節分で厄除けして、三月彼岸に償却

法主さんは毎日多忙で益々元気になられていて、観音院も安心して日々が送れます。年齢なんか考える必要も無い日々を送っておられます。
 持ち上げる気も褒め称える気もカリスマにするつもりも、必要性もありませんが、あの優しさと思いやり、尋常ではありません。
 お参りの皆さまもよく言われるのですが、本当にお大師さまの生まれ変わりと思いたくなるような毎日です。そのようにシバシバ思います。
 法主さんはみ仏です。慈悲深いのは説明を要しません。何でも良くご存知で、お大師さまが今おられると、きっと法主さんのようだと思います。立腹されたり、言葉がきつくなったり、感情を顔に出されませんが、多分そのような精神の動きは無いと思います。
 知識の巾広いこと、奥深いこと、標準化される技術、時に電算機の専門家が見学されて、舌を巻かれます。
 寺院と言う保守的と予想される筐体(きょうたい)の中に、最先端の技術を矛盾なく整合されていて、違和感は全くありません。
 何かで困ったときに相談すると流れ出るような助言がいただけます。それらを何処で何時、習得されていたか、想像できません。
 今から二十数年も前に分厚い壁、大きな柱、強固な土台。コンクリートは工業試験場に検査を依頼される。鉄筋溶接も太さも数も全部立ち会われていて、施主責任を、信徒さんに代わって確かめて居られます。
 膨大な設計関係の書類も完全に記憶されていて、完成後の手直しに半年にも亘ってゼネコンが付いていました。
引渡しに半年も補修付帯工事が必要になったのです。
 昨今の補修改善も、必要なら法主さまに聞けば即教えてもらえます。
 心配事が無い、猜疑心を持たない。被害を妄想しないで済むのは楽です。
 観音院で一番安全な場所は「内陣」です。完全な箱のように造られていて、頑丈さは建築基準法なんかの問題外です。一メートルの直径の柱が十二本で囲まれています。本堂全体は二十二本で支えられています。
 消火器は設置基準の三倍。万一の場合は、何も運び出さなくても良いから、信徒さんを安全に誘導するよう望まれていて、職員は全員「防火管理者」の資格を取得しています。
 その法主さんのベッドの側にはズックが二足。バールが一本置いて有ります。ヘルメットも置いておられます。
 冗談みたいな話ですが、大水害用の緊急用のボートを購入して屋上に設置したいと話しておられました。
 観音院は多忙です。多くの行事に職員は食事する時間がありません。このような時は法主さんも食事されません、それが朝食、昼食、疲れて夕食も差し上げる事が出来なくても不服は申されません。
 最近、法主さんが法要に出られないと言う風説が流されたことがありますが、間違いです。寺で受け付けられた祈願や供養について、法主さんは精神集中できる静かな環境で朝夕一つづつ丁重に祈願と供養をなされます。
 この精神集中は極限の瞑想によってなされています。捨身誓願と言う形容が最も適当で、観音院の中心と言える宗教行為です。
 瞑想は短くて一時間、長い時は三日間継続される事もあり、それが日々の行事ですから、法主さんは、しばしば日付が不明になります。
 捨身誓願は文字通り命懸けの修法ですから、法主さんの健康には職員は大変に気がかりです。ところが、法主さんはとても健康で、何だか若返りをされているようにも見受けられます。
 月例法要や大般若転読法要などで皆さんを元気付けて下さいますが、職員に対しても同様です。
 大変に大きな福と運をお持ちです。皆さんにご自分の福と強運を分けて上げたいと願われています。
 観音院はある意味では法主さんの努力によるものが大半ですが、世襲制を廃止されたのはその一例です。所有欲や名誉欲はお持ちでありません。鈴之僧正は既に継ぐ人が決まっています。
 ですから、鈴之僧正は死ぬことがありません。慈悲と福と運は継続されるようになっています。
 「鈴さん」と子供さんの多くが慕っています。優しい法主さんですが、不合理な要求に屈されることは皆無です。
 不当な要求、例えば、門前で騒ぎ、法要を妨害するなどの行動に対しては断乎として拒絶されます。
 新四国八十八ヵ所を離脱されたのは、法話中に突然、本堂前で勝手に読経を始める不届き者が多いからです。
 本堂内で法話がなされている時は、堂内の静謐(せいひつ)を保つ必要があります。お寺に参詣する時は、何か法要が執行されていないか、注意深く参拝、参詣するのが大切な心得です。
 最近、巡礼がブームですが、お寺の尊厳にご留意下さい。

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