檀徒とか信徒は何をもって称するのでしょうか

寺で一番困った存在は、一部の檀徒(境内に墓所がある)です。先祖か、親が、厚い仏縁をもっていて菩提寺と定めて、その寺の檀家になった。
 檀家は、本来は寺と親子のようなもので、葬儀に関わらず、婚礼にも僧侶を招き、僧侶と家族の縁を結んだものです。
 檀家は、旦那寺の維持運営に責任が有り、寺の運営の根幹をなすべき存在でありました。
 観音院は、寺で生活指導を受けて、可能であれば得度を受けて戒を授かり正式な「信徒」として、お寺の運営と維持に関わる人を大切にしています。
 檀徒という概念はありません。寺の法要に参加せず、本尊さまも礼拝せず、親や先祖が功労者でも、信心が無い人は何の関係もありません。
 信教の自由は憲法で保障された基本的人権なのです。
 得度(とくど)には二つあります。出家して僧侶の席に連なる人と、仏縁を結ぶ得度で結縁(けちえん)を求めるものです。どちらも、仕事や家庭を大事にするという基盤のもとです。
 結縁は、従来、何となく寺に出入りされていた人は内縁関係みたいなものですが、得度すると正式に入籍するようなものです。
 僧侶になる人には「僧名」と「寺名」が授与されます。
 結縁は「生前戒名」が授与されます。
 得度は同じで、法衣・袈裟・数珠を授かります。僧侶になるには紫衣とか八条袈裟とか、五鈷とか散杖など色々と必要で、最低でも三十万円必要です。
 結縁のための得度は、支具料十万円です。異なるようですが、将来僧侶を目指されるか、信徒のままでいるかはご本人の自由です。
 正式な僧侶として活動するには、嫁入り衣装を作るくらいの費用が必要です。法主さんの納衣(のうえ)という豪華な袈裟(けさ)は皆さまの寄付ですが壱千万円くらいです。
 得度を受けることは、皆さんが出来る最大のご供養で、七族の罪障を清め、先祖代々の最高の供養となり、ご本人には本尊守護の約束があります。
 得度を受けることは、十善戒「不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見」の戒律を、なるべく守ろうと努力する約束が必要です。
 観音院は世襲制では有りませんので衆望がある弟子は観音院の住職になれる可能性がある資格を持ちます。
 法主さんの弟子で僧侶らしき人は約二百人で今後も増加の傾向にあります。
 観音院は既に本山機能を持っていますが、包括団体の認証を受けることを検討して準備中です。
 僧侶養成講座を持っているのはそのような理由からです。既にたくさんの僧侶がおられ、精進しておられます。
 観音院の僧侶は平等で、僧階は作らない方針です。紫衣の許可等は僧階や年数で無くて、実際に着用の必要が生じた僧侶に出しています。
 法主さんが目指しておられるのは、僧侶ではなく、聖[ひじり]と仰がれるような人の養成です。
 聖者の資格は、与えられるものではなくて社会が認めてくれるものです。

 鈴之僧正の呼称は、大僧正とか中僧正と言うような単純なものではありません。日常に中で鈴の音を立てることによって、周囲に「私が居るよ」と皆に知らせるために、腰に鈴を二つ常時付けられていたからで、存在する以上、鈴之僧正にも見たくない光景や聞きたくない話もあります。
 世間の皆さまが法主さまを尊称し、或いは親しみを込めて「鈴之僧正」と呼ぶようになりました。
 鈴之僧正とインターネットと検索すると、沢山の関連サイトがあります。観音院も超有名サイトになりました。
 その鈴之僧正は名前にも執着しておられません。実は観音院の東京担当・責任役員の加賀博(僧名・勧善)さんに「鈴之僧正」の名前を差し上げておられます。
 加賀さんは著名なコンサルタントで篤く弘法大師を尊崇されています。
 鈴之僧正は史上最大の十善戒の解説テキストを書かれています。四百字詰原稿用紙にして二万枚に達しています。

 慈雲尊者は「十善 是れ菩薩の道場」と言う言葉を遺しておられます。
 慈雲尊者は千七百十八から千八百四年(享保三~文化一)江戸時代末期の学僧です。『十善法語』十巻が、法主さんに強く影響しました。一宗に拘泥せぬスケールの大きな著名な僧侶です。

 法主さんの包容力の大きさ、慈悲の大きさは計り知れません。所有欲は全くありません。貨幣経済の中で僅かな現金と必要最小限度の私物と狭い部屋に住んでおられます。私物と言うのも実際は皆無と言って良いでしょう。 
 接待で料亭などへも皆さま方と気軽に行かれますが、食べ物には特に好き嫌いはありません。
 飲酒は一滴もなされません。テレビも殆どご覧になりません。ラジオも聞かれないようです。読書は良くなされているようです。人の意見は襟を正して聞かれます。ご意見やご要望があれば遠慮無くお話下さい。

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