安芸灘地震が忘れた頃にやって来た

三月二十四日午後三時二十八分頃、午後の法要を終えた直後に大地が揺れた。

初めは発電機が回転するような音がして、やがて東西方向に激しく振れ、常夜灯が倒れ、佛具に付いている瓔珞(ようらく)がばらばらと落ちて来た。

本堂に居た人を外部に誘導し、これが前触れなら相当大きな本震があると思って覚悟を決めたが、やがて収まり、寺全体を点検、墓場の石塔が六基倒れ、霊廟(れいびょう)では小さな線香立ての香炉や花瓶が散乱していた。後片付けが大変になりそうだ。

テレビを点けると地震速報が流れていて、震源地は安芸灘、広島は震度六弱とか、お年寄りの家に連絡を始めたが、直ぐに繋がらなくなり携帯も駄目になった。電話が繋がるようになると安否の問い合わせが殺到、メールも多くて一生懸命に返事を書いた。

新幹線も翌朝まで不通、在来線も駄目、場所にもよるが、観音院の近くは停電断水も無く、瓦が落ちた人たちに青いビニールシートの備蓄してあるものをあげた。

運転中の新幹線に乗り合わせた人は脱線するかもしれないと恐怖を感じられたという。

死者二名、百六十一名の重軽傷と報じられ、六千戸以上が損壊したこの地震に「平成十三年芸予地震」と名付けられた。

安芸灘を震源とする地震は千九百五年、四十九年と、五十年から百年に一度の経過でマグニチュード六以上で起きている。

災難は善人悪人を問わず平等に訪れる。わけても地震は予知が難しいらしい。しかし日本は世界有数の地震国であり、災難は何時起きるかもしれないと思いながらも、災難が降り掛からぬように祈りながら生きて行きたい。

――災難は忘れたころに――

地震の研究は一生懸命にされているようですが、未だ予報とまでは行かないようです。余震はまだまだ続くと思われます、いずれ収束しますが、油断は禁物、梅雨に向けて注意をしてください。

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