方便の効能

寅さん  私たちは日常、その場しのぎの間に合わせとか、言い逃れなどに、「うそも方便」といった便利なテを、しばしば使うことがありますが、そのような姑息(こそく)なことを、ほとけさまは、本当におやりになることがあるんでしょうか?
ご隠居  方便という言葉は仏教用語のひとつで、仏が衆生(しゅじょう)を導くために、仮に設けた手段という意味で、また、近づく、到達するといった手段や方法という意味もあるようだ。
 この方便という言葉には、大きく分けて二つの用法があり、一つは今言った衆生を済度する手段である場合と、もう一つは、真実に到達するために仮に設けられた手段、方法をさす場合との二つだ。
 つまり前者の方便は真実と一体なるものであり、後者の方便は真実に入るための手だてだとする。
寅さん  では、方便とは具体的にどういったものと考えればよいのでしょうか?
ご隠居  智度論(ちどろん)に「仏は方便をもって法を説きたまう。行者は所説の如く行ずれば、すなわち得るなり たとえば絶崖嶮道(けんどう)は梯子(はしご)してよく上がる如く、深水は船によって渡るをえるが如し」と。
 そしてまた「口気(こうき)以て声を出すに、声はすなわち遠くまでとどかず、声を角の中(中をくり抜いた角)に入るれば、声、すなわち遠きが如し」と。
 つまり方便とは、己れ一人の力では、とても登れそうにない険しい崖であっても、梯子(はしご)をかければ登りきることができるし、とうとうと流れる大河も船があれば、楽に対岸(彼岸)に渡ることができる。
 肉声でいくら声を張り上げても届く範囲はたかがしれているが、メガフォンを使えば容易に遠くへ届く理屈で、方便とはそういうものであるという。
 そしてもしもこの方便というものがなければ、「闇のなかに弓を射るようなもの」であるし、また「まだ十分に羽根が生えそろわない幼鳥が空を飛べないようなもの」であるといわれている。
 このように仏教が、仏教として真の働きを有するのは、方便のおかげがたぶんにあるとされている。
 けれども方便はけっして真実を逸脱したものではない。すなわち「般若の智慧」を土台にして、はじめて「方便」が方便たりうるのであるとする。
 この般若の智慧と方便の関係をたとえて智度論は次のようにいっている。
「般若(智慧)と方便とは、本体これ一つなり。用いるところの少しく異なるをもってのゆえに別に説く。たとえば金師(金属の細工師)が巧方便(職人のわざ)でもっていろいろ異なる金細工を作り上げる。材料はみな同じ金属であったとしても、細工物の名称はおのおの異なる」と。
 そしてまた、こうもいう。「仰いで空中に弓を射るのが般若(智慧)であり、これを支えて地に堕ちないように次々と射つのが方便である」と。
十善戒も方便
ご隠居  このように般若波羅蜜は母のごとく、方便は父のごとくであるという。
 また、この方便が衆生済度のためであることはいうまでもない。
 菩薩(ぼさつ)はこの欲世間に生まれて、しかも、煩悩に汚されず、身を捧げて、衆生を思うままに救うのは、方便を行ぜんがためであるとされる。
寅さん  そうすると、観音院さんが皆さんに、折にふれて布教されている十善戒、毎日の法要で皆さんで唱和されて努力目標とされている十善戒といったものも、方便という範疇(はんちゅう)にはいるわけですか?
ご隠居  そのとおりだ。十善戒もそうだし、在家信者の守るべき五戒などはその色合いが特に濃い。
寅さん  五戒? あれは何と何でしたっけ?
ご隠居  五戒は、生きものを殺さない、盗みをしない、夫婦以外の性的交渉をもたない、嘘をいわない、酒を飲んではいけない、以上の五つの戒めのことだ。
寅さん  なるほど、酒を飲んではいけないなんて、いかにも方便的雰囲気のある戒めですね。
ご隠居  この方便についてちょっと面白い記録があるから、それを一つ紹介してみようか。
 これは明治の始めごろ、仏教にたいへん忠実な一人のある信者と徳の高い和尚さんとの一問一答を採録したものだ。
 信者が和尚に質問する。
 仏教には五つの禁戒があり、その第一の、殺生(せっしょう)は絶対的な禁戒であるとされる。そこでもし殺生が絶対的の禁戒だとすれば、国が国益として目下奨励しつつある養蚕や水産漁業事業など、殺生に直接つながるものは、仏意に背く行為として排斥されなければならない。
 そうすると、仏教の存在自体が国家の発展を阻害することにならないだろうか?
 和尚が答えていう。仏教が国益を害するとは恐れ入った話だ。
 よいか。およそ天地の間において無二の大切なものは生命であり、人類はもとより小さな虫にいたるまで、これを惜しむのは自然の法則である。
 釈迦牟尼仏はこの自然の法則にしたがって、不殺生戒をお説きになった。在家信者の五戒もまた、人間が守るべき世界共通の理念である。
仏教は「慈悲」を説く
 キリスト教は「愛」を説き、儒教は「仁」を説き、仏教においては「慈悲」を説く。
 慈悲は「慈」「悲」のふたつの徳行である。原語は一般には、慈・マイトレーヤ=他人に楽を与えること、悲・カルナー=苦しみを取り除くこと、で、仏教の宗教的な愛をいう。
 これらはいずれも、生命を貴び他を慈しむ考えが、その根底にながれているからである。
 そして生命尊重の目的にかなうものはこれを善とし、その目的に反すれば悪とする。
 こういった考えは、宗教のみならず社会全般、あらゆる分野において、この生命の尊厳と保全を第一義の目的としており、悪の最も大なるものは生命を害することであって、おおよそ善悪、苦楽、吉凶、禍福(かふく)などは、すべてこの生命に関することから派生する。
 それゆえに釈迦牟尼仏は教えを布(し)く最初に「不殺生戒」を第一におかれになった。
 さらにつづけて不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒の戒めがあるが、それらはいずれも、この不殺生戒という生命を安全に保護するための手だてにほかならない。
 また、ほかに八戒、十戒、以下、無量の戒めがあるが、それらもすべて、不殺生戒に収斂(しゅうれん)されて、この第一の目的を達するための方便である。
 ひとり戒法のみにかぎらない。すべての法門も、帰するところは皆この第一の目的を達するために存在するのである。
 人は生きて行くのに、身体をたもつために日に三度のご飯を頂く。
穀類や野菜を採り、獣肉や魚など生き物を日々食して、生命を保たなければならない。
 道を歩けば、知らずして虫たちを踏み殺すこともあるだろう。
 人が生きるということは、食事をはじめ無数の生き物の犠牲のうえに成り立っており、殺生を避けられぬ存在であるともいえる。
不殺生の教え
「まことの道」不殺生
 生きとし生けるもの、ありとあらゆるものは みほとけなり。生けるものに限りなき慈愛の心もちて、その生命(いのち)を害することなく、そのなりわいを扶(たす)け行(ゆ)かん。
 あらゆるものの、その価値を付け加うるに励み行き、かりそめにもその生命を傷うことなく、その働きを助けん。

 「まことの道」の不殺生では、ただ殺生しないという戒を、生きとし生けるもの、ありとあらゆるものにまで広げ、さらに生かして価値を付け加えることが、仏の道と説かれる。
 ものの生命を生かしてつかうこと、互いに扶けあい、ものの価値を高めて、互いの働きを助け合うことが説かれている。
 殺人や破壊などという凶悪な、非道、悪行は、憲法や刑法など、現代では法体系が整い、犯罪として国家の仕組みによって裁かれる。
 社会的な安定は国民の遵法の精神によってはぐくまれ、心の安定や清浄さ、慈悲行は、仏法の戒律によってもたらされる。
 いつの時代でも、己れの利益のため、個人の利害関係によって、捕らえて裁かれるものを放置したり、殺してはならないものを殺すがごときは、厳に戒むべき行為である。
観音信仰と法華経書写の発願で
生き埋めから救出された話
「日本霊異記」より
 孝謙天皇(こうけん・奈良後期の女帝、七四九–七五八在位)の御代、美作(みまさか・岡山県)にあった国営の鉄山でのことである。村から徴用されてきた十人の人夫が、深い坑内で鉄を掘っていたときのことだ。
 突然、坑道が崩れて作業していた坑夫たちが生き埋めになってしまった。
 十人のうち九人は、それでも自力でどうにか坑(あな)から脱けだすことができたが、あとの一人は坑内に閉じ込められたままだった。
 国守(知事)をはじめ、仲間は不運にして逃げおくれた男に同情し、そして、また一人だけ帰ってこない人夫の妻も、泣き泣き観音の像を絵に描き、経を写して、すでに死んでしまったであろう亭主の冥福(めいふく)を祈るうち、七日が過ぎた。
 さて、一人 生き埋めになった坑夫のほうである。
 坑夫は漆黒(しっこく)に闇のなかで、まだ生きる望みを捨ててはいなかった。
 「私はついこのあいだまで法華経全巻写そうと心に決めて写経に取り組みましたが、まだ写し終えていません。さいわいに私のこの命をお救いいただけるならば、かならず最後まで写経をやり遂げますので、どうかお助けください」と、仏菩薩に祈願したり、または己が人生のこしかたや、恋しい妻子のことなどあれこれ思っていた。
 そのときのことである。
 暗闇に身を横たえていた坑夫の眼に、わずかに指一本入るか入らないほどの細いすき間がひらき、一条の強い光線が射し込んできたのだ。長いあいだ闇にならされた眼は、その眩(まぶ)しさに耐えかねて、しばらく目蓋(まぶた)を閉じたままだったが、ひと呼吸おいて、恐る恐る瞼をひらくと、そこに一人の沙弥(しゃみ・修行中の未熟の僧のこと。この場面では、実は観音菩薩の化身・けしん)がいた。
 沙弥は、鉢に盛ったおいしそうなご馳走を坑夫にすすめながら、「汝の妻子は、我に飲食(おんじき)を供え、どうか観音さまのお力で、生き埋めになっている我が夫をお救いください、と懇願してやまず。また汝も身の不運を嘆き悲しむがゆえに、我はこうして汝を助けにきたのである」と言ったかとおもうと、姿が消えた。
 観世音菩薩が去ってほどなく、坑夫の頭上あたりに、にわかに大きな穴が開いて、陽光がさんさんと降りそそいできた。穴の大きさは方二尺余り、地上までの高さは五丈(約十五メートル)ほどであった。
 たまたまその近く、山で葛(かずら・つる草の総称)を取りにきた三十人ばかりの人たちが歩いていた。
 はるか頭上を行くその人影を見た坑夫は、深い穴の底から声をかぎりに叫んだ。
「オーイッ。たすけてくれ!」
 救いを求めるその必死の叫び声が、地上の葛取りの人たちの耳に蚊の鳴く音のように聞こえた。人々はその声を聞きあやしんで、とりあえず葛の先に石を結わえつけためしに穴の底に降ろしてみた。
 地底から人間の引っ張る確かな手応えがある。
 さっそく葛(かずら)を編んで籠(かご)をつくり、その四隅に葛の縄をくくりつけて、そろりそろりと籠を底に降ろした。
 地上から降りてくる籠を、坑夫はどんな思いで眺めたことか。その嬉しさは想像しても余りある。
 こうして九死に一生を得た坑夫は、多くの人々に介抱されながら無事家に届けられた。
 坑夫の家族や仲間たちが喜んだのはいうまでもない。
 見舞いにきた国守が訊ねた。
「汝はいかなる善根(ぜんこん)をなしたのであるか?」
「たいしたことは別段・・・ただ、法華経の書写(しょしゃ)をお誓いしただけです」
 聞いた国守は大層感動して、多くの信者を募り、みんなで法華経を写して供養したのであった。
 これは法華経のご利益(りやく)、観音菩薩のご加護の話である。

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