浮いて喜び、沈んで嘆くのは普通のことだが

なんとも世の中は思うようにならないもので、この不況下でも儲
かって仕方がない人もいれば、八方塞(はっぽうふさがり)でにっ
ちもさっちも動けない雪隠詰めのような人もおられる。

 真面目に働いて、何が悪いのか、障りか祟りでもあるのではと当人
が悩み苦しまれる場合もある。
 善事をなす人が必ず幸せになるという保障はなく、悪事をなして
も繁栄することがあるらしい。
 善事といえども、これに拘束されて、ひどく執着するならば、悪
事をなすより他人に迷惑を掛けることが生じるのは珍しくない。

 人間の浮き沈みは如何にして起きるか本人も家族もわからない。
 幸運とか運が悪いことは全く説明もできないし、人は抵抗するこ
ともなさず流れに身を任せているような感じがしてならない。

 さりとて、運が悪いと嘆いていても良くなるわけがなく、より運
が悪くなるのが普通のようだ。
 毎年十二月より開運厄除けの法要を執行しているが、本当に運が
良くなったとお礼参りをされる人が多いのは有難くも不思議なこと
と言わざるを得ない。
 観音院のみ仏さまは厄年厄除け願望成就のご霊験で広く知られて
いて、年末年始は大変である。

 先般の法要で法主が願意の中で「本日参集の善男善女人がテロに
遭わざるよう、炭疽菌に遭わざるよう、事故、不渡りなどに直面せ
ざるよう・・本尊ご守護あらんことを」と述べておられたが、願意
も時代を反映して信徒さんの気持ちを代弁されている。
 特に大晦日や節分などには祈願の山となるので、早めにお申し込
みいただきたい。
 み仏さまに熱祷(ねっとう)を捧げさせていただくことをお約束
する。

幸運に恵まれる

観音院の「万倍稲荷」さまは「世のため人のために尽くしたい」
と祈願を立てれば、福徳知恵を万倍に育ててくださることから、
俗に「万倍」さまといわれ、ご本地(ほんじ)は薬師如来さま、
お姿は「宇賀神(うがじん)」さまで、稲穂の一粒を祠(ほこ
ら)として鎮座(ちんざ)まします。

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