法主さんの経過年齢と精神年齢の違い

経過年齢と精神年齢は一致しないものです。法主さんの交際範囲
は、二歳くらいから上は九十歳を過ぎた人まで範囲がとても広く、
好奇心がいっぱいで、新しい技術にも果敢に挑戦される方だと思い
ます。広い範囲の知識を浅くではなく深く探求されているようです。

 パソコンに強いことは以前より世間に認知された事がらですが、
宗教法人法等にも詳しく、簿記にも強い、何を聞いても丁寧に教え
てもらえます。それでいて、僧侶は医者のように病名や寿命を告知
したりしてはならない、弁護士のように法律に基く予想や判断をし
てはならない。—-要するに、専門家のように専門的な話をしては
ならないと強く止められています。専門的な事は、専門家に指導を
受けるべきだと考えておられます。

 法主さんは、健康そうで、大量の手紙の返事を書かれたり、色々
と業務をこなされます。
 東京事務所の設置については、場所も広さも、全て他人任せで、
一旦委任された事は「かれこれ」と文句は付けられません。「縁」
と言うことを大切にしておられて、色々な出来事を有り難いことと
受け止められているのです。

 他人を恨んだり、過ちを指摘したりされることは、苦手のようで
す。
 済んだことや過去の出来事は、善悪を問わず忘れてしまわれる。
来る人を拒まず、去る人を追わず、物にも人にも執着されない、
楽な日常を過すよう生涯設計をしておられるのでしょうか。

 計画性は零だと思います。日々が大切で、取り越し苦労などはさ
れません。
 約束はされません。何時でも何かに対応できるよう時間を空けら
れています。「ご縁があれば会える」、「ご縁が無ければ会えない」
と固く信じておられ、約束事の塊のような立場に就かれることは、
決してありません。

 出張は思い立った日が吉日、出たい時に出て、帰りたい時に帰ら
れます。
 移動は昼間にして、朝夕の交通混雑時には出掛けられません。
先般、電車に乗られて、若い人から席を譲られて、高齢者に見える
のだろうかと、ショックを感じておられたようです。

 年を取られたことは自覚しておられ今年正月から「礼儀正しさは
止める」と宣言され、食事の際に食卓に左手の肘をつかれるように
なりました。
 箸は面倒で、なるべくスプーンだけで食べれるよう調理して欲し
いと望んでおられます。馬鈴薯入りお粥の上に漬物も大根下ろしも
オムレツも全部を混ぜ合わされて、少しでも多いと残される、昔は
米粒一粒も残さず食べられていたのですから、確かに美しい姿に
こだわられない、食事作法は無視です。

 無理なことは絶対にしない、断固として無作法にしておられます。
 夜九時には横になり、朝七時に起床することを厳守しておられま
す。旅行の際も荷物をできるだけ少なくされています。

 専門雑誌は沢山読まれます。娯楽雑誌は中公と文春、時々は読ま
ずに払い下げされます。新聞は日経だけ、株式欄には興味が無いよ
うです。
 業界紙には全く興味がありません。観音院の運営は、日本中のど
の寺院と比較しても最高の水準と透明性を有し説明責任も果たして
いるからです。
 収支は、常勤の監事が監督していて、公開という非常識と言える
ほどの態勢と自浄機能を有しているからです。
 ホームページで貸借対照表と収支計算書を公開しているところは
他に有りません。このような運営はいずれ他の法人も見習われるで
しょう。良い事は率先して取り入れる方針です。

■万一不正がなされた時は、業務執行の公正を保証する供託金
 を法主さんが既に寺に預けておられ、不正の二倍の金額が寺
 の会計に振替えられます。交際費は一切認めていません。

文責・観自在編集部

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