自分の福は自分で掴む(前編)

【寅さん】 六月一日は大般若の転読法要だよね。この日から福の掴み取りが有る。大きな箱にお菓子を沢山入れて、それを福と見なして掴み取りをしてもらうわけだ。問題は大きな箱だけど、手が余裕をもって入るぐらいの穴が開けてある事だ。

【院家さん】  穴なんか開けずに、初めから蓋をせずに両手でしっかり福を掴んでもらいたいのが私の本意だ。

【寅さん】 大きな風呂敷を持ってきて担いで持って帰ろうかと思ったが、大間違いなんだな。それはそうだな、皆が風呂敷で持ち帰っていてはお寺が倒れるな。だから穴を開けて掴み出せるだけに制限してあるのだな。

去年は慣れていない人がいて何度も穴に手を入れて福を掴んでおられる人がいたが、あれは邪道だな。一人が一回の所に福の意味が有る。おまけに、掴んだ物が何か分からない所に福を掴むという意味が有るのかな?

【院家さん】  この日から吉例の福の掴み取りを用意しています。それも来月の大般若転読法要まで一カ月実施するので、たくさん福が欲しい人は毎日でもお参りして掴み取りされれば良いだろう。つまりは、一日お一人一回という事にしている。

【寅さん】 それぞれの人が自分の手の大きさに応じて福を掴み取れば良いと言う事で、沢山欲しかったら毎日お参りすれば良いんですね。

【院家さん】  そうだ、一人一日一回ですと言う事に意味が有るのだ。一日何度でも掴めると公平ではありませんね。
しかし、一度きりというのも公平で無い事がありますね。だから、沢山の福を貰うには毎日来れば良いと言う事になります。

【寅さん】 一日に何度も福を掴むのは反則で一回目は確かに福だが、二回以上掴むと厄を掴む事になるのかな。

【院家さん】  福と厄は裏表だ。大きな欲は大厄を掴むに等しい。開けてある穴の大きさから一度にどれだけ多くの福を掴まれるか、その穴の大きさが同じですから参詣される度
福が貰えるという事なら福を掴むのにそれぞれの努力が含まれているので公平が保たれます。

【寅さん】 確かこのような行事は清興と言ったね。芸能人や相撲取りさんに参加してもらって人集めを狙ったもので、観音院は信心がある人を大切にするので清興は余りやらない方針だね。

【院家さん】  豆を撒いたり、福を撒いたりして見かけは賑やかなように錯覚を起こさせるのは本当のお坊さんのする事ではないかな。

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