日本人が失ったものは元気とやる気

「気」は、天地間を満たし宇宙を構成する基本です。気象、気候、天気はもちろん、万物が生ずる根源であり、生命の原動力となる勢いそのもの。活力の源。心の動き、心の状態、心の働きを包括的に表すもの。精神状態。呼吸。物の本来の性質を形作る要素。「元気」は、万物生成の根源となる精気。活動の元となる気力。健康で勢いの良いことを言います。弘法大師の性霊集(しょうりょうしゅう)に「元気」と言う言葉が出てきます。英気・鋭気、も大切ですが、「遣(や)る気」が無いと、物事を積極的に進めようとする目的意識であり、皆さんが元気で遣る気が無いと、日本は駄目になります。元気に満ちて、遣る気を出しましょう。

(法主さまのお話を田川純照が筆記)

生気を失った人は、救い難い
如何に生きるか考え尽くすこと

 私は十善戒。即ち、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見の戒を考え続けて四十年になります。これから後も、十善戒を考え続けます。
 私から十善戒を除いたら、後に何も残りません。気を動かすには十善戒の方向であれば元気です。
 現在の人々の苦しみ、元気の無さは持つべき「戒」が定まっていないからと言っても過言ではありません。
 と言うより「目的」が定まっていないのかもしれません。「戒」は目的に到達する手段とも言えます。
 多くの人々の過去は、深く考えなくても方向が定まりました。なんとなく働けば昇給し、家族もでき、家も立ち、老後に年金がありました。
 貯金に励めば年に六分の利息が複利で付きました。十年貯金して置けば倍額になることもありました。
 今は、老後の事など何も分からない、国民年金なんか納められるか—-。
 将来の見通しが立たない、仕事をしたくても、求人が無い。当分は家にいて、親の脛(すね)を齧って鼠のように生きて行くのも許される。
 親も大変、子供が結婚する気も無いし、力が無い、自立してくれない。
 このままでは老後資金が減る一方。
 無頓着、無執着、無目的。その気も無いのに出来ちゃった子供だから仕方が無いのだろうか—-。
 そのくせ、少し誉めると舞い上がって、仕事を世話しても、怠惰、横道、無法者、まぁ能力を買い被ったこちらに非があると思えば諦められる。
 犬の尻尾に缶々を付けて離すと、逃げても逃げても缶々が追って来るので狂ったように走り回るが、最近の若者達は後ろに恐怖でも縫い付けてやると逃げるくらいはすると思う。
 世の中が出来高払い、アルバイトに依存するのが普通になって、一番楽なのは公務員、リストラも無いし、年功序列、あんな仕事に就けたら、上司や周囲から何と侮辱されても、死んでも離職するなと言ってる次第。
 改革と言うのは、衣替えするだけで実際は何も変わらない。
 自民党も屁みたいだが、民主党も糞みたい、多分、どちらが政権をとっても官僚と癒着構造には勝てない。
 ロケットの一発でも飛来したりすると覚醒するかもしれない。
 礼儀正しく、誠実で勤勉、約束を違えると切腹した日本人はもういない。
 日本人は百五十年ほど昔に返して、頭にチョン髷でも付けないと、性根が入らぬような気もします。
 何とかしなくてはならないものは親と学校の先生、親不孝者は廃嫡、入れ札で父兄や生徒の支持が五割を切った先生は再教育。学校は、義務教育から区域割りを廃止して、人気の無い学校は閉鎖するくらいにしないと、日本の教育水準は下がる一方かもしれません。
 敵国と隣接している国々は、防備も勉学も緊張がある感じ。本当は日本の経済的破綻も目の前だし、人材の枯渇は、二流どころか三流になりそうです。
 時たま、出家したい、ついては観音院の何処かに住まわせて欲しい、給料も欲しい、お経の読み方を教えて欲しいと言う–、み仏さまを、狐狸妖怪妖術使いではあるまいし、面談もしないで慈悲を強要する、いわゆる爆沈出家志望があるが、もし、日本人が慈悲を強要するような民族になったら、それは絶対に食い止めねばなりません。

元気の気は逃げる気の気でも構わない、真剣さが欲しい
中東の人々の現実は困難で切迫しているが、人材が出るかも

 家貧しくして孝子生まれるという諺がありましたが、孝子が生まれるほど貧しい家は無くなりました。
 日本全国中流は、仕方無いことだと思いますが、愛玩動物が糖尿病になったり、子供に肥満が増える、尋常なことではありません。
 家庭料理と言っても、焚くのはご飯だけ、副食は大量生産されたビニール袋を切るだけ、温めるだけ、主婦が働かないと、家計が成り立たない。だからよしあしの問題ではなくて、単純に買い物が過ぎただけのことです。
 食料の半分も自給自足できない日本の現状は、憂うべきことです。米国産の牛肉が狂牛病問題で輸入禁止となり、大手牛丼が二月一杯は続かないといい、外国に完全に依存する日本の食糧事情は真剣に考えなくてはなりません。
 教科書の程度が低くなったのは大変に危険なことで、子供の将来がとても心配です。小学校、中学校、高校くらいまでの基礎教育は非常に大切で、これを徹底して反復理解しておけば、大学に進学してもしなくてもその後の人生がとても楽になります。
 高校までの義務教育化と授業の内容を濃くすることが、極めて大切です。基礎教育の徳目で、勤勉さと誠実さを、徹底して身に付けさせたいものです。就学年齢は二年は早めても良い、幼稚園くらいから義務教育に組み込むと、日本人も少しは学力が上がるでしょう。
 所謂英才は非常に貴重な人材だから手厚く保護して、より英才とする制度が非常に大切だと思います。国家の制度として英才教育を考えて欲しいものです。国会議員一人分の費用で、多くの英才が育てられると思います。教育に熱心なお国柄にならないと、日本の将来はありません。ノーベル賞なんて毎年数人貰える体勢が欲しいですね。
 私はVAIOのウインドウズXPを四台使っていて、一台はノート、一台はサーバ、一台は応接の説明用、一台はテキスト入力やメールの返事など、今までも随分と出費を続けて来ましたが、基本ソフトの日本製が欲しいです。
 日本の各社が精鋭を協力投入して、各国に売れるような物を開発して欲しいものです。パソコン外国部品一切無しの、日本人の作った世界を制覇するような何処にもシリコンバレーや中国の匂いのしない物を使いたいものです。
 一番頭に来ていることは、外国ブランドの洋服やバッグ、小物や化粧品などダンヒルやシャネルなど、保有する外貨で買い取って欲しいものです。
 出来ないなら、匹敵するブランドを日本に作ることを国策として欲しいものです。
 日本が、品質もデザインも一番と言われるようなブランドを、国が先頭に立って起業して欲しいと思います。
 医業も薬品製造も日本が一番になって欲しいです。人材が足りなければ招聘すれば調達できます。
 第二次大戦で敗北して、やっと経済的に世界で一番になれそうだったのにアメリカの玩具になっているような気がして悲しくなります。
 国連の負担金やらイラン・イラクの復興資金も多分日本が一番多く負担させられるのでは無いかと心配です。
 駄目なものは駄目と言えるのが本当の国益だと思いますが、日本人はすっかり根性が無くなってしまいました。大臣全部、足回りが悪そうです。 観音院では以前は約千五百食程度の非常食を備蓄していました。しかし、万一の非常事態では、配布する能力が無いことが分かりました。戦乱の起きた各国の様相から推定すると、本当に非常時が起きると、備蓄物資は略奪や争いの対象になり、寺の職員では配布することが不可能です。
 色々と検討して、非常時には各自のズックとか、部屋に置くバール、下敷きになった際の呼笛、携帯電話やラジオに充電できる程度と、別に若干のビニールシートだけになりました。
 発電機は小規模停電の時だけ運転し、大規模停電には対応しないことになりました。揚水機は可能な限り使用し、トイレに流す水くらいは確保できそうです。
 物が不自由な時には、寺も同じように不自由するのが、より良いことだと判断した結果です。
二月一日は大般若転読法要二百座を執行します
お護摩は四万五千座も積み上げたことになります
 毎月第一日曜日と正月の元日の零時に大般若転読法要を執行しますので、一年に十三座を執行することになります。お護摩(ごま)は毎日三座、それに特別祈願で三十三座護摩を焚(た)きますので、十年はかかりません。
 すらりと言うとこのようになるのですが、これは尋常ではありません。
 法要記録がギネスブックにあれば、それに登録されるほど大変な記録なのです。
 で、何を祈願しているかと申しますと、実は「平和祈願」と「核廃絶」が第一なのです。もちろん「家内安全」も祈願しますし、皆さんのいろいろな願望も祈願します。
 祈願と同時に「有縁無縁一切精霊」の「供養」も大切な課題です。
 観音院の祈願と供養は同様なもので法要の表裏に仕立てた独自の様式で、他の寺院とは微妙に異なります。
 違いについてわざわざ高野山に問い合わせて違いを指摘下さった信徒さんもおられますが、法要次第は私が定めたもので、間違いではありません。例えば舎利礼と言う経典は私が愛する内容で、良く使用しています。他寺からあれこれ言われる筋合いはありません。
 観音院の利験不動明王の御姿も剣を振り上げられていて、私が修行中感得(かんとく)した御姿で、普通のお不動さまとは少し異なります。
 昔、仁和寺に大きな体格の僧正がおられて、右手で取るべき蓋を左手で取られたりして、同じ真言宗でも微妙に作法が異なります。
 散杖の振り方は醍醐と高野山の中間くらいから発展させました。要は私が納得できるもので定めています。
 私はみ仏さまと話し合って決めていますので、次第が間違っているようなことは決してありません。
 決して師匠から習った通りにする必要はありません。考えながら修法して納得する次第を作ることが大切です。
 観音院の一座の法要には先祖供養・水子供養・回忌法要・七七忌法要等。入学祈願・無事祈願・家内安全・無事故祈願・などあらゆる目的があります。
 長所と短所がありますが、それを補なって、且つ法話を含めて一時間二十分に収め、さらに一日三座三百六十五日休みが無い、僧侶も苦労しています。
 この二十年間、激しい時は、毎週、或いは月に一度の勉強会、お仕事の時間を割いて僧侶の勉強会を開きました。現在、観音院には得度して勉強中の方まで含めると約二百名です。
 大般若転読法要二百座記念、お護摩四万五千座も、恐らく前例の無い法要になると思います。
 今、法要参加者に差し上げるアクリルクリスタルに本尊大日如来を担当副住職が寸暇を惜しんでレーザー彫刻機を使って謹刻しいます。
 参詣された方々の全てに授与したいと準備しています。
 観音院から皆様に差し上げる物の多くは単なる記念品ではなくて、僧侶の血と汗が滲んでいます。
 皆さんに喜んで頂けることが、最大の動機になります。
 僧侶の生涯で一度執行出来れば有難いと言われる大般若転読法要が二百座にもなることは間違い無く瑞祥に相当します。
 瑞祥溢れる大般若転読法要二百座はこの二月一日(日曜日)の午前十時から執行致します。
 皆さん、出来るだけ万障繰り合わせてこの大般若転読法要に参詣してください。瑞祥を共にしたくお願いします。
 お護摩の四万五千座も、皆さんがお供えされた一座約千本の護摩木に支えられてできたことです。
 大般若転読法要も大般若経六百巻を乾坤二組も皆さんが調えてくださってこそ可能になったことです。大般若経六百巻の内約二百巻は未だ施主が決まっていません。一巻のご奉納は十万円です。巻末の奥付の隣にご芳名を記入させて功徳とさせて頂きます。
 本堂の左の余間に白い晒でで巻いてあるものは「阿字観の本尊さま」です。未だ何方にも施主をお願いしてありません。かつ、お一人のみで施主になっていただくものでもありません。現在、受付で勧募しています。
 何かとお願いすることばかり多くて恐縮しています。一日に感謝の心で、
大般若転読法要を執行させて頂きます。

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