氷山の一角にならぬよう、偉い人に子供を育てない

不祥事が摘発されると、それは氷山の一角と言われる。本当は不祥事を起こす
企業や人はたくさん居るのだが、表沙汰にならないだけという意味だろう。検挙
されたり起訴された人たちの経歴の華麗なこと、企業も大企業が大半で、小企業
や個人経営者等はあまり見掛けない。勉強が良くできて、良い大学を卒業して、
公務員になったり、一流企業に就職して、頭角を現し、順調に地位や権力を得る
と、そこで何をするか分からない。幼少より受験勉強や塾でしごき、難関の就職
試験を合格し、偉くなって地位を得ると、談合したり、部下に不正を指示したり、
氷山の仲間入りする。政治も相当不可解です。助成金があるところは詐欺の巣窟
かも知れません。偉いとか立派とか良いと言われる人や組織や企業には、何か裏
が有ると、信じないことですね。観音院も十分に気をつけて運営してください。
観音院は皆さんのお寺ですよ
不祥事の起きぬことを願います
 寺社などは悪いことをしようと思えば、際限無く可能です。手口は簡単、皆さんから頂いた「お布施」を会計に渡さずに懐に入れれば良い。目の前をお金が動くと黙って自分のものにすれば良い。大きな金額では無いので多分税務署に摘発されることも、業務上の横領で警察沙汰にはならないでしょう。
 お坊さんに渡される金銭には誤解が有りまして、お寺に収められることを期待されているのか、僧侶個人に上げようと望んでおられるのか分からないことが多いのです。もしかすると、私個人が費消することを願っておられる人の方が多いかも知れません。
 僧侶は宗教法人から給与を支給されていて源泉徴収もされています。
 観音院の場合は社会保険も適用されていて、職員がお布施などを懐に入れると、これは業務上の横領です。

▼何でも勝手にできそうな立場ですが、何か不祥事があると、その金額の倍額を補填(ほてん)する義務を負っていてこれは厳しくきつい内規ですが、私が草案を拵えたのだから仕方無いです。
 観音院には常勤監事が居て、宴会幹事と異なって強い権限を持っています。
 帳簿は公開、常勤監事は常時閲覧の権限を保障され、不正を見つけると役員会を招集し、自ら議長となって不正を糾弾できます。加えて、その事実をこの月刊観自在の誌上に発表して公表し正す権限をもっています。
 三人の監事は、観音院の全ての鍵を使用して、部屋でも金庫でも検査し、万一監事の行動を妨げる者ある場合は観音院から永久追放されます。
 誰がこんな権限を与えたか、私が草案を考えて規則としました。この寺院の規則は私が全部を考えて認証を得て宗教法人となっているのです。
 私も監事の監察外にないことは当然です。私だけが何でも自由にできたら漫画ではなく虚構になります。
 僧侶とか寺院というものを突き詰めて考えて、腐敗や不正が起きようも無いように理想通りにしてしまいました。寺院の中心は間違いなく僧侶衆です。
僧侶と言えども人間です。人間にはそれぞれ見解があります。見解の相違で脱漏なんかが起きたら不祥事です。
 お寺は公益法人です。決して営利法人と混同してはなりません。施入金目標を立てたり、肥大化を願って運営できないようにしました。株式会社では無いので利益目的はありません。
 宗教目的に所有する不動産は非課税です。収入の有る住職という地位の世襲は非課税です。その疑問は世襲制度を廃止にして、衆望のある人が住職に就任する制度で補い、解決しました。
 ですが、世襲寺院との混同は無くならず多少疲れています。私にも住職にも、観音院を所有支配している感覚は皆無です。皆さんの望まれた決議されたことに従って業務を執行しています。
 観音院は、信徒さんの意向と慣例で運営されています。この原稿もメールに繋がっている僧侶の校閲を経て印刷する仕組みになっています。
 観音院の運営は、役員意思をメールを回して問い、諾否を決めるよう寺院規則の変更を計画しています。
 それでなくても、皆さんのお手元に観音院の運営を毎月報告していて、道を間違えるのは無理と思います。
 お弟子さんの僧侶全員が衆望あれば住職になれる可能性があります。

今後の観音院はどのようになるか
少しは予測できますが、人次第です

 先日、他寺の運営システムに触れる機会が有りました。初期のWindows 95で、寺院管理をされていて、観音院のSEに住所録八百件の入力を依頼されて三日でして上げたそうです。
 観音院の現在の技術では、化石分析か考古学をするようなもので危険です。
 Windows XPを差し上げて新しいソフトを入れて上げようかと、寺院専門ソフトを専門にしている店に行って見せてもらったのですが、財務処理が複式のものが無く、単式簿記でした。
 観音院は複式ですから、資産管理を適切に把握することができます。複式簿記や貸借対照表、損益計算書を毎日プリントしています。
 勘定科目、借方と貸方の科目、財務諸表が把握できていない人は、観音院を管理することは不可能です。複式簿記は勉強すれば理解できるもので、決して理解が困難なものではありません。
 ところで「鈴之僧正」と言う呼称は社会的公称で僧階に関係ありません。
これは私の相談者でもある加賀勧善さんに差し上げていて、鈴之僧正は亡くならない配慮をしています。
 加賀さんは「お大師さま」に篤い信仰心を持たれていて、右に出る人の存在を知りません。優れた人材です。観音院の責任役員でもあります。
(株)ジーアップキャリアセンターの代表取締役社長で加賀博(かが ひろし)さんのことです。
  http://www.g-up.co.jp/top/
 観音院には十名の責任役員と五十名の評議員と三名の常勤監事、教師総代七名の構成で、住職は代表役員です。
で、私は法律的には何の役職にも就いていません。役員会については司会者に過ぎません。評議員には毎年空席が出て、お世話くださるご意向の信徒さんは大半就任いただけます。
 観音院には檀家がありません。家は宗教をもてません。「信徒さん」は観音院の維持運営に協力する人で、住所と姓名を登録された人のことです。
 毎日参詣されても、住所姓名を登録されないと信徒に扱われません。
 親が信徒だったからといって子供さんを自動的に信徒としては扱いません。
 憲法に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する」とあります。基本的人権の一つです。
 先般、ドイツの人が観音院のホームページを良く見ますと五千円送付して来られました。経典を送って欲しいとのことです。この人は信徒です。
 宗教に関しては「先祖代々」の概念は通用しますが、子々孫々と親が強制することも配偶者に対しても無理なことなのです。選択は各自自由です。
 住職さんの子供が神父や牧師になろうと修道院に入ろうと自由です。
 観音院の信徒には、色々な宗教団体の役員や子弟、配偶者がおられます。家庭の調和が乱れないか心配ですが。
 このようなことは程度の差こそあれどなたにでも可能なことです。
 しかし私の親族に関して、私の信仰を押し付けたことは有りません。
 これらのことを考えたのは、観音院を彼岸にしたいと願ったからです。
 議員さんの子供が親の地盤を継いで議員になる。医者の子供が医者になる。弁護士の子供が弁護士になる。望ましいことですが、職業の選択も個々人の自由です。職業の世襲は多くの場合に地獄になります。
 僧侶の場合は世間一般より強い倫理道徳的な縛りがありますから難しく、「覚りの相続」なんて考えられません。私には所有の概念がありません。そのような心は相続に馴染みません。
 親切で優しいお寺を標榜して「駆け込み寺」と称されるようになるまでは、信徒さんのご協力がありました。
 しかし、親切で優しいことは、金融機関の機能は皆無ですし、営業の対象としては無理です。私は借金が一円も有りませんし、買い掛けや着払いで物品を購入したことがありません。
 僧侶は営業の対象には馴染みません。投資にも馴染みません。売り込みは全て顧問弁護士を通してお断りしています。信徒さんの売り上げに協力すると一日十億円でも足りません。
 俳優さんが総額一億円以上を損したという資産運用コンサルタント会社などにも信徒はおられました。
 知り合いが居られても公私とも金銭は動かしていません。損失は一切ありません。監事は健全に機能してます。
 僧侶を相手に、営業や売り込み、プレゼンなどをなさると、基本とすべき静謐が壊れて尊厳が破壊されます。
 最近、静謐を保つ上でとても危機感をもっていて対策を立てる必要を痛切に感じています。
 私は観音院の善意で、無防備です。善意に触ることは容易です。私は鍵を掛ける習慣がありません。立ち入るには十分注意して壊さないでください。
 静謐が乱され尊厳が侵される傾向は私の去就につながります。特定の人を指していません。十年来の傾向です。
 観音院は現代の此岸の中の「彼岸」として存在します。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見という、「十善戒のお寺」として、年中無休、一日三座の法要が粛々としてなされることを確信します。
 彼岸を遠くに置き、中に業煩悩の川を置いて、悲観する必要はありません。
 人の心を二者択一にするのは間違いです。何方さまでも善悪両面を持っておられ、なるべく善事をなす心に傾いて行動することです。

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