焼け野原が近代国家になれたのは過剰債務と自転車操業的な走り方

新幹線の「のぞみ」なら、広島から東京まで四時間と掛からない。
時速は三百キロを超えることもあるとか。途中の駅ビルは素晴らし
く、車窓の景色も裕福そうな家や立派な工場、並走して高速道路が
あって、乗用車やトラックが沢山走っている。これらを第二次大戦
で廃墟と化した日本の国土と合わせて結びつけるのは困難なことで、
今日の姿を想像できた人はいないと思います。ところで、国も道路
も駅も家も工場も自動車も大半が借金に依存しているのです。借金
で欲しい物を造り買った結果として、もう買うものがほとんど無く
なって、デフレとは困ったことになりました。(田川純照筆記)

■貧しいながらも外貨保有高は
     四千数百億ドルとは凄いものだ
         国民全部に分けたらどうだろう■

 外貨保有高前年に引き続いて世界一なんて、日本も満更でもない
$持ち国家。
皆さん お金が無いと困っておられるから、全部分配したら一人
五十万円くらいになるはず、と獲らぬ狸の皮算用ををしていたら、
国債やら県民債など、もろもろの借金が一人あたり五百万円を上回
るかもしれないそうで。

 それはまあ、新幹線ができて、大阪万博へ行けた時は、感激もの
だったけれど、JRも大変らしいし、採算がとれない地方の過疎地
向け路線は廃止したり、する話が一杯あって、困ったものです。
 本州四国架橋のうち、尾道から今治までの来島(くるしま)海峡
に橋が架ったのは嬉しいことでした。
 基柱からケーブルや本体まで、工事がつぶさに見ることができて、
日本の技術は素晴らしいと感心したものです。

 本音を申しますと、できた物は必ず劣化し壊れると「平家物語」
の冒頭にも書いてあります。
 だから、四本の橋を架け替え維持補修だけで、どこかのゼネコン
は永遠にやって行けると思いました。

 ところで自動車の開発過程で衝突実験は必ず行いますが、新幹線
の正面衝突なんて実験はあったのでしょうか。
 開通以来一度も事故が無いと言われていますが、万一、走行中に
大地震が起きると、列者はレールから離れて、くの字くの字になる
か、十六輌が壱輌くらいに圧縮されるか、どなたも気にならないと
したら呑気なものです。
 突風なんてどのように大きなものが吹くか、過去の資料は参考に
なりません。橋が吹き飛んだりしたことは、過去にも沢山の例があ
りますが、それは参考にした上で現在の橋があるのですが、その倍
くらい突風が吹かないとは地球は保障してくれません。予想される
災害もありますが、予想を超える災害もあるものです。

 橋屋さんとかトンネル屋さんという職業があるか、無いか、知り
ませんが、四国と九州の間に連絡道路は作ったら随分と便利になり
ます。それなりに、道路公団の債務が増えると思いますが、現在で
も借金だらけ、もう此処まで来たら自転車と同じで、走り続けると
地方の過疎化は防げると思うのですが。

 朝鮮半島もしだいに温和な政治風土になりそうですから、この際、
下関か長崎あたりから対馬を経由して釜山まで海底トンネルを掘る
と、大変な経済効果が生まれると思います。お金は郵貯から借りる、
郵貯には無制限でペイオフ無しに決めれば、日本の人や企業は全部
預け替えをするでしょう。

 ずいぶんと無責任な話ばかりで、申し訳ありません。でも、こんな
デフレ経済では皆さんも大変、、どこのお寺も大変、景気は賽銭箱を
直撃します。

 これでも毎晩寝る前に、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、
不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見に違えたことをしているの
ではないかと反省して生きているのです。

 世の中に面白いことは殆どありません。愉快に楽しくしたいと思う
と十善戒の何処かに触れて、良いことは一切無いのが私の立場、然し、
反省も度が過ぎると死ぬことが全然怖く無くなって鬱気味にもなり
そうです。
 百歳以上の男性が二千八百人、女性は約九千人、百十五歳の鹿児島
のお婆ちゃんはギネスブックにも載って良い話もあります。

 私にもう五十年も生き延びて欲しいとしばしば言われます。生きた
ら百二十歳にもなりますので、長寿世界一になりそうです。
 聞くところによると鹿児島のお婆ちゃんは二日寝て二日起きておら
れるそうで、六食摂取して二日寝ていることは真似ができそうだと
思ったりします。
 私は欲しいものは寿命を含めて金銭は勿論、食べ物も何もありません。
 願うことは皆さんの多幸と世の中の平和くらいでしょうか。

■デフレ経済は怖いことです。処方箋が無いのかもしれません。
 よくよく考えると日本の建物も道路も何もかも借金だらけ。それでも
 需要喚起のために、財政支出を大幅に増やしてもらいたいです。
   P
■私は三人兄弟ですが、全部生きていれば七人のはずです。昔は子供
 が七人や十人は珍しいことではありませんでした。少子高齢化社会
 はデフレ以上に怖いことです。生めよ増やせよ国のためです。

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鈴の法話 2002-10月号-2

慳貪(けんどん) 瞋恚(しんに) 邪見(じゃけん)は 悪い心の見本
     相手の立場で考えて、思いやりを

    慳貪(けんどん)は ケチで 欲が深いこと
         思いやりがなく、荒っぽいこと

 欲深くてケチとなるとお金が貯まるかもしれません。さりとて、
思いやり深く、相手の立場で考えると、お人好しと言われるかも
しれません。
 「不慳貪」はとても難しい「戒」です。「優しい人」と評される
くらいが楽です。

 難しいというのは、今般の東京電力の原発炉心のシュラウドに
ひびが入っていたのを、六年間も隠蔽していた。情報開示責任に
慳貪であった。不審を抱かれる行為は、大半の例が、無責任で、
ケチで、危険が起こることが予期されるから、、、他人は不信感
をもって非難したり警戒することになるのです。

 集めた物、例えば、蔵書などを大切にするのは、ともすれば
欲深く、ケチにつながることになりかねません。
 観音院には沢山の仏教関係の書籍がありますが、門外不出の
指定、貸し出し禁止の書籍が相当あります。一揃いで数百万円
相当のものなどで、一冊欠けても、無価値になる性質のものが
あります。
 余裕があれば二揃い置いています。これらの措置は慳貪では
なくて、所有者は、観音院にお参りの皆さんですから、公共的
性質があり、止む得ずの規定です。

 ただし、火災などになった際は、観音院の職員は全員が防火
管理者であり、逃げろ、逃げろ、逃げろ、と皆さんを安全に誘導
することが一番で、人命を賭してまで大切にすべきものは、一切
ありません。
 火災にならないよう防火・消火設備は三倍くらいもしてありま
すが、寺が焼失することは悪いことではありません。

 寺院の再建には、多額の費用が必要にになります。その費用を
勧進(かんじん)することは、僧侶にとって大変な努力を必用とし、
僧侶の人格を磨きます。
 寺は、良い僧侶がいて機能するものです。良い僧侶が数億円の
勧進をすることは良い僧侶とは思えません。大体、僧侶が金銭を
集めることなどは戒律に反します。
 この矛盾は、人格を磨くことによって乗り越えるのです。寺が
焼失することは祝融(しゅくゆう)であり、立派な僧侶を生み出す
原動力にもなるもので、悪いことばかりではありません。

 さて、僧侶や聖職者が、金銭を貸し出すことは戒律違反です。
そもそも僧侶は私物は持たないはずなのです。
 お金が貸せることは、大変に可笑しいことで、でも社会の仕組
み、貨幣経済の中で、若干の財産を持つ、、、哀れなことになり
ました。
僧侶が借金でもあれば、なかなか返済できないので、嘘も吐く、
約束も破る、債鬼に追われることになると人格がガタガタです。

 貸したり、保証したりも、厳禁です。約束通り返してもらえない
と被害妄想をもったりして、最早、僧侶とは到底いえない、債鬼、
怖い鬼さんです。

 瞋恚・嗔恚(しんに)は、三毒(貪毒・瞋毒・痴毒)、十悪
などの一つです。自分の心に違うものを怒り恨むこと。
 世の中は、大半が自分の思う通りにはならないもので、それで
怒るのは、一言で言えば「世間知らず」です。

 生命を大切にすることは、ケチとは言いません。相手の生命を
絶たない、だから、平和が大切なのです。戦争は瞋恚を生むだけで、
恨みの連鎖です。
 日本の平和憲法は、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、
不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見で、制定されていて極めて
善良なるものです。
昨年の九月十一日はテロという最悪の体験をアメリカはしました。
日本人も犠牲になりました。そしてビン・ラディンとタリバンや
アルカイダに対する掃討作戦が実行され、政権も変わりました。
この軍事行動で沢山の人々が虐殺されているとも伝えられます。

 そして最近のテロ行為の頻発。暴力の連鎖です。さらにイラクの
フセイン政権と軍事力の転覆を訴えるアメリカとイギリス、膨大な
化学兵器や核兵器の製造能力があり放置すると大変なことになると
憂慮が表明されていますが、小泉総理は外交的な努力を希望してい
て、正しい主張だと思います。

 瞋恚(しんに)は、容易に殺生(せっしょう)につながります。
そして、「邪見」は仏法に説く因果の道理を無視する妄見のこと
ですが、「邪慳」の文字通り、思いやりがなくて無慈悲なこと、
意地悪でむごいこと、と受けとめても間違いではありません。

 邪見・邪慳・邪険のどれをとっても、前に「不」を付けると
平和になります。
 邪見は大変に良くないことです。難しく考えなくても、相手の
立場で考えて、思いやりの心を持てば、邪見にはならないものです。

 現在の世情は経済的構造的邪見を生み出しているように思います。
リストラや肩たたき、倒産など、加えてバブル期の借財のツケが
回って来て、人々の心がぎすぎすしています。
 大企業や有能な政治家などの不祥事の続発で、何を信じて良いか
分からない難しくて厄介なことになりました、一人一人の倫理観が
大切になります。

■隠蔽(いんぺい)は必ず破綻を来たします。間違いや危険なこと
 など、利益の粉飾などをしてはなりません。美味い話はありません。
 高利息の投資は、高い危険を予知して、泣かないで下さい。

■不慳貪 不瞋恚 不邪見は心についての戒律で十善戒の中で基本
 となるものです。難しく考えず、「優しいと言われるような人」
 になるよう努力すれば大丈夫です。不安の無い毎日になります。

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鈴の法話 2002-10月号-3

 十善戒を他人を批判する根拠としない
        自分自身で護持して「菩薩の道」を歩むこと

     有能であればあるほど戒を持つ
         決断力の大きな人にも戒が助け

 私は、観音院の法主(ほっす)とたてまつられていますが、権限は
一切持っていません。もしも代表者として存在すれば、観音院の流
動財産くらい半日で施すことでしょう。頼まれれば、入居、進学、
借入などの保証人に際限もなく印鑑を押します。
 信用されていますから、資本金五億くらいの会社を設立すること
など何でもないことです。こんな傾向で、一歩誤ればGOグループ
のようなことになりかねない危険性もあります。

 権力を持っている人ほど、信用が有る人ほど、成功している人ほど、
力がある人ほど、精力に溢れている人ほど、十善戒は必用不可欠と
言えます。
 特には政治家、経営者には是非とも十善戒を心中にして頂きたい
と切実に感じることが多い昨今です。

 私は、お金を貸したり、借入の保証、推薦など一切の行為が不可
能で、一人で行動はできない、居場所は常に連絡して、行方不明に
もなれません。私の行為の百パーセントは監事を始めとして、役職
員が責任を負うことになっていて、教義を説く以外に、私の責務は
無いと規則が定められています。
 権限が無いから、責任も無い、当然のことですが、法律的には
禁治産者と同じで、気楽に宗教や倫理の世界の中に浸かっていれば
万全です。あまり気楽では無くて心配が無いと言い換えます。

 観音院は信徒さんのもので、信徒さんが運営する、経理も役員会
も完全公開は、自然な成り行きです。
 住職は、役員会の決議を執行するだけで、事後承認なんてことは
有り得ません。
 観音院を良くするも悪くするも、信徒さんの代表の評議員や責任
役員、監事しだい、この制度は固く維持してください。

 外部の人は、法主や住職とアポをとって何か商売されようと考え
られても話になりません。当事者能力が無い。
 役員の代表と話をしたいと希望されますと筆頭責任役員は弁護士
さんですから「法律事務所」が表に出られます。

 観音院には特別な勘定科目「職務公正執行供託金」が約二千万円
現金で積んであります。脱税とか、経費など不正と思われる支出が
あると、その金額の倍額がお寺の収入に自動的に入金振り替えされ
ます。これは、私が住職退任に当たり、明瞭会計を願って個人資産
を入れたものです。
 万一不正があれば、その金額の倍額が寺の収入になります。この
制度のもとで変なことをする人は、常識では考えられません。強い
抑止能力があります。

 私は、十善戒に仕えるもので、空気のような存在てす。ふつうは
存在を感じられなくても、汚染されれば、全体に迷惑を掛け、清浄
(しょうじょう)であれば、知られることも無い存在だと自覚して、
自身を制御しています。
 その上で極めて嫌悪すること、絶対に受け入れられないことが
あります。それほど難しいことではなく「他人の悪口、告げ口、
人の評価」などに類することです。

 私に関する毀誉褒貶は、痛痒を感じません。ご批判は世間の自由
で、誹謗中傷と言えども、痛みを感じません。
 人を評価する必要がある時は、世評とか、知人の評価、役職員の
評価など一切参考にしません。会って、話して、一緒に食事して、
それから暫く時間を置いて、よくよく考えて決めます。

 大概のことには対応できますが、いわゆる妄想には対処できませ
ん。
 噂話にも活字にも左右されません、過去の評価より、これからの
付き合いで判断します。この世の過去に、悪人も善人もあったもの
ではありません。
 将来に渉っては、人は善人にも悪人にもなる可能性があります。
 結論から言えば、他でどのように悪く評価されている人でも、私
にとって善い人は有り難い人です。
 このような評価は世間一般に通用しません。ですから他人を推薦
する資格が私にはありません。
 最近、自己責任ということが金融機関などを選択する場合に問わ
れますが、人を選ぶのは、自己責任そのものです。
 過去のことは、自慢話も反省も失敗談も愚痴も、聞きたくありま
せん。済んだことは、改善も助言も、遣り直しようもありません。
他人の過去の経歴も興味ありません。

 私自身の存在もあまり興味はありません。観音院の歴代の住職に
名前を連ねることも避けたいと思います。
 やがて現世を去る時が来るのは自然な成り行きです。その時は、
静かに、居合わせ人だけで見送り、誰にも知らせる必用はありませ
ん。魂魄(こんぱく)をこの世に留めて、皆さんの幸せを見守り、
できれば守護したいものです。

■十善戒は、易しくて護持し難い徳目です。弱者に押し付けること
 は如何かと考えます。むしろ、力ある強い人や過ち多き人が大切
 にされると良いと思います。必ず過ちが少なくなるでしょう。

■過去を語ると人を傷つけ、自分を傷つけることが多いものです。
 過去のことや昔のことを問題とすることは、邪見なことです。
 将来の話も無駄が多いですね。明日をも知れぬ身なのですから。

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