数珠のお話

■念珠の功徳(くどく)■
 私たちは、み仏さまを拝むとき、お寺に参る時、法事をいとなむ時、ご会葬におもむく時、仏式の行事に参列する時には、皆さまも念珠(ねんじゅ)を手にされます。
 袈裟(けさ)と共に数珠は仏教徒の証(あかし)とされています。
 古代インドのバラモン僧が使っていたもので、仏教でも採り入れ使われるようになりました。
また、仏教の影響で、数珠は西方にも伝わって、キリスト教でもイスラム教でも祈りの回数を数えるために使うことがあります。キリスト教の数珠はロザリオと呼ばれます。

 
 母珠は達磨(たらま)ともいわれ
 法を意味します。
 達磨(親珠)は小さな珠・
 補処(浄明)の付いている方。
■数珠を持することの教え■
 お釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせん)に居られた時、ある国王が苦難の多いわが国が良く治まるには、と教えを請われました。
 お釈迦さまは、木の実百八個を通して環をつくり、これを常に身から離さず、心から仏さまの御名を唱え、一つずつ繰っていきなさい。二十万遍になったとき心身が整い、人々の心も安楽になり、国家も安泰となる。さらに百万遍になった時、人の百八の煩悩も断ち切ることができると説かれ、一つの数珠を授けられました。国王は一心に念じ続け、国は安泰になり、仏道を成じたということです。

■怒りや不安がある時に、お数珠を手にとりましょう■
 忍耐し堪忍すべき時に、数珠を握って、まず心を落ち着けることをおすすめします。自らを振り返って冷静になる時間をもつことで、仏徳を頂かれ、多くの不幸を避けることができます。
 人生は自分の思いにならないことがほとんどです。怒りや感情のまま行動すると自ら過ち、不幸を選んでしまいます。
 数珠の徳、それは持つ人の慈悲(じひ)と戒律(かいりつ)を表すとされています。いつも使われるバックの中に数珠を入れて御加護を頂かれてください。
 般若心経を唱えたり、念仏し、ご真言をお唱えするときは、その回数を数珠で数えます。そのため「数珠(じゅず)」と呼ばれます。
 数珠の珠を一つずつ爪繰り、七や
二十一、五十、百、百八などの数を取るのは、数えるという「雑念」に捕らわれないためです。

 数珠の珠(たま)が百八珠あるのは、人間の百八煩悩(ぼんのう)を悟りに転ずることを表し、仏を念じ、真言を唱え、数珠を繰(く)るのは、仏との縁を厚くし、精神の浄化と集中を高めます。
 念珠は「念誦(ねんじゅ)」に通じます。菩提樹(ぼだいじゅ)はお釈迦さまがその樹下で悟りを開かれた聖樹として尊ばれ、数珠や腕輪念誦の材として今日までも好まれています。
 百八珠を正式な念珠としています。念珠は百八珠を二分している大珠が二つあり、これを親珠(おやだま・母珠)と呼びます。
 主玉の百八個の玉は「人間の百八の煩悩」を意味しております。かつ「菩薩の修行の過程」を意味しているともされます。
 主玉の間にある小玉や、房についている小玉など小さい玉には、四天、四菩薩、弟子玉、記子玉、などの名があり、弟子玉の下についている露型の玉は記子止(きしどめ)、露玉(つゆだま)と呼ばれ、また親玉のすぐ下、表房の一番上にある玉は浄明(じょうみょう)(浄名)といわれます。

■念珠を手に掛けるときは、一重で左手首に掛け、このとき長いものでも一重にします。(和室で畳に着いても構いません) 二重、三重にしたり、手首に巻き付けたりはしません。
■合掌は左手の掌を少し上向きに、その上に右手の掌を重ねます。
 そして右手の親指が左手の親指の上にくるように指先を軽く組み合わせます。これを金剛合掌(こんごうがっしょう)と言います。
■片手で持つときには、二重にして左手の人指し指に掛け、親玉と房を手の中に入れ、握りしめます。
■置いておくときは、三重にして浄明(じょうみょう・親珠の隣にある小珠)の付いているほうの親珠が上になるように、ご本尊さまの方を向くように置きます。
 手に掛けるときは、左手の人指し指と、右手の中指に房が手のひらの中にくるように掛けます。
■数珠は手首にかけ、手に持つもので、ネックレスのように首に掛けるものではありません。
 短い略式念珠のときは、法要中は左手に軽く握ります。合掌するときは、念珠の輪の中に両手先、または片手先を通します。
 ときに念珠を激しく摺(す)り鳴らす方がおられますが、数珠の珠が傷みますし、通常は摺るものではありません。
 そして、法要中には絶対に念珠を摺らないようにお願いします。法要中は、「導師」の僧侶が念珠を摺ってご祈念やお経の合図としているからです。
 お数珠は、身につけているだけで罪障を滅し、無量の福を受ける功徳があると言われます。み仏さまに感謝し、親しく優雅に美しく持ちたいものです。

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