法主が「門前の小僧」をやります

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。

 年を重ねただけで、人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。

 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

 年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く
希望ある限り若く
疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
失望と共に老い朽ちる
 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が、人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

■マッカーサー元帥が座右の銘としていた、無名の作詩家サムエル・ウルマン(Samuel Ullmann)氏(アメリカ)の『青春』の詩が見出された経緯について少し説明しましょう。サムエル・ウルマンの「青春の詩」をじっくり、味わってください。

 実は高校の同窓会で幹事の加藤幹事さんからもらいました。以来私の座右の銘として机の上にあります。

 この詩はサムエル・ウルマンが七十代で書いたそうです。

 青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。

 私は、これに「前向きな好奇心」を加えました。

 まだまだ「観音院」について、熱い情熱を持っています。何時も何か考えていて、「驚異への愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。私のことを謎だと言う人が多いのですが、これで少し理解して頂けましたでしょうか。

 iphoneやらiPadそれに最新機種のMACやらそのノート。Windows7、WindowsVistaやXP、用途別に3台のパソコンを使っています。

 印鑑を彫る機械は四百万円、レーザープリンタは七百万円しました。全部稼働しています。信徒さまの役に立ちたいことから必要性が生じ、好奇心が機械を動かしています。勿論、冒険心も勇猛心も少しは関係しました。

 昨年の五月に心臓と下腿動脈にステントを入れましたが、不安は全く有りません。経過と余後もとても良い、多分十年は心臓では死なない。歯も歯根を見つけて、歯が五本生えた。最近は医療の進歩が凄いと実感してます。

人は信念と共に若く
希望ある限り若く
疑惑と共に老ゆる
恐怖と共に老ゆる
 百五十歳まで生きたい欲望を持って居ます。したい事や、やり残した事、やり始めたい事が山ほどもあります。

 困難も、山ほどでは無く丘ほどはあります、これは乗り越えられる。

 種屋さんに行って何か買って来よう。芽を出して、葉が出て、茎が伸びて、花が咲いてと考えると楽しい。

 疑惑や恐怖は完全に無くなった。死ぬことも怖くない。遣りかけた事は、生き残った者たちが何とかする。仕事は若い人にも作って置かないと。

 観音院を継いだ人は、沢山の雑多なものに驚くだろうな。それは良い事だ。

 沢山のデータや画像は普遍的で繰り返し使えます。生涯使い回しても使い切れないほど資料があります。

 私は未来を創っています、大体の路線も決まり、未だ本格的では無いけど、道筋は付けてあります。私が指示しなくても後はその人がやるでしょう。

 昔「小さな親切」運動みたいなものがありましたね。個人的に良いものですが、親切や慈悲は、大々的にやらなくては「継続」できないものです。私は、大量の慈悲を施しました。そして現在が有ります。親切は人を育てます。

 観音院は世襲では有りません。弟子が相談して住職を決めて下さい。

 観音院は到底一人で管理出来ません。現在七人でやってます。僧侶四人と受付三人で豊かな空間があります。

 生涯を掛けても読み切れない沢山の書籍もあります。寺は沢山の電算機が用途別にあります。

 観音院は、何事も成し遂げる時は、健康でないと身体が保てません。

 観音院は慈悲深い僧侶でないと自然と排斥されるでしょう。

 電算機は出来なくても良いが、効率良く仕事をするにはどうするか、という思想が必要です。後は専門家に依頼すると良いでしょう。

 私は鈴之僧正と呼ばれていますが、これは青年期に金剛山脈を跋渉した時に動物除けに鈴を持ったのが始まりです。日常持つと品行が方正になります。

 寺で飲酒は禁じます。酒は人を狂わせ不可解な事をします。喫煙は部屋や什器備品に膠(やに)を付けます。

 飲酒喫煙癖の無い人で寺の後継者を固めて下さい。専念できるようになるべく親族の少ない人が良いですね。

 寺には親戚縁者は居ませんが、格別の人に何かするに、決して寺の金品や什器備品を与えてはなりません。

■私は、寺から大切にされ過ぎた。今年は初心に帰って、門前の部屋を改装して出来た「大日堂」で暮らそうと思いました。

 床は御影石だから相当に冷えそうですね。寒くなったら、三階の自室に引返すかも知れません。

 周囲は、金から金で眩しいです。ここは、大体は、無縁と言うか、親不孝と言うか、供養もろくにしてくれないと心配している人達のご供養をして上げたいと、慈悲で考えて始めた事です。

■外観は一切変更はありません。「全てに愛を光と祈り」が標榜する精神です。現在、住職夫妻が市役所の保健所の「何とか墓地課」に出かけては手続きしてますが、許可が無いと納骨は駄目だということで、手続きをしてます。

■観音院からすれば一部改装なんですが、この大日堂を設けるために、特別会計を作れといわれます。

■観音院は四百年以上続いた寺で、信徒さんは数万を超えるでしょう。一部屋の納骨堂を維持するのに、年間大体一億円の施入金があり、毎年一回、リーガロイヤルで役員会を開き、責任役員十名、常勤監事が三名、評議員が五十名の寺院が、霊廟や墓地の年間使用料を取れとか、取って貰わないと経営が安定しないとの御指導ですが。

■近所五十メートル以内の住民から意見書を貰う必用があります。正月には大体出来上がっていて、欄間(らんま)と冷暖房とケーブルテレビとパソコンのランを引いてもらえば完成です。お役人さまの言われる事には逆らわない方針ですが、相当見事なものです。

 第一、最近は子供が苛められる際に、直ぐ飛び込んで来れる場所です。見掛けから皆さんが如何判断されるか知りませんが迷惑施設ではありません。容積から計算して二台分の駐車場が必要だそうです。二台分を指定しました。

■内部の調度は、私が自室で左右に置いて朝夕拝んでいました大日如来さまが十八体、平安時代の作と伝えられる通称「出世薬師さま」と、大仏師の松久宗琳様が彫刻された「阿弥陀如来さま座像」と、仏法を守る「阿修羅さま立像」がまつられます。

 台を耐火金庫にしたのが悪かった。一寸見たら霊廟に見えます。ここは絶対に販売しません。当分は私の応接室です。

 お参りの方が寄られると、二個か三個の甘露飴を上げます。飴くれるお坊さんとして、小学生がお友達を連れて来ます。先般は、子供と気軽に話すことが出来ました。「和尚さん、如何して頭を禿いでるの?」「飴くれる禿げ」と言う子供たちもいます。

 大日堂の前にまつってある日切地蔵さんを指差して「あの真似をしとるの」と言ってます。

 近所の子供の母さんが「いつも済みません」と言って甘露飴大箱を下さいました。

■金箔を張った金庫に、甘露飴が一杯入っています。

■正面には両部曼荼羅が吊るされ照明はLEDです。LED電球は公称四万時間持つそうです。

■まあ私が死んだら、此処を幽明異にする場所として、死んだ人の道案内をするつもりです。

■お薬師さまの直ぐ下には、私の骨を入れてもらいます。私の側なら安心だからと、分骨や納骨もしたがる人が出るかも知れませんね。

■私を大切にするのは、言わば、観音院の本来の目的みたいなものです。だから取りあえずは墓地課に足を運んで、私の骨を納められるように手続きはしておいて下さい。墓地課長さん宜しく頼みます。

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