広く世界の人々の現実を直視する

一日百円の収入で家族八人を養っているような人もいる。就労環境は劣悪で、炎天下で飲み水がダイオキシンに汚染されている疑いもある。フィリピンの首都マニラ近郊のゴミ捨て場では、ゴミ収集車が帰って来ると、ゴミの山からペットボトルを選り分けて仲買に売る仕事だ。この例は極端だが、一ヶ月三千円から五千円くらいの収入で生計を立てている人々は、各国に少なくない。それに引き換えて日本の平均所得は高いのではなかろうか。鈴之僧正さまのお話を要約 田川純照 記

住む国、地域が違うだけで 何故に経済的格差が生じる

その土地、その地域によって豊かさが異なる現象は昔からあったことです。大きな都市では商業が盛んになり、需要が高まり、さまざまな事業所ができる。金融機関も発達してきます。

現在でも県別、都市別に一人あたりの平均生産性に差があります。

就業率も活気がある時は高く、 景気が悪いと失業者が増え、賃金は安くなる傾向です。

景気はその都市に包含する要因だけでなく、他国の影響も受けることは皆さんご存知の通りです。

家族構成も大変化しました。一軒に三世代が同居する時代は人間関係も複雑でしたが、家族の一人が病気になったり、子育てで人手が必要になったりする時には受け皿がありました。

大家族制度にも良い点は沢山ありました。しかし、多くの日本人は核家族化を選択しました。気楽で気兼ねが不必要という点では良いかもしれません。

昔は一人くらいの失業者も吸収できた家族の総合力が、現在では一人の失業は総収入か、あるいは二分の一の収入減となり、長くこのような事態が続くと家庭が崩壊することもあります。

子供の数は劇的に減少したようです。六十年昔は五人兄弟は普通のことで、十人兄弟も珍しくはなかったのですが、現在では一人か二人、三人は少ないようです。

ただし、子供の死亡率も大変に低くなり、生まれた子供は大半が成長するようになりました。

全部が全部、揃って優秀ではなくても一人や二人は良い子が育ちました。総じて親を大切にする子供たちが多く、親は老後の心配はあまり無かったようです。

世間がこのように激変するとは気がつかなかった人が多いと思います。私が子供の頃は桑の畑があり蚕を飼っている人がいました。

日本は養蚕事業で多くの外貨を稼いでいました。蚕が桑の葉を食べる小さな音に微かに記憶があります。日本の絹は外国女性を飾った歴史があります。しかし、現在絹と言えばタイシルクです。

日本の養蚕事業や紡績業がハイテク事業となり、造船や自動車産業に人々の仕事が移動しました。

社宅に住む多くの人たち、盥は洗濯機に、団扇は冷暖房に、ラジオはテレビになりました。

電算機が算盤にとって変わる間に日本の農漁村は過疎化が進みました。食料自給率が三十%までに落ち込みました。減反政策が進行する傍ら漁獲区域も小さくなり、何かがあると食料は絶対量が不足し飢餓状態になりかねません。

第二時大戦の敗戦、人間天皇の宣言、現憲法の施行、民主主義の政治、この間の混乱や意識の変革は目まぐるしいものでした。

東西冷戦の壁は崩壊しました。

国境は確かに低くなりました。資本の移動も大幅に自由になりました。情報の伝達は容易になって世界中のニュースが即座に人々に知らされるようになりました。

アメリカ経済の支配力は世界に及び、ヨーロッパにはユーロが誕生しました。日本の経済の動向は日本に一国に止まらず世界の経済に影響を及ぼします。日本に限らず、どの国にも言えるとこです。

世界標準化、世界最適調達 情報処理技術の進展の方向

グローバルスタンダードとか、世界最適調達なんて言葉は何方も聞かれた言葉だと思います。しかし、輸出入には関税や禁止品などがあり簡単ではありません。

人の場合は大変に難しいことが沢山あります。フィリピンの少年を日本に連れて来て、学校へ行かせたり、職業訓練をしたり、雇用するのは容易なことでは無く、人の移動や労働には制限があります。

そのような意味では企業が外国に進出して、現地で労働者を雇用することは難しくありません。

リストラの風が吹き荒れていますが、日本の賃金は世界一です。何かの事業をする時に高賃金は障壁になります。

工場の外国進出と国内空洞化やリストラは世界の人々の賃金が平均して同じくらいになるまで続くと考えて将来設計を立てないと自分の存在する場所が無くなります。

確かではありませんが、日本のお米の生産を保護するために七百%の関税が課されているそうで、外国の八倍の値段のお米を私たちは食べているのです。

紡績業などの繊維産業は今岐路に立っています。中国から廉価な衣料品が輸入され、タオル業界などは半減し、三年間のセーフガードを求めていますが、当然のことで、最近の衣料品の低廉化は尋常なことではありません。

もう一つは「労働の質」に問題があります。日本のアニメは世界中を席巻していますが、アニメの現場では、若い見習社員が一日に二枚か三枚のセル画を描いて八時間労働分の賃金を求めます。そのような見習は不必要だと、現場は技能者のみを求める傾向になり、将来の技術者が育たないという問題に直面しています。

最近になって実は寺でも同じような問題に直面しています。職員の生活を保証する手当てを支給しなくてはなりません。見習であろうと永年経験者であろうと手当てに大差はありません。私や住職は日曜祭日も無く二十四時間態勢で寺にいますが、今後、このような責任感で僧侶が勤まる人たちが出てくるだろうかと心配してます。

観音院の多くの僧侶は完全に無報酬で奉仕をしていて下さるので現在の観音院は成立しているのですが、将来はどのようになるかと心配の種は尽きません。

海辺に電気も電話も無い廃屋があって、このような場所に住んで果てたいと願ったこともこともあるが、それも煩悩みたいなものだろう。皆さんのご要望のままで良いことにした。

寺の将来のことはさておいて、「全ての人に愛を、光と祈りを」が私たちの当面の課題であり、「いたわり、慈しみ、思いやり、相手の立場で考える」ことが最大のテーマです。


転職や開業はくれぐれも慎重に 転職は次の雇用契約ができてから

 

仕事の無い人が巷に溢れていると言っても中々実感がもてない。

新聞の求人欄も好ましいものは少ない。ハローワークは求職する人々で一杯だ。求人カードを探しても望ましい仕事はまず無い。

その上に多くの会社が工場閉鎖や人員整理を発表する。

このような環境の中で転職を考える人がいる。そのような相談で来られると、まずは職場の人間関係が面白くないので退職すると言われる。退職するのに格別の理由は必要ないが、良い仕事を探して欲しいと依頼されても無理な話。

世の中から要求される特技なしで、希望給与は自分の生活費から逆算されたもので、雇用先の賃金体系では受け入れ不可能。

生活費は抑えるようにしても、増えるもので、今までに得られた収入が次の職場で得られることは不可能に近いことです。

通信教育で「校正」を習った人が、この観自在の校正を外注したいと言って来られましたが、印刷物の校正を外注するような企業はまずありません。お金にならない資格講座を受けられた訳で、あちこち探して、それからこちらに来られたのですが、気の毒としか言いようがありません。

ホームページが少しばかり上手に拵えられて、自宅を事務所代りにして、外注で生活を立てたいと考えられたら大変な無理があります。人気のあるホームページは内容次第で、企画から写真、画像、文書と、全部を依頼して来るお客さんは継続しないのです。

ホームページは少し変わっていれば、雑誌に一度や二度は紹介されるものです。それで才能があるかもしれないと希望をもって生活設計を立てると大変なことになります。のど自慢で誉められたようなもので生活力とは言えません。

私たちが一番困るのは高校を中退してタレント志望で上京すると言われ出した相談です。タレントさんの多くは高校までに既に才能が相当認められています。養成という概念に馴染みません。

歌手とか俳優さんなどの芸能界は大変な競争社会で、そこで生活出来る人は特別に優れた人たちで決して一般人ではありません。

辛抱できるなら高校生活で一般教養を身につけられ、普通の社会人として努力されるのが良いことだと思います。一口でタレントになると言われますが一万人に一人くらいの才能です。努力すれば何でもできると思うのは世間を知らない証拠です。親が反対するのは子供を不安定で不幸な境遇にしないためだと想像されます。

手軽に商売を始めない 趣味はなかなか売れない

喫茶店を始めたい、居酒屋をしてみたい、趣味の小物の店を=”htたい。少しお金を貸して欲しい。

そのような相談は枚挙に暇がありません。自宅を改装するにしても、店舗を借りるにしても、自己資金で始めることが大切です。

私たちが開店資金をお貸しすることはできません。僧侶は債鬼になれないからです。知人や親戚を債鬼にすることも止めましょう。

少しくらい器用に料理ができたくらい、手芸が褒められたくらいでは商売になりません。同様に、化粧品や健康食品など、知り合いに売るだけでも商売になる、大変に危険な考え方です。家の押し入れが在庫の山になった人をたくさん知っています。

誰にもできるような仕事は、実は本当に難しい仕事で、沢山仕入れることが安く仕入れる条件だったりします。友人を失い、親戚に愛想を尽かされます。

喫茶店も居酒屋も勤めた経験があって独立されるなら話は別です。最低五年の経験は欲しいもので、取引先から面倒を見るからと約束されたり励まされたりするくらいなら何とかなる可能性もあります。

理美容師さんの資格をもっていても、店を開業するには身内に修行先があって、後日助言が得られるような場合のみです。

極端な例ですが、医師の資格を得られた場合には勤務医を勧めます。経営は大変な能力で、資格とは別物と考えましょう。

仕事に必要な資格と 運営能力は全く無関係

多くの資格商法は、国家資格であれ、民間団体認定資格であれ、資格が取れれば無限の可能性があるように宣伝されていますが、人を迷わせる商売ですね。

セミナー商法も同様です。多くのセミナーは何かのヒントでも掴めれば儲けもの、時間と暇があったら軽い気持ちで出席し、受講料が高額だったり、執拗に勧誘された場合は参加しないことです。

何か資格をとることは、その方面の知識をより深めて行くための最初の第一歩です。資格はあるにこしたことはありませんが、通常は即収入には結びつきません。

研究とか何かの特許の取得のような場合は一人でも可能です。それも最近では共同研究が多いようになりました。

ところで運営とか経営能力とはどのようなものでしょうか。

一言で言えば「世渡り上手とか商才」というようなものです。

世渡りは人間関係のつながりの中で、どのように人間関係をもつかということです。

自動販売機のようなものを設置して、大量の物品を流通させるのも自販機を設置する場所を提供してくれる人があって成立します。

運営とか経営には簿記の知識が不可欠です。最初の頃は家計簿のようなものでも結構ですから、金銭、物品の動きを几帳面に記帳する習慣をもってください。

仕事に成功するには、仕入、在庫、売上、利益、経費などの把握が欠かせません。仕事で経済が楽になれば、大体上手く回っているものです。売っても売っても楽にならない時は何処かに無理が生じています。勘定が合っても金が足りない場合は不良在庫の山ということが考えられます。

一生懸命に働いても楽にならないような場合は仕事に無理があります。若しかすると廃業した方が良いかもしれない決断の時かもしれません。

大切なことは利益に応じて仕事を広げて行くことで、軽々しく借入れで事業を広げてはなりません。

そごう百貨店や多くの金融機関の破綻は、小さな事業でも同じようなことは起きる可能性を示していて、決して他人事ではありません。

転職したいという相談なら「慎重に」と申し上げることができるのですが、「もう退職したので何処か働き口を」といわれても困ります。現在は大失業時代の真最中にあります。

軽い気持ちで小商売を始めないでください。小さな店にも様々なノウハウが詰まっています。出来れば親戚か知人の同じような店で働いてみる経験が絶対に不可欠だと思います。

信頼関係を築くには誠実であること、時系列に異なることを言ってはならない

   

生きて行くには何か人の役に立つことが必要です。考えることでも良いし、人の世話をすること、何かを作ること、物や情報を運ぶこと、その時代に要求されることをしないと働いても報酬を得ることができません。

需要が大きく、供給が少ない場合は報酬が高くなります。

技術の難度が高いものほど報酬が高くなる傾向があります。

技術立国という言葉が昔から言われてますが、最近は難しい問題が出て来ました。賃金の安い国に模倣であれ、特許侵害であれ、ともかく簡単に技術の移転がなされるようになりました。時には日本の企業が安い労働者を求めて、自らの意思で外国に工場を移転します。日本は世界一賃金の高い国ですからしかたがありません。

大雑把に日本人と比較すると賃金は日本の三分の一から二十分の一ですから競争になりません。

先般、信徒の皆さんと中国の桂林に旅行しましたが、何でも千円で、交渉次第では一個千円という物が二十個千円にまでなりました。

同じような体験はボロブドゥールでもバンコックでもしました。

宿泊費も日本は大変に高いようで、国内三泊四日の旅行は外国の航空運賃込み三泊四日の方が安い場合が沢山あります。

更に言えば、サービスも外国の方が良い場合が多いようで、日本は技術立国のみならず観光立国も困難なように思います。

このように考えて行くと日本の破綻論のようになってしまいますが、悲観的なものの考え方はしたくないものです。

世界の牽引役のアメリカも景気は悪くなりつつあって、今、将来にわたって明確な展望が描き難い経済状態が世界に蔓延しています。

景気の良し悪しに関わらず、大切にすべきものは信用とか信頼です。信用も信頼も人間関係の実績から生まれるものです。

経済的な破綻は周囲に迷惑を掛けることが多く、万一破綻すると再度、信頼関係を築くのはなかなか難しいことです。

信頼関係の基盤は安定した経済力が第一、公序良俗を守ることが第二、礼儀作法を心得ることが第三、口が固いことが第四、第五は相手の立場で考えられることです。

今までならこれだけ守って行動すれば間違いは少なかったのですが、将来に向けては、世の中の変化に順応できる柔軟性をもつこと、降り掛かって来る困難に敏感に対処できること、様々な情報を収集して分析することなど、目まぐるしく変化する世の中に対応する日常の備えが必要になります。

更に加えて、人格、品性、技術の向上を目指すして努力を怠らないこと。約束を守り、嘘を吐かず、勤勉誠実であることが大切です。

特別に大切なことは、共同で仕事をする場合は連絡、報告、相談が不可欠の条件になります。

これは躾の問題ですが、机の上が整理できない、掃除ができない、公私の区別、自分のものと他人のものの区別ができない。悲劇的な人間関係の終末を迎えます。

約束も人と人の約束は何とか守れるが、組織との約束が守れない人は勤務に向いていません。遅刻の常習、出掛けたら何処にいるか居場所が不明、当然に意思の疎通を欠きます。自然と浮き上がって居場所が無くなります。

巧言令色の人にならぬ。すりよる人は寄生虫です

口先が上手く、顔色を和らげ、媚び諂(へつら)う人は疫病神みたいな存在です。最近、メールをよくもらうのですが、一言不必要で、初対面で一度しか会ったことの無い女性でメールの末尾が「心にときめきを覚えました」と結んであり、不謹慎なことです。

日常会話で一言多くて他人を怒らせるのは悪癖です。自分の欠点を棚に上げて他人のことをかれこれ言うのは損するだけです。

無責任体質も困るが 権限拡大解釈も困りもの

何ができ、何をするかは採用時の契約で、採用後にこれはできない、あれはしたくない。公序良俗に反しない契約で通常のことを、できるできないと言うのは無責任なことです。

さりとてお客さんに過大な値引きをしたり、おまけを付けたり、凄いのは什器備品を他人に差し上げたりするのは運が悪いと刑法で訴追されかねません。

連休明けに体調を崩して休む人は一度くらいは問題にされませんが、何度も続くと、休みの使い方に問題があり、リストラの対象候補に上げられても仕方がありません。遅刻とか欠勤は人によって露骨な傾向が見られるものです。

飽食、大量消費を慎むべき もう少し禁欲的に生活する

国家予算も破綻的ですが、社会の仕組みも根本的考え直す時期が来ているように思います。

一ヶ月三千円で生活する家族が世界の何処かに現存していて、日本人が年間厚生年金で約三百万円とは到底調和がとれません。十年受け取れば掛け金を上回るのではないかと心配です。何処かに計算式が間違っていて、将来は減額される覚悟が必要だと思います。

さりとて月額三千円で暮らすには、自給自足で電気も電話も、冷暖房の一切も使うのを止めて、自動車も新幹線も無縁のことになるかもしれません。現実的に可能なことではありません。

節約とか質素なんて言葉は死語になっていると思います。観音院は自動車を廃止し、モーターが着いているものは全て使用しない試みをしたことがあります。

その時も照明を節約する、使わない部屋の電気は消すとまでは考えていなかったように思います。

何処かに電気は使い放題とまでは思わなくても、電気代の節約までは考えていなかったように反省しています。エネルギーは無限ではありません。石油燃料や電力に依存している現在の生活には将来はありません。

加えて、生ゴミや建築廃材、古くなった自動車や家電製品のゴミは大半がリサイクルされていません。都市周辺はゴミの山です。加えて電力の重要な部分を占める原発の使用廃棄物は確たる処理方法は確立していません。生活維持費の見なおしや節約、質実、勤勉など、皆さん一人一人が考えなくてはならないことです。

生きて行く上で注意しなくてはならないことは多い。一貫した信念や態度でないと、信頼を得られない場合が多い。変わり身の早さも必要だが、それも時と場合で判断すると良い。

三月決算を控えて償却や備品の点検とか多忙で思うように仕事が進まず、今月は法主さまのお話がまとめきれませんでした。今後ともご指導ご鞭撻をお願いいたします。

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