法主さんの許容の範囲は見当がつきません

観音院は信徒さんのもので、私(法主)や住職のものでも無いし、
住処(すみか)でも無いと言っておられますが、公益を目的とする
宗教法人でも、職員が甘えると大変なことになります。

 早い話が、寺の備え付けの物を職員が自由にすると経費が大きく
なります。もう二十年も昔のことで、時効にかかっている笑い話で
すが、寺の備品から文房具、トイレットペーパーのロールまで持ち
帰る、パソコンを持ち帰るなど、これは行き過ぎの行為ですね。

 車両も四台の内三台は、法主さんと住職さんが、購入費も維持費
も負担されています。車両を使用する上で、公私を峻別することは
困難です。
 観音院の公用車としてはクラウン・マジェスタがありますが、
法事やご葬儀、来客の送り迎え、お寺の法主や住職の用件で運用す
る場合がほとんどですが、途中で買物をしたり、来客の送迎も個人
的な友人で寺の用事では無い場合もあります。
 このような公私混同は当然起きがちです。これを防ぐには、個人
の車両を最初から提供してあれば、個人の車両の公的使用が多く、
例え公私混同があっても、公的使用が絶対に多く、寺の物を私的に
使ったとは判断されません。
 公私混同を防ぐことは、宗教法人は勿論のこと、会社や団体など
でも大切なことで、疎かにできません。

 法主さんも住職さんも、夫々(それぞれ)自宅がありますが、
多忙で帰宅される時間もありません。それで法主さんはお寺の中
の管理室の六畳、住職さんは十畳の部屋に、年中、宿直待機され
るほど多忙にしておられます。

 観音院は原則として交際費は認めません、法主さんも良く出張
されますが、旅費や日当、宿泊費は、ほとんど請求されません。
信徒さんが負担される場合もありますし、大半は法主さんの自己
負担です。
 個人使用の日常品や食品、トイレットペーパーなどは、勿論、
個人で負担される習慣です。

 法主さんは貯蓄する習慣が全くありません。定年がないので、
老後の心配をされないのかもしれません。寺に必要な物でも稟議
されていない支出は全て負担されて、お寺に寄付される習慣です。

 もしかすると金銭観念が無いのかもしれません。これは遺伝的
性格かもしれません。先代が遷化(せんげ)された際も貯蓄らし
いものは一切無かったそうです。
 先代は生涯に一度も嘘を吐かなかった僧侶として世間に知られ、
温厚そのもの、と古い信徒さんがたに聞きました。
 法主さんは気性が相当に激しい方で、住職(いんじゅ)さんの
方が先代に似ておられると言う評判もあります。

 法主さんは、僧侶は信徒の皆さんに帰依(きえ)されなければ
ならないと、常に努力しておられます。仏教徒は三宝に帰依する
ことが前提になっています。
 三宝は、み仏さまと仏法と僧侶のことです。み仏さまと同列に
置かれる僧侶は当然に信徒さんに帰依される価値ある存在でなく
てはなりません。

 信徒さんに帰依されない非行破戒のある僧侶は、僧侶ではあり
ません。
 み仏さま代理としての立場にあり、仏教徒の前提として帰依さ
れるに相応しい僧侶であること、帰依(きえ)とは深く信じて、
その教えに従い、その威徳を仰ぐことで、帰信と言われることも
あり、それが「仏法に帰依する」ことの一つの条件なのです。

 「十善戒」はその入り口です。それを護持(ごじ)し、堅持し
ようと願われる法主さんは、優しいだけでは不可能、常に自分に
厳しく鞭打っておられる修行者です。

 十善是菩薩道場(じゅうぜん これ ぼさつのどうじょう・十善
戒を生活に取り入れる人は菩薩の道を歩んでいる)という言葉は
慈雲尊者が説かれました。

 法主さんは慈雲尊者を師と仰ぎ、その教えを生涯の事業とされ
ています。
 かつて十善戒について法主さんほどその時々に説かれた僧侶は
ありません。多くの方々が法主さんの弟子となり、十善戒を日常
で説かれています。
 法主さんは慈悲深い方です。それは、愛とか、博愛とか男女の
睦まじいことでもありません。相手の立場で考えて、真実の深い
思い遣りをもつことです。

 観音院が大切にしている情報開示も、説明責任も、経理の公開
も、世襲制の廃止も、信徒さん代表の運営体制も、十善戒の解釈
から出てきたものです。

 男女の平等も、差別の絶対に無い寺も、十善戒の教えに依って
実現しました。
 法主さんは死刑に反対です。被害者の感情を思うと、仮釈放の
無い無期懲役が相当と考えておられます。単純な死刑反対論者で
はありません。
 人の執着とか怨念(おんねん)も理解できる人です。
 禁煙にも賛成の立場です。だばこを一箱千円くらいにすれば、
税収も落ちず喫煙する人も激減すると考えておられます。
 人々のささやかな嗜好品まで厳禁すべきとは考えておられません。

 極めて現実的な面ももっておられ、最近は、同じ間違いを再三
やって、例えば、スピード違反のような法律に触れることとか、
守秘義務が理解できない職員まで庇われるような傾向は無くなり
つつありますが、仕方ないですね。

■法主さんは、腹を立てず、悪口を聞かず、告げ口嫌い、という
 人柄ですが、これでもか、これでもかというように、間違えを
 繰り返されると、時として愛想が尽きられることもあるようです。

■仏の顔も三度と言う諺がありますが、法主さんは十回くらいは
 持ちこたえておられるようです。しかし困った人はいるもので、
 これからどのようになるのか、心配もありますね。

 文責・観自在編集部

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