大般若転読法要二百座執行にあたって

お礼参りが毎日のようで、改めて み仏さまの御顔を拝みながら、あなたは有り難い御方ですと讃嘆(さんたん)する毎日です。
 み仏さまは 多くの人が拝みに拝んで、拝み込んで偉大な御力を示されると法主さんから教えられていますが、その通りにしています。
 私は、信徒さんに依頼されたことは、私の知恵で判断することなく、そのままにお伝えしています。所願を成就されるか否か、私には判断の出来ぬ事で、み仏さまのご判断です。
 ところで私の礼拝祈願の依頼を受けるについては、当然に公序良俗とか法律を超えるような内容については、相談の段階で、納得付くで依頼されることを、お受けしないようにするのは当然の僧侶としての戒律です。
 法主さんは強烈で 内容を聞くまでも無く、み仏さまに依頼すべきか否か、雰囲気だけで察知される能力をお持ちです。
 怠惰であっても願望成就を望まれるとか、税務調査が柔らかく済むようにとか、そのようなことは、宗教と無関係なことです。
 なすべきことをなして天命を待つ、そのようなことは、祈願も、順調に執行できます。
 供養は無条件で受けます。亡き人の菩提を願うことに善悪はありません。
 本来は、表面的には祈願すべきことが礼拝供養によって改善されることが極めて多く、多くの祈願の依頼は、その祈願と同時に礼拝供養を執行して、霊験があります。 毎日三座の護摩供養を行うことは、大変な難事です。携わるのは人間ですから、風邪を引くことも、体調が悪いことも、加齢による老化現象等もあります。それを乗り越えて、一座を欠くことも無く、法要を続けています。
 平成十六年二月一日には、大般若転読法要第二百座を執行できたことは、み仏さまのご加護と皆さまのご支持によるものです。
 当日参列された方々には観音院本尊大日如来を寺で謹製し、お性根を入れてお授けしようと考えて、外注することなく、僧侶自身の手で謹刻しています。

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