求職者にも採用担当者にも是非とも読んで頂きたい

 東京担当 観音院 責任役員 加賀 博[僧名勧善]さんがPHP研究所から素晴らしい本を出版されました。「就職指導のプロが教える 採用を勝ち取る「キャリア形成法」定価千二百円(税別)です。加賀さんは一九七二年慶応義塾大学卒業、これまで千社以上の人事・組織開発を手掛け、早稲田大・立教・法政・大正・電気通信・創価・千葉・千葉商科・千葉工業・千葉経済・神奈川・山梨学院・三重・九州国際・沖縄大学など、数々の大学で就職対策講座・キャリア形成講座を担当され、たくさんの著書もあります。就職やキャリア形成は、皆さんの生涯を左右すると言って差し支えありません。皆さんも是非この本をご購読下さい。
 この本は読めば、結婚したのが、一生の凶作か大変な豊穣の大地を得たのか、分かりますよ
 そればかりか、信頼していた社長や専務が、実はとんでもない組み合わせだったりして、「人の出会いの大切さ」と「人生設計」が如何に大切か、理解出来ます。
 相性が良い、何故良いか、相性と言う不可思議なものの実態が理解できます。「相性」は求めて得られるものである人が理解出来る。能力が付きます。
 この本を熟読し、理解できれば皆さんが苦労しておられる人間関係の出会いの不幸を除くことが可能になります。 お見合いにも応用出来ます。人生の様々な場面で、応用が可能になります。 就職することは、営業の初対面で、友人との出会いで、官公庁の許認可をを得る上で、何かの会に参加する上で、ホームページを造る上で、報告書を書く上で、手紙を書く時、人生の様々な場面で「有用な鍵」が説かれています。
 生きて行く上では、今までの生き方、経歴、それを維持する「倫理観」が、必要になります。
 人生は生涯勉強です、勉強する生活の中でどのようなことに注目するか、それにどう興味を持つか、興味から何を期待するか、期待を実現するために何を記憶し、どう判断するか、それから行動に移せば、幸せが得易いのです。
 学生生活を送る上で、社会人としても、非常に大切な「習慣」ですね。
 私は就寝前にしばしば瞑想します。
一、何か気付いたことは、対策は。
一、どう行動するか。
一、御仏さまに願う、
一、より具体的に願う。
一、成就した状態を瞼に浮かべる。
一、拝み方が上手になる。
一、実際に瞑想の効果が出る。
 加賀さんもほとんど同じ事を著作で丁寧に説いておられます。
 私は七十一歳ですが、常に自分を知り、新しい自分を創造すること。将来を設計し、社会との関係造りを考えています。これは煩悩ではありません。
 この本はビジネスマナーからメールの書き方まで言及してあり、一日千通のメールを返信する私にも随分と参考になりました。
 一日二十万のアクセスを持ち宗教界三千七百のサイトの中で一番の人気を持つ私も大変参考になりました。
 あまり詳しく書きません、それより買って「座右の書」にして下さい。
 良い本と出会え、良い影響を受けることは、人生最大の読書の幸せです。
 就職活動の成功法則は、営業や進学、お見合い、人間関係、生涯の生活の全てに共通する法則です。
■加賀さんは、十一月の十三日と十四日に観音院で得度される方、十数名を引率されて 広島 観音院に来られます。大変に忙しい方です。私の非常に大切にしている方です。
 宗教的にも相当の先達です。霊感も鋭く、将来が楽しみな人です。
 観音院は多くの宗教者によって支えられて今日があります。加賀さんは、私の最も頼りにしている相談相手です。何時か皆さまに講演を聴いて頂く機会をつくることを約束します。
■十一月十三日・十四日に集団得度式を執行します。支具料は十万円です。法衣や足袋などの寸法、メールアドレスを添えてお申し込み下さい。
 付ける戒名が異なりますので、結縁のためか、僧侶として修行をしてみたいのかお知らせ下さい。
 十三日は得度の説明、十四日に得度式を執行することになっています。受戒をお勧め致します。

供養や祈願の前に 罪障懺悔が大切
日々自分の過去を悔悟してから礼拝

 私の言う「罪障」は、キリスト教の説く「原罪」とは大きく異なるものです。
 不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見 —- これらの十善戒に触れる行為の一切を指します。
 これらを犯すことによる 一切の罪(つみ)と障(さわ)りをさします。知ると知らざると、気付かずに行った罪障(ざいしょう)の一切、私自身のこと、信徒の皆さんを含めて、一切の罪障をみ仏さまに懺悔(さんげ)し、その罪障を、み仏さまのお力で清めて
もらうことから始めます。
 贖罪(しょくざい)の思想でもあります。世のため人のために幸せを願うために、自己の幸せを願わず一心不乱に礼拝(らいはい)します。
 礼拝瞑想は命懸けでないと霊的不可思議な力を発揮出来ません。
 罪障の無い人は皆無です。私を含めて皆さんは、十善戒の一戒にでも触れていないと言い切れる人は、悪人そのもの、と私は考えています。
 同時に、如何なる悪人も、反省懺悔(さんげ)することによって み仏さまの力で清められるものです。ただし、日本人の多くは「罪」と認識すべきことを「恥」と誤って受け止めていて、世の中に知られなければ罪では無いという誤った考えもあります。
 私が不思議に思うのは、その人の過去や世間の評価は別にして、私に対して悪い人は絶対にいません。
 憎むとか恨むような人は一人もいないのです。これは幸せなことです。
 このような状態に長く置かれると、憎悪とか嫉妬とか、腹立ち恨み、報復と言うような感情が無くなります。

 善意の人に囲まれている気持ちはとても幸せなものです。他人さまの祈願ををなし、供養することは、その人の知ると知らざると犯したる一切の罪障の全てを引き受けることです。
 これらは心身共に相当辛いもので、その辛さを覚悟しないと引き受けられません。それが淡々と引き受けられるようになれば一人前の礼拝供養を引き受けられる僧侶と言えます。
 私はこれらの代償を払うことは当然のことで、誉められることでも、誇る事でも無い当然の事と思います。

 このような事を書くのは、たくさんの弟子を持つ立場ですから、教育の意味もあるからで、喋ったり恩着せがましく言うことでもありません。
 人は生まれて来れば必ず死にます。苦楽はあるのが当然です。
 僧侶にとって必要不可欠なことは、来世観を確立し、人が過(あやま)ち少なく人生を過ごし、葬儀を執行するに当たり自信を持って引導(いんどう)することです。
 確固とした慈悲と死生観を持たない僧侶は人を導く資格を欠き、況や葬儀を執行することも供養をする資格も無く、葬祭に関わってはなりません。
 あの世はどのような所か、死んだら霊魂はどうなるか説明できなくては、何処へ引導されるのでしょうか。
 前世も今世も来世も連続していて、その中を輪廻転生しているのが皆さんです。地獄極楽は有りません。この世に地獄も極楽もあります。
 前世が知りたかったら、今のあなたの境遇から考えなさい。来世は、今世の行為しだいです。「供養」は、来世で善き人との出会いがあることを期待して行います。

 黄泉(よみ)の国は黄河下流に発生した思想で、閻魔(えんま)さんは悪事をたしなめるための妄想の存在です。三途の川なんて有りません、渡し賃は不要なのです。強いて言えば「死」が三途の川に相当するでしょう。
 近年、葬儀の場でよく言われることに、人が死んだら「天国」に行って、その上方の天国から下の人々を見守るなんて有り得ません。
 土を下に掘っても地獄が無いように、上空に天国は有りません。ジャンボジェットが飛び交い、衛星まで打ち上げる時代に、中世以前の世界観で生きる事は、真に滑稽だと言えましょう。
 臨死体験や死んだら、綺麗なお花畑だったと言う話は眉唾です。花は年中咲くものでは無く、種、発芽、成長、開花、交配、結実、土に落ちるを繰り返していて、仮に綺麗なお花畑があったとしたら、過去の記憶の展開か人工的な咲いた花の陳列です。
 巨大な向日葵の花畑は観光用に比較的開花時期の長い向日葵が植えてあるだけで、冬には何も有りません。
 花は咲いていて美しく、部屋に飾り、葬儀を装飾し、病気見舞いに、開店祝いにと人生の折々に人を慰めてくれますが、花農家の大変な苦労の上に存在するものです。その多くは専門家により改良されたもので、自然のもののようで、人工的に育てられたものです。
 茎が折れたり、水が枯れて腐った花の異臭は台所の屑の腐臭と同じです。今日はここまでで終わり。

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