桃の天然水は消費者を誤解させる表現、仏教も極楽も昔からあるが天然ではない

お釈迦様の臨終を絵画とした涅槃図は、観音院にも立派なものがあるが、涅槃寂静に際し、多くの弟子たちや動物までもが集まって悲嘆にくれている。それは事実だろうが、お釈迦様の通夜に読経がなされた事実は無い。なぜならば、未だ経典は無かったからだ。

釈迦牟尼世尊の成立は後の世に釈迦の説かれた文言のすり合わせがなされて、それが発展して釈迦牟尼世尊より「如是我聞」という形式として伝えら中国から日本へと、仏教として伝えられた。鈴之僧正さまのお話を要約。田川純照記

 

釈迦は文書で教えを示さず 言葉と態度で悟りを説かれた

釈迦滅後、異論を止め、教団を統一するため、代表者が集まって仏陀が遺した教えを集め、経典を編集したことを結集(けつじゅう)と言います。「けちじゅう」と読む場合もあります。釈迦の入滅後、弟子たちが釈迦の教えを編纂したことを指します。また、入滅後、間もなく行なわれた第一回の五百結集をはじめ、以後数回行なわれたと伝えられます。ただ、所伝に異説があり、結経と言う場合もあり不明のことが多々あります。

このようにして成立した仏教は近隣諸国へ伝えられ、漢訳され、日本にも伝えられました。

加えて、お釈迦様の誕生日や入滅日も諸説あって明確ではありません。昔のことは分からないことが多いのです。

孫悟空の三蔵法師の話は昔は子供ならだれでも知っていました。

経・律・論の三蔵に精通した僧と言う意味で唐の玄奘法師の求法の旅行記です。観音院の門をくぐり右側に玄奘さんの額が掛けられていますので注意して見て下さい。

  

信徒さんと一行二十五名で中国の西安からシルクロードを通ってウルムチやトルファンに行きましたが飛行機でも大変です。その先の天山山脈を越えて、インドまで歩いたり馬に乗ったりして往復されたのですから、苦労が偲ばれます。法主さんも飛行機で往復して入竺沙門は愚かな表現だと言っておられます。今昔の時間差を考慮しなければ嘘ではありません。

鑑真和尚の渡来のご苦労も良く知られていることですが、最澄、空海の入唐は四分の三は航海中に難破するような危険な求法の渡海でありました。タライで瀬戸内海を渡るようなものでした。仏教は渡来当初は、宗教であると同時に新しい科学であり、医療であり、最新の技術や水準の高い情報でもありました。

そして在来の日本の文化と混交し、土着したのです。正確にいえば宗教や思想や哲学などは伝来する途中の国々の影響を受けたり、混交したり、排除したりしてするものです。しばしば誤訳されますし、誤解も誤読も、付け加えも、創作も何でもありと言えます。

釈迦滅後に結集があったのは、一種の言論統制を求めるような談論風発の雰囲気があったのかもしれません。経典のあるものは異本があったり、創作が推定されるものもあって、原典が不明なものもあります。

経典が翻訳されたり、国境を越えて他国に伝えられるについては意訳もあるし、翻訳者の意見も加わるし、その時代の習慣や支配者の意思も加わることは当然です。

経典は天然自然に在るものではありません。人がその人の言語に従って制作されたものです。

太陽も地球も天然ですが 仏教は天然自然では無い

ピラミッドに葬られた王族は死後の世界をもっていました。中国の黄河地帯の殷の王族は地下に黄河のような水の流れる黄泉(よみ)の国を期待して来世に跨る墳墓を創りました。インダス川の流域に栄えたアーリア人以前の古代文明は都市計画に傑出し、モヘンジョ‐ダロやハラッパーなどの遺跡が存在します。此処でも何らかの来世を期待したようです。

チグリス・ユーフラテスは合流してペルシア湾に注ぐ川です。その流域にはバビロニア・アッシリアの古代文明が興りました。ここでは来世を想定していなかったように思います。その他にもアステカの古代文明の遺跡がありますが、ここには記号または図形らしきものがあるものの未だ解明途中です。

チグリス・ユーフラチス文明では来世を考えていなかったように思えるのは異例のことです。

人間が来世のことを考えて行動するのは自然のようにも考えられますが、来世のことは現世の延長として準備する傾向があり、時として巨大な構造物、遺構や墳墓を残すことがあります。

その遺構や墳墓は、天然のものではありません。

現在、紀元前4世紀から現代に至るまでの人間の歴史について、宗教を中心とした歴史年表を青井さんが編集中で、つくりながら、インターネットのサイトで発表する計画を進めています。

仏教の起源は釈迦ですが、当時の環境や社会情勢、宗教的な情操も見詰めてみたいと思います。

太陽信仰は遠い昔からあったようです。事実、大日如来は釈迦牟尼世尊以前から天然自然の如く存在したと説かれています。

 

キリスト教が日本に伝来した当初、デウスのことを大日と訳し、大日如来の存在を知って慌てて訂正した経緯があります。デウスはラテン語で当時のキリシタン用語では神・天帝・上帝を指す言葉でした。天にまします神は、神社に祀られている神とは厳然と異なりますが、日本の神様とキリスト教のゴッドと混同してはいけません。

昨今の子供たちは死ぬと天国に逝くと信じています。この天国は地表の上を蓋う雲の上にあって、そこから私たちの生活が見えると信じているようです。この天国は子供たちが死後を想像して創造した天国で天然自然のものでは無く子供たちの幼い言語活動の結果と考えるべきでしょう。

釈迦・釈迦牟尼世尊・仏陀・仏教・涅槃に入ることについて順を追いながら考えてみることがを仏教の復興に繋がるるように考えています。さりとて、大変に難しいことになったと思います。

全員が極楽往生できない厳しさ 極楽は自然に存在していないのです

人間が前世とか来世を考えたのは遠い昔のことで、釈迦やキリスト以前、更に遥か昔、おそらくは言葉を持ち、家族が成立して間もなくのことでは無いかと考えます。

人が死に遺体が崩れて行く様相を見て、恐れを感じたのは確かだと思います。しかし、遺体を放置して、他の場所に行ったように思います。定住するようになってから、遺体と同居することは出来なかったように思います。おそらくは他の場所に移すようなことはしたと想像します。

埋葬する習慣は比較的に早く始まったかもしれません。死者のために何かをすることは、儀式の始まりだと思います。もしかすると病める人があると何も出来ないで逃げたかもしれません。

農耕するようになり、家族が成立し、村落のような人の集まりが出来て、財産らしきものが出来ると死者の遺産を相続する慣習のような決りのようなものもあっただろと思います。

同じ言葉の人たちの中で主導的な地位を持つ者が定まってくる、やがて国家のような単位の人の集まりが成立したことでしょう。

ここら辺りは考古学の範囲かもしれません。この時代、太陽の昇ることに自然と感謝したかもしれませんね。昇ったり沈んだりする太陽に神格を感じるようになったことは容易に想像できます。

四大文明やマヤ文化においては都市の成立と支配者の存在、そして神官たちの存在、宗教らしき考えが生まれていたでしょう。

大きな墳墓に埋葬されていめ人たちは副葬品から判断して、来世に現世の地位や権力を持ち込みたいと願っています。

中国陝西省の始皇帝陵の外城の東にある巨大始皇帝の兵馬俑坑にほぼ等身大の士卒や軍馬、武具などの陶俑が多数埋納されています。死者が蘇ることもあると考えたのはエジプトだけではありません。黄河の殷の墳墓の近くでは殺した外敵が蘇らないように全部頭部が切り離されて埋められています。

自分の来世を考えると、敵の来世も想定して対策を立てなくてはなりません。

仏教で説く極楽往生とは 極楽図は貧困で現世以下に

極楽思想が何時頃成立したのかよく分かりませんが、来世に期待した内容から検討すると極めて特徴的なのは当時が生まれ変わっても女性には絶対に成りたく無いとかの地では女性が存在しません。極楽には女性は行けるとは考えず、全て男性に変性してしまうと説かれています。おそらくは女性にとって辛い状況があったと思われます。

釈迦にとって女性は修行の邪魔であったと受け止められています。人間が来世があると考えて以来、生前の行為で極楽へ行ったり、地獄に行くと、仏教もキリスト教も受け止めているようです。

カトリックでは死者が天国に入る前に、その霊が火によって罪を浄化されると信じられている天国と地獄との間に煉獄が設定されて います。仏教では焔熱によって苦を受ける八種の地獄を説き、このおのおのに十六小地獄が付属していて、相当念入りに設定してあり、当時の連想出来る最高の苦痛が描かれています。

昔は僧侶が極楽図と地獄絵図を示しながら説教をしたそうですが、最近では流石にこのような僧侶はいなくなりました。

来世はその時々の社会の情勢によって説かれるべきでしょう。

ですが、極楽往生を説く以上はどのような場所か説明し情報開示する義務が僧侶に課せられていると私は思います。

生まれ生まれ生まれて生まれ来るところを知らず、死に死に死んで死に行くところを知らずと言いたいのですが、それでは臨終の人に対しても遺族に対しても苛烈過ぎると私は思います。

来世が現世の延長と皆さんが望まれているとしたら、日本の仏教は大変です。人間のみならず愛玩動物まで糖尿病になるくらい豊かな食生活。世界一美味しくて清潔な食べ物に恵まれている。冷暖房は完備している。禁煙傾向も定着している。性差別も殆ど無くなりつつある。大きな自由が有って、あまり残酷なことも無い。犯罪の低年齢化、不倫の氾濫。進む高齢化社会、破綻しそうな年金、孫子の代まで影響しそうな国の債務。

それでも生まれ変るとしたら大多数が日本にと望まれています。もう五十年もすると日本はアジアの過疎の小国になると見通しを立てる人もあります。日本の将来について悲観的な老人は少ないように思われます。

来世を説くには躊躇しています。皆さんが十善戒や八正道に執着し過ぎて、現世を穢土として粗末になされる恐れを感じるからです。

さて、信ずる者は救われるという言葉は頼もしいですね。信心を起こせば、悪事を働いた人でも、それなりに、善行の人は勿論のこと、それなりに救われるという教えです。十月は燈籠供養の法要を執行します。

燈籠を奉納された人々や、喜捨の多少を問わず真心のこもったものとして至誠の貴ぶべき行為として、それを称える行事です。

観音院は運営と経理を公開し、浄財は寺の維持に当てられます。暗闇の中で光を見ると嬉しくなります。来世でもし迷うことがあれば、こちらに来なさいと教えてくれるように思われます。

観音院がなぜ年中無休で毎日の法要を朝十時と正午と午後二時の三回執行しているか、これは説明がとても難しいことです。誠実に約束を守ることを大切だと考えて、私は、皆さんの灯明になりたいと願っています。同時に皆さんにもご家族や世間の灯明になっていただきたいと願っています。

来世でもし迷っているなら私が逝くまで待っていてください。来世の案内役として存在したいと考えています。観音院の信徒の皆さんが全て来られるまで待ち続けることを約束しています。

葬儀を執行する場合は、十善戒を良く保ち、八正道を歩みなさいと引導を渡しています。

来世のことも軽々しくは説きません。いわんや過去世のことは説きません。地獄極楽の話はあまりしたくありません。皆さんと一緒に考えたいのです。

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