般若心経秘鍵は殆どの人が見ておられないようです

観音院で執行される法要の、趣旨を述べる願文(がんもん)や諷誦文(ふじゅもん)に「般若心経秘鍵(ひけん)」のうちから何時も引用しています。
 般若心経秘鍵は弘法大師が講述されたものです。秘鍵を引用する時は、声まで朗々として法要を引き締め、参列者の心まで揺り動かすような働きがあります。
 今、般若心経秘鍵を解説する機会を得たことは真に有り難いことで改めて高祖大師の恩徳と皆様に心から感謝申し上げます。般若心経は十四行に満たず、皆さんが良く読経されたり、写経と言えば般若心経を指すくらいです。丁寧に書いても一時間ほど、馴染み深いその秘鍵を懸命に文章にさせて頂きます。  (田川純照筆記)

般若心経秘鍵 序并(しょあわ)せたり
                                           遍照金剛 撰
 真言密教の考え方で「般若心経」を解説し、「秘鍵」から見た深い意味について序文と共に説明しましょう。
                                        遍照金剛空海 撰述
 文殊の智慧の鋭い剣は、いろいろな無益な議論を断ち切る。
 般若菩薩の梵文は生きとし生けるものの全ての迷いを調御(ちょうご)する。
 般若菩薩の■の種子と文殊菩薩の◆の種子は諸経を含蔵する陀羅尼である。
▼般若部の主である文殊菩薩さまは、大いなる智慧(ちえ)を象徴する鋭い剣を右手に、利剣は一切衆生の過ちを断ち切られ、この経の部主である覚母般若菩薩は甚深微妙な智慧の印である梵本を左手にされている、梵本はあらゆる智慧を尽くして衆生を済度される素晴らしい経文の集成である。
 般若菩薩は■の種子で、文殊菩薩は◆の種子で、それぞれさとりの内容を示されている。■◆の二字は八方法蔵十二部経など一切の経法を含蔵している陀羅尼(だらに)で、種子(しゅじ)は種子字とも言う。
 限り無い生死輪廻(しょうじりんね)の中にあって、どうすればこの苦から抜け出て、さとりの世界に行くことができるだろうか。
■繰り返し、輪廻し、際限のない現在の苦しみは昔から今に続いているもので、このような無辺の生死をどのようにして能く断つことがてきようか。
 唯一、文殊・般若の定慧(じょうえ)にお縋(すが)りして、一心に静慮し正思惟(しょうしゆい)する道がある。
 尊者のさとりを、みほとけは自ら説きたまう。我、今より述べるにあたり、みほとけよ、哀愍慈悲を垂れたまえ。
 それ仏法、遥かにあらず。心中(しんじゅう)にしてすなわち近し。真如、外にあらず、身を棄てて何んか求めん。迷悟、我に在れば、すなわち発心(ほっしん)すれば、すなわち到る。明暗他にあらざれば、すなわち信修(しんしゅ)すれば忽ちに証す。

 哀れなるかな、哀れなるかな、長眠(じょうめん)の子。苦なるかな、痛なるかな。狂酔の人。痛狂は酔わざるを笑い、酷睡(こくすい)は覚者を嘲ける。
 かって医王の薬を訪わずんば、何れの時にか大日の光を見ん。しかのみならず、翳障(えいしょう)に軽重あれば、覚悟(かくご)に遅速あり。気根(きこん)不同なれば性欲(しょうよく)も すなわち異なり。
 ついんじて二教轍(あと)を殊んじて、手を金蓮(こんれん)の場に分ち、五乗くつばみを並べて、蹄(ひずめ)を幻影(げんにょう)の埒に躓かす。
 その解毒(げどく)に随って薬を得ること、すなわち別なり。慈父導子の方、大綱これに在りや。
 「大般若波羅蜜多心経」といっぱ、すなわち、これ大般若菩薩の大心真言三摩地(さんまじ)法門なり、文は一紙に欠けて、行はすなわち十四なり。いうべし、簡にして要なり。要約してあるにして、深い内容である。五蔵の般若は一句にふくんで飽かず。七宗の行果は一行にのんで足らず。
▼「秘鍵」の文節を読まれて、随所に観音院の常用経典に秘鍵が引用してあることがご理解頂けると思います。
 秘鍵は般若心経の解釈ですが、お目に掛かり易い観自在菩薩は、で始まる解釈本とは、全く立場が異なることがご理解頂けると存じます。
 一般の般若心経の解釈が淡々と書かれていることに対して、著述者「弘法大師空海」の溢ねるような思いやりの気持ちが伝わってきます。般若心経は仏教全般の索引の経典として見てあると考えてください。そして、般若心経と秘鍵は表裏の関係にあります。
 心経は看板、中に秘鍵が在ると考えると良いと思います。早い機会に般若心経秘鍵の解説書等を書店で求めて、その醍醐味を味わってください。
                                 ※詳解 般若心経秘鍵  青山社

■秘鍵では最初に文殊菩薩と般若菩薩の仏名が上げてあるが、両者の慧と定は一体のもので、種子では□□、文章では般若・文殊と順序を入れ替えてある点に留意して会得した方が良いと思います。 

■種子は種子字の略で諸尊はみなこの種子をもたれ、種子は直ちにその尊あらわす。種子は一字に花菓を生ずる徳を持つように無量の法、無辺の義を内臓し、一字良く多字を生ず功徳を摂持する。

▼私は、般若心経を「おーい、皆さん、来て見よう。こんなに美しいものがある。こんなに心を穏やかにしてくれたものは何処にも無い。皆で読んでみよう。大切にしようではないか」と思って一日千巻の心経読誦をしたり、一日十巻の浄書をしたりしている、そのような間柄です。心経がある人生は充実していたと感謝しているのです。この中に書いていることは、青山社の般若心経秘鍵等と大同小異です。

■観自在菩薩(菩提薩捶)は、すなわち諸乗の行人、全てのさとりを求める人々を挙げていて、その心がけのある人々全部を対象に、般若心経は始まっているのです。度苦涅槃(度一切苦厄、究竟涅槃)はすなわち、諸々の教えによって、仏道を求める全ての人たちの得楽(常楽涅槃の果)をかかぐ、五蘊は横に迷境(色・受・想・行・識)を指し、三仏(三世諸仏)は竪に悟心を示す。
 色空(色不異空空不異色)といえば、すなわち普賢(菩薩)のさとりの内容を表すので、頤を円融の義に解き(口を開いて喜ばれ)、不生(不滅不垢不浄不増不滅)と談ずれば、すなわち文殊(菩薩)は、顔を絶戯の観に破る。(諸法皆空無戯論の法であると笑みを浮かべられる。)
 是故空中無色無受想行識無限耳鼻舌身意無色声香味觸法無眼界乃至無意識界の文は、心外の法を簡び去って心内の法を堅持する三界唯識の弥勒菩薩の喝采を得。無智亦無得以無所得故は、理知の対立を、不二一如に帰した法華一乗の深旨をしめしたもので、これが観自在菩薩の最も歓ばれるものである。
 無無明亦無無明尽乃至無老死の十二因縁を説くところは、飛花落葉に因縁を感ずる縁覚に生滅の理を示し、無苦集滅道の四諦の教えは苦・空・無常・無我などの十六行相を説き、入門間もない声聞を驚党させるのである。
 況や、また□□(ぎゃてい)の二字は諸蔵の行果を呑み、□□(はらそう)の両言は、顕密の法義を孕めり。このように、般若心経の一字一句には無量無辺のみ仏の教えの深義が含まれていて、これを説明することは生涯を懸けても不可能なことかもしれない。

 心経は深遠極まりないもので、もしこの経を読誦し受持し講説し供養し、修習し思惟し、誦持、講供すれば苦を抜き、楽を与え、道を得て通を起こす。
 単に般若波羅蜜多を行ずる時としないで、深般若波羅蜜多を行ずる時と、般若の上に甚深の深の字を冠したのは誠に当を得たことである。
※通とは通力と言われるもので、神通と業通があり、神通は仏・菩薩・外道・仙人の通力、業通は鬼神・狐狸の得るところの通力である。

秘鍵の中で一番好きなところは
 真言は 不思議なり
 観誦すれば 無明を除く
 一字に 千理を含み
 即身に 法如を証す
 行行として 円寂に至り
 去去として 原初に入る
 三界は 客舎の如し
 一心は これ本居なり ▼真言は不思議です
み仏を観想しながら唱えれば、
悪しき闇は除かれます
一字の中に、千の理を含み
即身に真理をさとることができる
行き行きて、さとりの境地に入る
一心とは本来の人のあるところ

 般若心経は読誦(どくじゅ)するものです。やがて読誦することに愉悦と充足を感じられるようになります。理解するものではなくて同化するものです。
 一日千巻の読誦をしたことがあると申しましたが、是非とも試してみてください。一巻一分としても千分、十時間で六百巻、十五時間で九百巻、一息一巻として寝食を忘れるぐらいの努力が、いえ、努力だけでは出来ません。読誦が快くならないと無理です。

■題目について■
 仏説摩訶般若波羅蜜多心経の仏説とは「ブッダ・パーシャ」は真理に目覚めた人が深奥のさとりを説き明かし、癒されることで、梵語と漢語の合成です。摩訶は「マハ」は偉大、大きい、勝れたとの意味。般若は「プラジュニャ」瞑想によって得られる真実の智慧。波羅蜜多は「パーラミータ」完成、なすべきことをなし終えた。心は「フリダヤ」中心という意味。経は「スートラ」貫き通るとか、まとめ保つの意味。
 摩訶般若波羅蜜多は大般若菩薩波羅蜜多菩薩の名であり、この菩薩には、文字で象徴し、曼荼羅とさとりを表す真言があります。一つひとつの文字は世間で使用される意味と、真理の深い意味を表す両方があります。

この仏説摩訶般若波羅蜜多心経のさとりの教えは、み仏が「鷲の峰」俗に霊鷲山(りょうじゅせん)に住んでおられたときに舎利弗(しゃりほつ)たちのために説かれたものです。
 観自在菩薩は決して一人では無く、多くのさとりを求める人、貴方も私も含まれていると考えてください。

■心経千巻読誦は祈願の方法としてとても効きます。一人で読誦するのは難しいので五人か十人で協力すると良いですね。大般若転読法要も沢山の僧侶が協力して執行するのと同じことですね。

■心経を漢文書き下しのままで考え込むと、出口の無い落とし穴に落ち込んだような気分になることがあります。このような時に秘鍵に出会うと目から鱗が落ちたように前途が開けて来るものです。

■般若心経の功徳■
 心経は最も良く写経される経典です。出来れば一枚一時間くらい掛けて丁寧に書いてください。一日十枚写経するより、一枚でも二枚でも三枚でも枚数を急がず、落ち着いて丁寧に写経して、お寺に納めてください。出来高払いのご霊験なんてありませんから、枚数を稼ぐことは無意味です。

 心経は、五つの区分に分けることができます。
  第一は、「人法総通文」、観自在から度一切苦厄まで。
  第二は、「分別諸乗文」、色不異空から無所得故まで。
  第三は、「行人得益文」、菩提薩捶から三藐三菩提まで。
  第四は、「総帰持明文」、故知般若から真実不虚まで。
  第五は、「秘蔵真言文」、掲諦掲諦(ギャテイギャテイ)から娑婆賀(ソワカ)まで。

第一 人法総通文
 人と法とを、全体を通して説く五つのことが示されている。因・行・証・入・時である。
 観自在とは般若菩薩の教えを修行する人で、本来、仏となる素質をもち、さとりを求める因を有している。
 深般若は、対象である法を観察し、この智慧を完成させる修行である。
 照空は、さとりを証する智慧である。
 度苦は、その智慧により涅槃に入ることをである。
 時はこの修行に要する時間である。

 詩(頌・じゅ)に。
 観自在菩薩は智慧を成就する行を
 修して
 五つの集まりが空であることを
 さとられた
 はてしない長い修行をしている
 者たちも
 迷いを離れて、一心に通ず

第二 分別諸乗文
 第二の分別諸乗文も五つあります。建・絶・相・二と一です。
 建は建立如来の三摩地門、さとりの教えです。色不異空より亦復如是までが相当します。建立如来は普賢菩薩の秘号で、その教えは、さとりの道へまどかに進む因であることは、宇宙万物の本体は平等という真理で、現象界と本体界は一体不二であり、互いに融合してさまたげがなく、その故に「建」と名づけた、この普賢菩薩はすべての如来がさとりに向かう心を起こし、修行する願を起こした身体である。

 詩(頌・じゅ)に。
 色空、本(もと)より不二(ふに)なり
 現象と理法は、本来同一である
 現象と理法、理法と理法、現象と現象
 の三者は、障りなく融合している
 それは金師子と水波の喩えの通り

※金師水の喩え と 水波の喩え。金を法界の本体、師子を法界のはたらきにたとえて華厳法界縁起の原理を示す。
 後者は大海を真理の世界、波を現象世界に喩えて事理無礙(むげ)を示す。

二 無戯論如来の教え
 二つに絶というのは、無戯論如来の三摩地(さとり)である。是諸法空相から不増不減に到る経文である。無戯論如来とは文殊菩薩の密号である。文殊菩薩の利剣は八種類の否定によって、この世にとらわれるべきものは何も無いことを明らかにし、妄執を絶つ。

 頌(じゅ)にいわく
 八不に諸戯を断つ
 文殊はこれ彼の人なり
 あらゆる差別を否定して、空のみを
 究極の真実とする
 そこから生じる慈悲のはたらきは、
 もっとも奥深いものである。

三 弥勒菩薩の教え
 三つに相というのは弥勒菩薩のさとり(摩訶梅多羅冒地薩怛縛の三摩地門)を指している。是故空中無色から無意識界に至るまでが相当する。弥勒菩薩の瞑想は、楽を与えることをもって宗とし、因果の道理を示すことを誡としている。現象と本質の区別を論じ、世界が主観のみによって構成されるとして、外界の対象の存在を否定する。否定するという意味は、ただ、安楽を与えることにあるのである。

 頌にいわく
 二我、何れの時にか断つ
 三祇(三阿僧祇劫)に法身を証す
 阿陀(あだ)はこれ識性(しきしょう)なり
 幻影はすなわち名賓(みょうひん)なり

 個人存在に対するとらわれと、存在要素に対する迷いは、いつ断つことができよう
 無限に長い時間をかけて、真理の徳を体現するのである阿陀耶(アーダーナ)識こそ、心の根底に存するものである
 幻影のような現象世界は名前のみある仮の姿である

 「頌にいわく」と言うところに来ますと、お大師さまの肉声に触れるような気持ちになるのは私だけでしょうか。
 お大師さまの寺に居て、お大師さまをみ親のように思い、朝に夕に南無大師遍照金剛とお唱えし、周囲に曼荼羅を荘厳した部屋に暮らして、お大師さまの本に囲まれて過ごす幸せは大変にありがたい日常です。

■般若心経秘鍵の解釈書は沢山ありますが、代表的なもので、日常座右にしているものを参考にしています。真言宗常用諸経要集の裏面の最初が般若心経秘鍵です。振り仮名付きです。是非お読みください。

■私の般若心経秘鍵は私自身のものではありません。皆さんを秘鍵の世界にご案内するために紹介しています。近い将来に勉強会を開催したいと考えています。お大師さまにぐっと近づける機会になると思います。

般若心経秘鍵の話は来月に続きます。

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