神話の時代に世界観を立てるのは困難だった

須弥壇[しゅみだん]は、み仏さまをまつる壇(台)のことです。須弥壇は須弥山を象徴して模ったものです。
 地球が巨大な地盤状のものと考えられていて、上に天、下に地下がある、その中心が{須弥山}と言う訳です。
 大地は動かない、天動説ですね。太陽も月も大地の上を動いていると考えるのは自然のことです。北極と南極を軸として大地が団子のような形で回っている、大地が球状と考えるのは大変なことです。月が地球の周りを回っていると考えるのも大変だったでしょう。
 天国も地獄も天動説の時代の教えですから、大分矛盾しても当然です。
 ガリレオ・ガリレイがローマ教会の異端審問所で天動説を裁かれ、地動説を捨てるか、火あぶりの刑を受けるか、の選択を迫られます。結局は、地動説を捨てることを誓わされ、終身禁固の判決を受けてしまいます。
 仏教は何故か天動説に拘らなかったようですが、ローマ教会が正式に地動説を認めたのは最近のことです。
 仏教は権力を持ってなくて、異端を審問するほどの制度も大きくは持っていなかったので、昔の人の考え方も、神話のように認めることが楽です。
 仏教も天動説なのですが、すんなりと地動説を受け入れています。錬金術のような勉強をした僧侶は聞いたことがありません。
 観音院の須弥壇は、本堂は黒御影石を磨いたものと、内持仏の四方須弥壇です。法主さんの横は物入れを須弥壇に見立てたものです。そうそう須弥壇はみ仏さまをまつる壇のことです。お仏壇の中にも必ず須弥壇があります。
 会社では社長室、あるいは社長の椅子が、須弥壇に相当します。
 最近の世相ではお父さんの座る須弥壇が無い家庭が多いですね。
 須弥壇は、堅固で揺るぎ無いものが望ましいですね。観音院の本堂の須弥壇は黒御影石に磨きをかけたもので、内側は鉄筋コンクリートで、左右を直径一mの柱四本で支えています。内持仏の優美な須弥壇と比して頑丈そのものに造られています。
 この原型は原爆で灰燼に帰した直後の仮建築のバラック本堂の臨時に設えられた須弥壇を踏襲しているのです。
 どのような意味があるかは図面を書かれた法主さんが話されないので想像するしかありません。
 造りは簡潔質素で、無駄が有りません。み仏さまと須弥壇の間には三十cmの緩衝台があります。み仏さまを安置するには良い工夫です。礼拝される人の視線には緩衝部分は見えません。
 須弥壇の上には無数の赤外線が走っていて、悪戯は不可能です。観音院の全体の中で一番頑丈なのが須弥壇とその前になっています。
 地震などの際には外へ逃げ出すよりはみ仏さまに近付いて下さい。内陣部分には窓が無く、大きな箱のように丈夫に造られています。直径一mの柱が十二本で支えています。本堂下陣には同じ柱が十本立って支えています。
 家庭における須弥壇も職場の須弥壇も同様に頑丈であって欲しいものです。
 須弥壇は大切にすべきものの象徴です、ある意味では仕事も勤務先も家庭も頑丈で不動であって欲しいものです。
 内持仏の須弥壇は華麗に造られています。み仏さまに対する敬意を象徴しています。上には宮殿[くうでん]がまつられています。前には修法壇が置かれて美麗な多宝塔が安置されています。ここには金箔が多用されていて、素手で触られるのは困ります。
 左右に吊り下げられているのは龍巻幢幡[りゅうかんどうばん]です。幡はサンスクリットでは波多と言い、私たちの旗のご先祖さまにあたります。
 み仏さまを荘厳する吊り物が諸々にありますが、子供さんが触られて揺すられると、とても危険です。美しい物や光る物は子供たちの興味をひきます。
 光物の多くは危険ですから、触らぬ教育が大切になります。

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