真言宗伝持の八祖さま(二)

八月号に引き続きまして、真言密教弘通(ぐつう)に貢献された
伝持の八祖さまの中から、善無畏三蔵(ぜんむい・さんぞう)さま、
一行禅師(いちぎょう・ぜんじ)さま、恵果阿闍梨(けいか・あじゃり)さま
についてお話したいと思います。

五祖 善無畏三蔵さま

 善無畏三蔵(六三七-七三五)さまは、古代インドに統一国家を
つくったアショカ王と同じマガタ国の国王の家系に生まれ、王子は
十三歳で王位につき、人民の信望を集めておりましたが、兄たちの
妬みによる乱が起き、それを鎮定したあとも王位に留まることを潔
(いさぎよ)しとせず、王位を兄に譲られました。
 ナーランダ寺(五世紀に作られてから千年近くにわたってインド
仏教の中心となった寺で、仏教各派の教えを学ぶことができる総合
大学のようになっておりました。今日でも広大な遺跡が残っており、
その規模の大きさを知ることができます)の達磨鞠多(ダルマグプタ)
が、真言密教に通じ名声が高かったので、師事し、密教の奥義を
極めるに至りました。

 達磨鞠多師に勧められて、八十歳の高齢をもかえりみず、ラクダ
の背に多くの密教経巻を積んで、天山北路(シルクロード)を越え
て、七一六年(開元四年)唐の都長安に着きました。
  時の皇帝玄宗は深く帰依(きえ)し、国賓(こくひん)の礼をもっ
て遇し、「国師」の称号を送られました。

 その後、七三五年(開元二三年)九九歳で入寂されるまで、およ
そ二十年間、大日経(大毘盧遮那成佛神變加持經・だいびるしゃな
じょうぶつじんぺんかじきょう)をはじめ多くの密教経典の翻訳、
弟子育成に尽力されました。
  善無畏三蔵さまの功績は、金剛智三蔵さまとともに唐(中国)にお
いて、独立した宗派としての密教の基礎を築いたことであります。

六祖 一行禅師さま

 一行禅師(六八三-七二七)さまは唐代に河北省に生まれ、幼時
より聡明であったといわれ、二十一歳の時に両親を失い出家し、
普寂さまから禅を学び、恵真さまから律と天台を学びました。

七一六年、入唐された善無畏三蔵さまに師事(しじ)し、師を助
けて密教の根本経典大日経の翻訳に力を尽くされました。師の講義
をまとめて「大日経疏(だいにちきょうしょ)二十巻」を著し密教
を広められました。
 七二〇年に入唐された金剛智三蔵さまより真言の秘印を授けられ
ました。一行禅師さまは仏教だけではなく、道教(中国古代の民間
信仰を基盤とし、不老長生・現世利益を主たる目的として自然発生
的に生まれた宗教)、さらに数学、天文、暦学を学び、
現代でも中国の偉大な科学者として、切手の絵にもなって顕彰され
ております。
 
 一行禅師さまの功績は、善無畏三蔵さま、金剛智三蔵さまを助け
て、中国に密教を広められたことと、著書の「大日経疏」は単なる
大日経の注釈書にとどまらず、大日経流布のため後学の僧侶に多大
な影響を与えました。

七祖 恵果阿闍梨さま

 
恵果阿闍梨(七四六-八〇五)さまは、幼い時に出家し、青竜寺
聖仏院曇貞和尚に師事し、八歳の時師につれられ大興善寺の不空三
蔵さまのもとに参りました。
  三蔵さまは恵果さまをひと目みるなり、「この子は密教の立派な
阿闍梨になる資質を持っている」と、実子のように慈しまれ、二十
歳のとき三蔵さまより密法を授かりました。

 七五五年、三十歳で青竜寺東塔院に毘盧遮那仏(大日如来)灌頂
(かんじょう)道場を、唐の代宗皇帝から賜りました。
 また代宗の勅命により内道場(宮中内の修法場)の護持僧に任じ
られました。次の徳宗皇帝、憲宗皇帝にも信任され、「三朝の国師」
と称され尊崇されました。
 
 弟子の育成にも力をそそがれ、唐はもとより、諸外国より密教を
求める多くの僧侶が集まっておりました。
  八〇五年入唐(にっとう)された空海弘法大師さまは、千数百人
の弟子の中から密教の後継者として、金剛界・胎蔵界の両部の大法
と諸尊法を授かりました。
  なぜ阿闍梨さまは異国の僧であるお大師さまに大法を授けられた
かと申しますと、師の不空三蔵さまの遺言だったからです。
  七七四年六月十四日大興善寺で不空三蔵さまは弟子の恵果阿闍梨
さまに次の様に述べられました。
「私の命はもう絶える、恵果に金・胎両部の秘法を伝えたが、この
密教は唐ではやがて滅ぶであろう。そこで私は東の国へ密教を伝え
たい。私の命は東の国へと移り恵果と再びめぐり合い、恵果の弟子
になるだろう」と言い残して翌十五日未明に寂されました。

 不空三蔵さまのお言葉を恵果阿闍梨さまはお守りになり、東国か
らの求法僧空海弘法大師さまに全ての法をお授けになられたのです。
 不空三蔵さまが寂された日は、日本では宝亀五年六月十五日でし
た。この日の未明に空海弘法大師さまはご誕生されました。まこと
にありがたきご縁であります。

恵果さまは全ての法をお大師さまにお授けになり、十二月十五日
に寂されますが、お大師さまに遺告されて
「わずかに汝の来れるを見て、命の足らざるを恐れぬ。今すなわち
授法あるなり。経像の功も終わりぬ。早く郷国に帰りて、国家に奉り、
天下に流布して蒼生(多くの人々)の福を増せ。しからば四海(世
の中)泰く万人楽しまん。」
 お大師さまにとって、恵果さまとの別れは悲しいものでしたが、
密教の正統、不二の法門はこの日本にもたらされ、永遠に生きるこ
ととなります。 合掌九拝 浄寛

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