秋のお彼岸会は遠くになりました

「彼岸」という言葉には善悪で言えば、大きな意味で「善」という意味があります。
 心の中に「善悪」がありますから、ですから、人間は言動の全てに、「彼岸」と「此岸」のバランスが有るはずですが、別に意識しないでも、現代の此岸には法律やら道徳がありますので、別段に僧侶が彼岸について説く必要が無くなったかもしれません。
 仏説摩訶般波羅蜜多心経の「波羅蜜」と同じ意味が「彼岸」なのです。此岸と彼岸の間を流れているのが「業」「煩悩」と当てはめて考えました。
 煩悩はよく聞く言葉ですが、業は羯磨[かつま]のことで、身口意の善悪無記の所作のことです。
 難しいことは止めましょう。簡単に言えば、極悪無道の一番悪いのから清廉潔白の一番優れたものまでの中間を、業煩悩の川に見立てて、彼岸、彼(か)の岸(きし)に渡るように努力を誓う日、十善戒を守る週間とでも思ってくださるなら、正解としましょう。
 彼岸の仏事は、天竺、唐で伝えられた行事では無く、日本独特の仏事です。起源は古く聖徳太子のころに遡れる仏事です。
 今までに、全く善なる人も悪なる人も見たことがありませんから、人の多くは善悪ともに持ちますから、なるべく善なる方向に考えて行動するよう努力することは彼岸仏事の大きな目的です。
 世間には、談合とか贈収賄など構造的な悪もありますから、善事に向けて努力することは大変です。
 契約社会で契約が守れぬことも悪事になりますから、履行できない約束はなさらないことが善人になるコツでしょう。

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