまは子を養育するのに、食べものも衣服も十分に満ち足りている。
かくして蓑女は知ったのである。
情けぶかい観音菩薩は、彼女がいつも乏しい懐中をはたいて花香油を買って供養をつづけ、千手観音に福分を願ったその代償として大きな幸せをお与えになった――
涅槃経にもちゃんと説いてある
「母が子どもに慈愛を垂れれば、それによって来世は、おのずから天上世界に生まれる」
と。
タイトルとURLをコピーしました