状況次第ではあなたも誰でも人が殺せる怖さ

最近、殺伐とした事件が多いようで心配なことです。大多数の人は人を殺すようなこととは無縁です。殺生の最たるものは殺人です。不殺生の眼目は「人を生かし、その人に安心して働ける場所と安心して住める場所を確保して上げる」ことです。

殺生は、自分の手を血に汚して他人を殺すことのみならず、人を困惑させて自殺に追い込むことも該当します。

この三、四年前から多発するストーカーといわれる他人に付きまとい、困惑させ、自分の要求に従わないと殺す、これは不殺生戒を二度犯すことになります。鈴之僧正さまのお話を要約 田川純照


殺人をするつもりもない殺人 不運としか言いようのない殺人

身近な問題としては例えば交通事故で被害者が、時には加害者共々死んでしまうこともあります。これは殺生、殺人です。お酒を飲んで車を運転するのは、人を殺す可能性の高いことです。

酒酔い運転で人を死なせた人は例外なく実刑です。交通刑務所は決して楽ではありません。加えて損害補償、補償といっても人の命は本来、金銭で償うことは出来ません。被害者の遺族に無理矢理に納得してもらうのですから、幾ら高額な金額を積み上げても怨(うら)みは残ります。

経営者が飲酒運転で死亡事故を起こされると倒産です。

何処へ勤めていても解雇されることになります。

このような時にご家族は大変です。交通事故は加害者も被害者も双方が大変に辛い思いをします。

交通事故死は年間一万人を超えて大殺生といえます。どのように細心の注意をしていても交通事故を起こすことがあります。自動車を運転する限り、絶対に無事故であるとは言えません。

人間のすることには、どのように注意していても、うっかりは付きものです。飲酒すれば事故の可能性が高くなるだけで、飲酒していなくても事故は起きます。

十数年昔、観音院はエンジンとモーターの付いた物は全部売ったり差し上げたりし廃棄したことがあります。約一年後に再度、仕方無く使うようになりました。

現在の人は便利だけで色々な物を使用しておられますが、その底には何時人を死なせたり、怪我をさせたりするかも分からない危険があることを確認して、注意深く使いたいものです。


東海村の原子力事故の原因 大事故の起きる予見能力喪失

作業中に事故に関わった二人が放射能障害で現代医療の粋を尽くして治療されていたなかで亡くなられたことは真に痛ましいことで心からご冥福を祈るものです。

お二人は職務について十分な教育も受けず、放射性物質の精製作業に従事していて臨界に達し、多量の放射能を被爆して、その結果亡くなられた。

業務上過失致死の被害者です、会社は加害者です。これは大殺生の可能性を示すものです。

日本の電力事情は酷しい事態の中にあって、私たちの使っている電力の四分の一くらいは原発によるものです。

プルサーマル原発の燃料について、イギリスの加工工場でデータ偽造があって、日本の原発計画の将来的な見通しが立たないほど混乱しています。

何が怖いか、燃料棒の太さが均一でないと原子炉が破壊される危険性があるからです。

その燃料棒の太さを検査した資料を、実際には検査していないにも関わらず日本に送りつけていたのです。人命に関わる大事故に関わる詐欺を英国人がやっていました。多分、この燃料棒は英国に送り返されることになります。

正規の検査合格品が届けられるまで、日本のプルサーマル型原発は稼働出来ない。非難轟々たる世論が起きて当然のことですが、何故かマスコミも追求しない。G8の沖縄サミットでも議題にもされそうにもありませんね。

日本はすっかり阿呆扱いされて国辱ものですが、みんな沈黙しています。私たちだけであれこれ言いましても始まりません。

交通事故も原子炉事故も人がつくりだした殺生です。さりとて、自動車は使用を止めて、再度使用を始めた経験がありますだけに、生きて行く上での悪縁のようなものだと思うこともあります。近頃法主さんが自動車の運転を再開されましたが、立てて置いたコップが倒れないくらい慎重に運転されています。それでも事故を何時起こすか自信が無いと言われます。


人を殺す経験をしたい殺人動機 十七歳の模範的少年の春の季節

五月一日、愛知県豊川市の主婦六十五歳が自宅で殺害された事件は、例をみない不条理なもので、世間が怖くなります。

この少年は一言で表現すれば模範少年そのもので、強いて特徴を上げれば実力テストで二千人中十六番の好成績、スポーツも好きで日常問題行動は見られません。

強いて言えば両親が幼児期に離婚し、祖父母と学校教諭の父親に育てられ、礼儀正しく、温厚で、地域有数の資産家に育っている。

殺害動機は「人を殺す経験がしたい」とのことで、若い人を殺すのは将来があるので老人にした、たまたま通りがかりの家の戸が開いていたので侵入し、老女を金槌で撲殺し、その家にあった文化包丁で四十カ所も刺して逃走した。

学校の先生は「いつもと変わらない様子で、何の兆候もなく」普通に思っていた、と話しているそうです。

犯行前に着替えと逃走用の自転車を用意するなど計画的な一面もありますが、用意した逃走資金は僅か二万円、翌日の夕刻には「寒くなって疲れた」と交番に自首して出ました。

特別進学コースにいて理系に強く、トップクラスの少年にしては決して緻密な計画でもありません。

何故に人を殺すようなことをしたか、多分、多くの評論家や教育関係者、心理学者が分析し、意見を述べることでしょう。

私はこの少年に「魔が差した」ような、よく説明出来ない衝動があったと思われます。

カミュの異邦人にみられるような理不尽な殺人です。

どうして暴走するのか十代の若者たち 学校の責任、社会の責任、家族の責任か

刑事事件を起こした少年に対する処分は少年法などで規定されていて、年齢とか事件の性質、犯罪の社会に及ぼす影響などで複雑多岐にわたります。

十六歳以上の少年の場合は拘置中の取調べが済むと、家庭裁判所に送致されます。

家裁では少年審判で成人と同じような刑事事件とするか、少年院へ送致する保護処分とするか決定します。

刑法では十四歳に達しない少年の行為は罰しません。

少年法では十六歳未満の少年については刑事処分が出来ないと定められています。

この少年は十七歳ですから成人と同様に最長二十日間拘置されることになります。

それから家裁に送致、最長四週間の観護措置で鑑別所に収容されて、この間に審判手続きがなされて、刑事処分相当となると検察官に逆送致され、起訴手続きを経て成人同様に刑事訴訟法に基づいて裁判を受けることになります。

文字通り、この少年は「人を殺したらどのようになるか」を現在体験中です。

逮捕後の移送中に顔を隠すこともなく淡々と正面を見つめている少年の姿は家族や学校に迷惑を掛けた意識は無いのでしようか、友人たちの気持ちも考えに入らないのでしょうか。

もしかすると頭の中は真っ白になっているのかもしれません。

両親も祖父母も学校関係者も友人も全否定されたことになり、関係者は立場がないでしょう。

「何故」にと皆さんは思われ、訝(いぶか)り、相当混乱しておられると思います。

子供のすることに関係者は 責任を問われるべきだろうか

呆然と言うのが親御さんや学校の先生の実態だと思います。このような殺人に理由の付けようがある筈がありません。

青少年期に成績の極めて優秀な人たちは沢山おられます。子供でありながら様々な期待が集まります。普通の子供がする日常的行為にもある種の制限が無言で加えられる。出来る子に共通した精神的圧迫です。

大人でも、他の職業の方は知りませんが、宗教界にいるだけで行動に相当な制限があります。学校の先生も期待される人間像があって、それにご自分を合わせられるのに相当辛抱をしておられることと思います。

大人の場合は戒律、道徳などの行動を制限するものがあっても、多くの場合はそれに矛盾を生じないように生きる考え方を確立することが可能です。

同時に夜の街では、先生と名が付く者は「しつっこくて、けちで、偉そうで」と言うわけで、嫌な客に分類されているのも事実です。

法主さんは一滴もアルコールを口にされません。接待で繁華街に出掛けられることも再三ありますが、悪い噂は皆無です。

一人で出歩かれない、監事か役員が必ず一緒に行きますし、遅くとも午後十時には住職の待つ寺に帰っておられます。

法主さんは人は誰でもしてはならないことをすることがあると言われる。油断とか迂闊とか、太陽が暑いからとか、本能のままにとか、腹が減っていたから、お金がなかった、疲れた、寒い、美しい、可愛い、欲しい、悪いことをなし、戒律を破り、み佛の厭(いと)われるようなことをすることがある。

揉め事がある、お金を借りて返済しなくてはならない、愛情を無視される、何かの怨恨がある、思うようにならない、それらの相手を自分の意にそわないから殺す。

普通は人を殺すようなことは考えません。が、会話の遣り取りなどで、かっとする、切れる。そして緊張や束縛のバランスが壊れ、自制心がない状態になると、日常の考え方では理解出来ぬことをしてしまうことがあります。

新車の塗装が釘で傷つけられることがあるように、他人の持ち物に羨望を感じて悪戯をする、ピアノの新品の蓋を開けると卑猥な文章が書き付けてある、他人の困惑を喜ぶ愉快犯とでも言うのでしょうか、人間の心の深淵には何かどろどろとしたものがあります。

蒸し暑い日の夕刻、今にも雨が降りそうに空が暗く曇ってくる、このような時に暴力的傾向のある人が訪ねて来る。顔付き形相も凄まじく、目が据わっている。手に刃物をもっていると刃傷に及ぶ場合もあります。身内の人に酷い暴力を働くことがある。

暴力的傾向があるとは言え、家族であったり、親族間の関係であったり、時には、子供好きな気のいい人でも このようなことになることがある。

悪いことをすれば親子関係が断絶する。愛想を尽かされる。社会から疎外される。程度が容認されないような行為は犯罪として処罰される。そのようなことは分かり切ったことです。

他人を傷つけない、殺さないことは基本中の基本の躾けです。

人を傷つけるのは刃物とは限りません。「言葉」も凶器になり得るものです。ひと言で人間の一生を台無しにすることも出来ます。

ぐさりと剣呑な言葉で他人を突き刺して、言ってやったと言うような人も思いやりに欠けます。

剃刀の刃を隠し持って、他人の心を苛(さいな)む傾向の方がいます。言葉で他人を傷つける場合は、多くは刑法に問われることはありませんが、言ってはならないひと言で周囲に波風を立てる人は割合に多いものです。これは殺生に該当する行為です。

口数の多い人、考えが定まらずして激しい自己主張をする人、噂話の好きな人、他人の悪口を平気で広める人、程度の差こそあれ罪深い殺生を続けておられるのですから反省したいものです。

言葉巧みに他人に取り入って金銭を出させる人、嘘を吐いて他人から金銭を出させる人…、言葉は使い方次第で殺生のみならず、多くのみ佛さまの厭われる行為に重複して該当します。

思うようにならないから他人に暴力を振るう、刃物を持たないまでも言葉で傷つける、が、自分は暴力は嫌いと言い張ります。

他人にあたたかい思いやりの心が持てない、相手の立場で考えることが出来ない、そのような人は悲しい人です。この世に地獄を生み出す人です。

  • 善いことを始めると物事の展開に繋がります。悪いことをすると物事は終末に向かいます。悪いことをすると不幸を生みます。善いことをすると幸いな将来になります。このような基本的なことを躾けることが社会の浄化になります。
  • 殺伐としたことをすることは自分を粗末にすることであると教えましょう。
  • 不条理な殺人、通り魔に襲われたような殺人、少年の無分別な殺人など、被害者としてはやる瀬ないものです。
  • 不条理と言えば、広島長崎にたいする原爆投下も不条理な一般市民の虐殺です。
  • 理由無き、動機無き殺人が随分となされています。人間として許されない暴挙です。神佛が嫌悪される悲しい行為です。
  • 魔が差すと、人は誰でも自殺出来るし、他人を殺すことが出来る怖さをもっていることをよく理解して、慎重に生きて、自分を生かし、他人も生きれるように生命を尊重する心掛けが大切です。
  • この世に生まれて来たことを有り難いことと受け止め、かりそめにも粗末にしないように生涯を生き抜いてください。
  • 言葉を大切に使用してください。他人に酷いことを言わぬようにしましょう。言葉を凶器として他人の心を傷つけることが無いよう日常から訓練してください。
  • 自分の言葉が剃刀の刃のように他人の心を切り刻むことが無いように、あたたかい心で相手の立場になって、善い人だと言われるようにしましょう。

凶暴化する十代の少年たちの理由無き暴走 誰も対処方法を立てられない、原因が分からない

この原稿を口述していただいている五月三日の午後、佐賀県でバスジャックが起きました。

刃渡り四十センチの牛刀をもった少年が山陽道から見慣れた風景の中を通って広島にやって来る。

少女を人質として、時々牛刀をちらつかす姿がテレビで映し出される中、パトカーに囲まれて、物凄い緊張の中、広島県の西条でサービス・エリアに入りました。

このテレビシーンは多くの皆さんが一部始終を見られていたと思いますので省きます。

一人刺殺六人怪我、重大な結果 心神喪失者であれば責任問えぬ

この少年も小学生くらいまでは成績が良かったようです。家庭環境は恵まれていました。

気になるのは今年早々にも刃物を振り回して精神病院に入院し、三日に医師の許可があって一時帰宅し、犯行に及んだことです。

十五時間半の極度の緊張と恐怖におかれた人質たちの心中は想像を超えるものでしょう。

その上、人質一人が逃亡すれば無関係の人が連帯責任で一人無差別に殺傷されました。

拳銃と燃料を要求、霞が関に行きたいと言っていたそうですが、その後、何をするつもりだったのか不明の点ばかりです。

人質事件が起きた時、一人殺されると、その時点で犯人は狙撃してもよいのが諸外国の常識だそうですが、広島では以前に宇品港でシージャック犯人が警察官に狙撃射殺された際に、この狙撃した警察官が殺人で告発され、最後は無罪になるのですが、この事柄が広島県警に犯人狙撃などによる事件の解決を躊躇させたのではないかと言う説も囁かれています。

人命は尊重すべきですが、人質をとった犯人と人質にされた人たちのどちらの人命を優先して尊重すべきかと問われています。

ともあれ、裁判になれば精神鑑定がなされ、仮に心神耗弱者と認められれば、罰せられるよりは保護的な処分がなされるのではないかと言う話も聞きました。

そのような際には一時帰宅を認めた医師の責任はどうなるのか、保護者にも責任が有るのではなかろうかとの意見も聞きました。

実際には犯人に最も信頼されているとされていた精神科の主治医も駆けつけて人質解放を説得して失敗し諦めました。

駆けつけた両親も主治医の先生で駄目ならとあきらめました。

これから起きそうな不条理な殺人、殺された方が納得のしようが無い殺人について、通常交通事故で死亡された時に支払われる金額と同程度の慰謝料を本人と家族に連帯して払わせるくらい罰条が設けられると少しは抑止効果もあるのではと言う話も聞きました。


五千万円も恐喝した中学生たち 表面化するまでの世間の間違い

七カ月間で中学生十三人が同級生から五千万円を恐喝し遊興に費消した事件は、俄には信じられない残酷な背景がありました。

余りにも金額が大きい、これだけの金額が浪費されて、気付いたのか、気付かなかったのか、社会の異常が心配です。

暴力団が組員に少しは見習えと言ったとか言わないとか。この間に母親も本人も学校や警察に相談し解決の機会はありました。

怪我をさせられて病院に入院している時にベッドの側まで恐喝に来た悪餓鬼たち、周囲に入院していた男性が一喝して、被害者の少年は始めて「頼りになる人」に出会い、事件は表面化します。

この少年は苛めによって肋骨を折るなどで二回も入院し、身体中に数十箇所も煙草を押しつけた火傷の痕があったそうです。

少年たちの凶悪犯罪激増の原因 皆さんはどのようにお考えですか

昨年一年間の少年による殺人事件は一昨年と同様二百件を超えて二百七人が犠牲となりました。

アメリカでは少年の銃乱射事件などが問題となっていますが、先

進諸国は全て少年犯罪の増加とその凶悪化に手を焼いています。

日本では少年法が未成年者に適用されて刑事罰が軽減されることに少年の犯罪を増長させる一因ではないかという考え方もあり、少年法の適用年齢を十八歳未満に下げるべきとか、刑罰を厳しくすべきだという意見もあるようです。

少子化が影響して、成長過程で親の期待が大き過ぎる、兄弟などと協力したり喧嘩したりする経験がほとんど無い。親に頼めば何でも買ってもらえる。欲望の制御が出来ない。親が基本的な躾けを身に付けていない。我慢とか辛抱などの心が無い。

レトルト食品やインスタント食品などが容易に手に入る環境にあり、個食となり、親が調理する手数を惜しむために愛情が上手く伝わらない。食品環境にも一因があるかもしれないと言う説。

思春期を上手く乗り越えられない。或いは何かのホルモンが足りないか過剰に分泌されて脳の働きが暴走していると言う説。

身体の発達が良くなって、心神が身体に追いつけない。大人の身体に子供の精神と考えてみる。

受験本意の教育の歪みが、少年たちを暴走させているかもしれないと言う説。

家庭や学校、社会から倫理道徳観が失われて、成績さえ良ければ良いとか、お金があれば幸せだと言うような考え方の蔓延が子供に悪い影響を与えている。

テレビや雑誌の暴力的傾向や性的な過剰で歪んだ知識が豊富に提供され続けていて影響された。

性的知識が低年齢者に過剰に供給され、且つ年少者の体格が心神の発達を超えて、性的欲求が歪められている。

悪いことをしても社会が見て見ぬ振りをする。叱られることが殆ど無くなって、したい放題。

個室が監督不十分の空間をつくり出し、携帯電話が保護者の知らない人間関係をつくらせている。

最近、環境破壊によって月の輪熊が人里へ下りて来て人間に害を及ぼすことがありますが、環境破壊が子供の成長に関係している。

世間の深層には何時の時代でも深刻な状態に悩む人たちがいて、情報過多と速報性が出来事を増幅し、強く印象付けて不必要に揺さぶっているのかもしれない。

家庭も崩壊、学級も崩壊、地域社会も崩壊 子供を育む環境が全て崩壊しつつあるのでは

夫婦が親との同居を嫌悪し、親を大切にし敬う心が無くなりました。その親たちが育てた子供が両親を大切にしたり敬うことは期待出来そうもありません。子供は親を見て育つものです。

先日、橋の下の通路で高校生たちが喫煙しているのを見ました。注意しよう思いましたら、若い人たちは危険ですから止めてくださいと言われまして、六十七歳の老僧の出幕では無いかと思って引き下がりました。

だけではなくて、寺が管理している墓地、ここは塀で隔離されていて非行少年の恰好の溜まり場所です。喫煙もシンナー吸引もありまして、これを排除するには関知式の警報機を付けたり自動の照明まで付けたり、いろいろと苦労をしました。

お寺の中には瑶珞(ようらく)という高価な飾りがあって、一番高価な龍巻幢幡(りゅうかんどうばん)などは数百万円もするような佛具が天井から吊り下げてあります。金箔は貼ってありますし、常識がある人は触りません。

ところが、佛具に触り、揺すってみる大人は、案外多いのです。子供さんが乱暴に触っても親御さんは全く注意もされません。

さりとて、お寺では保護者の注意を促す札を付けるくらいが限度で強い規制は導入出来ません。

むしろお寺の在り様としては、あれをしては不可(いけ)ない、これをしては不可ないと禁止項目を無くすことを目指し、気楽に皆さんに出入りしていただくことを眼目にすべきではないかと考えて運営しています。

若い人たちや青少年の出入りを気楽に相談に乗れる場所として

お寺にパソコン教室を開いて、今風に言えばインターネット・カフェですが、これは多くの人に大変に喜ばれました。問題はパソコンの目まぐるしい新機種の発売です。加えて、頭の良い子は専門家もかなわぬような操作をして、結果として回復不可能なほどに壊したり、よそのホームページにアクセスして掲示板に書き込みをして迷惑を掛けたりして、お詫びするのが大変だったこともあります。

キーボードにアメが付着して動かなくなることなど日常茶飯事で、マックなどはシステムそのものが削除されることもありました。

現在一番大きな問題はCDRという装置が3台もあって、高価なソフトを複写して持ち帰られたりすると、これは著作権を侵害する行為になるので、三階にある装置は職員がいない時は使用していただくことは不可能です。

また非常に精巧な複写が出来るAカラーコピー機があって、お札の複写は不可能に設定してありますが、切手類は複写可能ですので、職員立会いでないと使うことが出来ないようにしています。

インターネットも刃物と同じで振り回すと危険な行為もありますから、親御さんに代わって適切に注意や指導をします。

「海の教室」は大人にも子供にも好評です。現在、38フィートのクルーザーと漁船を所有していますが、将来的にはディンギー級のヨット教室が開けるように計画しています。

釣り教室は従来は釣り道具、昼食、餌など一人約七千円の寺院の負担でしたが、今後は釣り道具や餌などは各自の負担になります。

ただ、海の教室は法主さんに多大の負担が掛かりますので速やかに信徒ボランティアで運営されることが望まれます。

海の教室は、勉強し、約束が守れないと危険です。それでなくても事故が起きれば死亡も考えられる水の上ですから、指導や注意は徹底することになります。

船舶の利用は子供の教育として有効です。ただし、大人の方でさえ危険な行動をされることがありますので、世間の皆さんが危険行為という事例に鈍感になっておられるのも事実です。

世の中が大きく変化していて その中で新しい秩序を求めて

最近、全国的に町内会組織が潰れているのは残念なことです。家庭が崩壊しても口を出す隣近所は先ず考えられません。多くのお年寄りが孤独死されます。大人は働く場所が遠くなり通勤時間で疲れて、隣近所のことどころか、町内会のことまで時間がありません。

小学生くらいまでは隣組くらいの範囲で誘い合って通学する環境が望ましいと思いますが、子供会が無くなりつつあります。

近所の小さな商店が次々と閉店しています。商店街でも櫛の歯が欠けるようにシャッターが下ろされたままになっています。

そこでは慣れ親しんでいた商店主の顔を見ることは出来ません。

街が壊れているように思われてなりません。人間関係の再構築がなされているのでしょうか。児童公園に子供の姿が見えず、ゲートボールに興ずるお年寄りの姿が目立ちます。

お寺の仕組みも変わってきました。神社仏閣は地域の中心的な存在でした。お寺の檀徒の大移動が始まっています。

観音院も村から町の寺といった顔をもっていた時代もありましたが、現在では広島市を中心として県内全体に及び、他府県に及び、日本全体に信徒さんの住居地が広がり、法要は毎日執行され、インターネットのホームページは多い日には一日二十万のアクセスが記録されています。

私も何百キロも何千キロも離れた人たちと濃密な人間関係を築いていて、これは只事ではないように感じています。

人口百万人の都会の寺院に居る者として、訳の分からない環境に住んでいて、自分自身が上手く整理出来ないでいます。

物事を悲観的には受け止めない性格です。加えて、もしかすると極めて現代に上手く適応出来ているのかもしれません。善悪では判断出来ない環境の変化です。

人々が安心して住める場所と安心して働ける場所と安心して過ご

せる老後と、心配なことが沢山あります。

子供たちの環境も激変しています。働く人の環境も激変しています。それに連れて子供たちや年寄りたちの環境も変化しています。

大きく変化している世の中を前にして昔を偲んでも何も変わりません。皆さんの安心はどのようになるのでしょうか。

  • バスジャックされてから十五時間半、内部が見えないようにカーテンが下ろされた密室状態で報道各社のヘリが追跡して報道、最後に警官が突入して犯人が逮捕され、この間、怪我人が解放されたり、人質が窓から逃げたり、国民の多くがテレビに釘付けになりました。犯罪がドラマのようでした。
  • 少年犯罪の増加と悪質化傾向、被害の大きくなる傾向、現代の病理なのでしょうか。皆さん人の親であり子供でもあります。いつ加害者の親になるかもしれないし、被害者になるかもしれません。決して他人事ではありません。にも関わらず具体的にどうすれば良いか対策を立てることが出来ないのです。
  • お寺は皆さんの幸せを考え、世の中が良くなるように導く立場にあります。しかし、激しく世の中が変化していて、その中で生きておられる親子さんや子供さんの環境の変化の実態を把握していません。非難し、疎外することは簡単ですが、全てを平等に受入れ、良い方向に導くために努力しています。
  • 海も山も川も変わりつつあります。村も町も激動しています。会社も仕事の仕方も、大きく変化しています。一方では全ての金融機関、保険会社、或いは、ゼネコンなど、商社や商店、工場なども環境が激変しています。

六月は総選挙になりそうです。安定した政権が出来ないと困ったことになりそうです。

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