在家であろうと問題は何もありません

私(鈴之僧正)は、昔のことは大半を忘れてしまったが、煩悩
で大変な仏罰が当たったような「経験」があって、これは、今で
も忘れることも出来ないし、今後も、戒めとして持ち続けなけれ
ばならない。
 その煩悩と言うのは「布教をしなければならない、教えを説き
たいと、愚かにも門前に掲示板を立てようとしたこと」である。
恐らくは、説くべき内容も無いのに、何処かの文章を写して貼れば
良いと安易に考えたのだろう。掲示板の柱が滑って、足の親指を
根元からスパッと切断して、骨が見える、落ちた指が転がってい
る、指を元の場所に付けて包帯を巻いて、痛みは感じ無かったが、
その出来事を思いかえしています。(法主さまのお話を田川純照筆記)

 私が掲示板を立てようとしたことは僧侶としては普通のことで、
寺の前には掲示板はあるものです。
 物事をするには、動機があります。
動機は、世間の人に僧侶らしい評価がしてもらいたい、感心して
もらいたい、寺の信徒さんを増やしたい、強いては収入の豊かな寺
にしたいなどの下劣で複雑な欲望があったかも知れません。
 これは、私にとって僧侶らしくなる重要な出来事ですから詳しく
話します。

 掲示板を立てようと思ったことは、他寺のお坊さんの真似です。
安易ですね。最初に掲示板を立てたお坊さんは素晴らしい僧侶だと
尊敬します。
 説きたいこと、見てもらいたい考えを持っておられた。私は偉い
お坊さんの書かれた内容を真似して、この考えは、厳密に考えると
盗作に匹敵する行為ではないかと激烈に反省しています。
 頭は剃髪(ていはつ)していましたが、心は剃っていなかったと
反省しています。

 その後に、足はどうなったか、足は腫れ、包帯は真っ黒になり、
歩くのも不自由で、辛い毎日で、日々、読経と反省懺悔(さんげ)、
簡単に自己弁護すれば、言い訳もありました。
 アビトンと言う固くて重い外材で、足の付いた窓枠のようなもの
に、屋根を付け、日曜大工さん同様に苦労して作った伝道掲示板、
目的はみ仏さまの教えを広めるためです。
 しかし深層心理と申しますか、心の奥底に、見栄とか、利益とか、
そのようなものが、かりそめにも無かったかと痛烈に見渡して点検
していました。
 半年くらい経て、足の痛みも自然に消え、あまり気にしなくても
良くなりました。親指は失ったと思って、覚悟は出来ていました。
包帯が破れ、黒い爪が覗き、黒い皮膚が少し浮いているのです。
傷跡を確認するような気持ちで包帯や爪や皮膚をとると、下に綺麗
な親指がありました。爪が普通になるまで一年は必要でした。脱落
した指が外科手術を受けずに元通りになるとは信じられません。
期待してもいなかったことが我が身の上に起きました。

 今では、左右のどちらの親指だったのかも、忘れました。ですが、
これが僧侶としての原点になりました。 

 以来、寺の繁栄とか、信徒さんを増やすとか、そのような願いは
聊かもありません。観音院の世襲制を廃したのも、運営を信徒さん
に丸投げしたのも、個人秘を持たなくしたのも動機はそこらにあり
ます。無欲を原点にしました。
 東京事務所の開設も丸投げの結果で私には何の意図もありません。
最近のお話は、私の生き方で、広めようとも、褒められようとも、
良い話だと感銘してもらおうとも何も考えていません。

 私にとって無理が無く、現在の心境と在り方の実際について思い
つくままに話しています。話をする際に、何をお話しするか考えて
いません。格別な意図とか、目的などありません。私の言動につい
て一切責任を感じません。
 私は、来いと言われた所に行ければ行き、話せと言われれば、
とりとめも無く頭に浮かんだ話をします。毀誉褒貶は考慮しません。

■観音院の法主さんは、何も権限をもっておられません。
 十人の責任役員、五十名の評議員、三名の監事が、法主さんの
 言動に責任をもっていて、その場で訂正する権限があります。
 法主は無責任です。

■法主は法律的に何の権限も有りません。法主単独でなした行為
 は無効と規定され、必ず役員が同伴しています。役員が同席し
 た場合の約束やお話は、役員会が百%責任を持って執行する
 規定です。

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2003-5-2

 責任は無くとも過去一度も無修正
     無作為の言動が承認されて来ました

 観音院の建物は、七年に一度くらいリニューアルされているよう
です。四月末日に向けて全面外装がなされていますが、建物を大切
に維持管理することは大変な予算と手間暇が掛かります。
 四月十九日の役員会のころには、竣工時の観音院が蘇ります。
実際には竣工時よりグレードの高い材料で手塗りで、三回も仕上げ
工事がなされます。

 全てのものは移ろいて(無常)、原形を留める物はありません。
工作物は出来た日から日一日と崩壊して行くものです。
 人間が生老病死を避けられぬのと同様です。建物も例外ではあり
ません。
 人間でも、乱暴に生きる場合と、慎重に生きるのでは多分寿命が
異なると思います。
 建物も同様です。維持管理する人と方法で、長年にわたり、立て
替えせずに済むか済まないか、異なります。
 立て替え工事には信徒さんに多大の負担が掛かります。一度慎重
に手入れすると十年くらい長持ちするそうです。結局は、皆さんの
ご負担が軽くなります。
 建物塗装の動かぬ経費は、仮設の台や養生費です。価格で変動す
るのは塗料の質の良し悪しです。皆さんが塗装なされる際の参考に
してください。
 施工に際しては、現金払いの条件で数社から見積書を頂いたのは
住職、決定したのは監事さんです。支払いは総務担当教師です。
 何度も法主さんに挨拶をされたいとのことでしたが、お断りしま
した。
 この件に関して、大体に於いて契約とか、購入など、法主が関与
する時間も無いし、権限も何らありません。
 諸行無常に関与しても如何とも致しようが無いではありませんか。
寺の役員さんが何方が就任されようと私には一切権限が無く関心も
ありません。

■私が権限外のことをしたのは、見知らぬ人が市営住宅に入居され
るについて、市役所の何方かに依頼されて、手続きだけですからと
捺印しました。
 それ以外に、子供を産みたいけど認知してもらいたいと頼まれ、
ああいいよと引き受けて、その後何も言って来られなかったのです
が、先日親子で礼に来られて思い出しました。認知したことは一度
もありません。これからもありません。
 当時の顧問弁護士さんに随分と諭されて性根が入りました。私は
中絶を避けるためなら百人でも二百人でも幾らでも認知くらいして
上げても良いと、今でも納得はしていません。

 納得は出来なくても、役職員の言うことには従順です。私には、
法律で厳守すべき「守秘義務」がありまして、祭祀を司るものとし
て知り得た情報は何方にも漏洩(ろうえい)することはありません。
役職員も私の知り得た個人情報を出させると失職する当然の決まり
があります。過去のことは思い出しません。パソコンも代替する時
は、固定ディスクを金槌で破砕し完全なゴミにして処理する習慣、
否、規定を待っています。
 私が口にしたことはテキストに変換され、観音院の責任の下に
ホームページとしてインターネット上に公開される決まりです。
 頭の中は、空っぽで、話す時は、知り得た個人情報にアクセス
しない習慣を叩き込んであります。
 例え、裁判の証人に喚問されても、祭祀に関して知り得た個人秘
は話さない権利が法律で保障されています。
 このようなことを説明するのは、これから僧侶になろうとする人
や祭祀に関わる人々に僧侶の絶対に犯してはならぬ戒律以前の厳守
すべき義務と権利を説明しているのです。

 昔、興信という仕事があって、現在何かの調査事務所になってい
るかも知れませんが、過去帳を見せてくれと申し込まれたことが
ありますが、調査に応じたことは一度もありません。今後も何方に
聞かれても、国会に喚問されても、祭祀に関わるものとして、業務
上知り得たことは一言も話しません。それが僧侶の立場です。

■私は、夜は比較的に早く横になります。これといった心配事は
 ありません。所属する寺院に、立ち入り禁止の場所が無く、
 買い掛けは一切無く、短期も長期も、借り入れは一切無く、
 全部現金払いです。

■お坊さんは本来は資産を持たず、金銭の貸借をすれば失格します。
 失格者を出さずに今日まで来れたことは大変に善いことで、これ
 から先も経済状態で一喜一憂しない寺を維持してください。

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鈴の法話 2003-5-3

 お喋りしたり、駄洒落を言ったりしないこと
  本当に沈黙は金、口の堅いのが信用の基本です

 私(鈴之僧正)は、上手に話そうと思ったことは一度もありませ
ん。講談師でも落語家でもありません。芸能人になろうとは夢にも
思ったことはありません。癒しの役割は多分に相当あると思います。
 あれこれと考えて話すことに、何の意味がありましょうか。
 ありのままの自分を話すことが大切で、それで聞いてくださる方
が一人もいなくなったら、沈黙するのが良いですね。

 僧侶が面白く無い話をしても「引っ込め」と下駄は飛んで来ませ
ん。罵声(ばせい)を浴びることも先ずありません。下手な読経で
も「お布施」は頂けます。
 私は五歳の時の土曜日に得度剃髪して、翌日の法事に法衣を着て、
ご法事で住職の隣に正座をしていただけで、七十円の「お布施」を
頂いたことがあります。お小遣いが一銭二銭の頃の話ですから大変
に驚きました。         
 見たこともない十円札を七枚もですから、感謝とか、嬉しいとか
を通り超して、親に預けました。多分、現在の貨幣価値からすると
七十万円か百万円に相当すると思います。
 その後から半年くらいは、同級生や近所の友達から、からかい
半分の苛めに近いような扱いをを受けました。多分に子供が考えた
とは思えないような「□□坊主」と呼ばれ、登校を拒否したいよう
な精神状態でした。学校へ行く時間になると腹痛が起きる。最近の
登校拒否児童にも同じ現象があるそうです。

 綺麗に剃髪していると、新幹線などで、ご僧侶から合掌して挨拶
を受けることもあります。挨拶の習慣は私も同じようにしています。
時には隣席に座られて「あれこれ」聞かれます。そのような時、
私は、厚さが普通の名刺九枚分もあり香木の裏には般若心経が振り
仮名付きで彫刻してあるものを渡し、話題は名刺のことに向くよ
うに話題を選びます。

 僧侶と問答したい人もおられて、相当勉強をしておられます。
中には、夜を徹しても問答したいと電話も掛り、メールも沢山、
時間の予約もせずに訪問されることもあります。
 私は内規で役職員が側にいて、誤りある時は訂正してもらうこと
になっていますが、夜を徹すると二人の役職員が必要です。
 わざわざ申しませんが、夜八時に入浴、九時には横になります。
問答中であろうと、なかろうと、問答無用で生活のリズムは絶対に
崩しません。その後でお客さんがどうなるのか私の知るところでは
ありません。夜を徹して話したい人と面談の機会を設けたのはその
役職員の全責任です。

 さて剃髪したり、改良服(かいりょうふく・黒い小袖の法衣、
スーツの上に羽織ることもてきる)と、数珠でも持っていたら、
畏敬の念と軽い侮辱の気持ちで眺められることがあります。
 社会人が得度を受けたり、剃髪したりすると、いろいろと勉強に
なります。

 私は、雛僧のころは良く托鉢(たくはつ)をしたものです。花街
では随分と沢山のお布施を受けました。昔は「朝乞食に夕坊主」に
会うと、縁起が良いと言われていたのですが、最近はどうでしょう。
 托鉢は形式を守り清楚な感じで路上に立つと、私の場合では一日
で十万円前後になります。これも役職員が同行する内規があります
ので、勝手な思い付きでは承認してくれません。
 但し、水や塩を撒かれたりしても、立腹はしないでください。
托鉢は忍耐心を養う良い修行になります。犬を追うように「しょい」
と言われたこともありますが、十年後くらいにはそのあたりは更地
(さらち)になっています。僧侶に邪険なことをする傾向は破綻
するのかも知れません。

 得度を受ける費用は無料になりました。会社などでは新入社員
から教育費を取ることは有り得ません。今後の得度費用を無料に
しましたようこそお越しに、を原則にします。
 得度は、私の考えではWELCOME(ウエルカム)と扱いたい、
「ようこそ」といった体制で受け容れるべきではと考え続けてい
ました。将来は住職さんになられる方かも知れないのです。
 教師の方々と相談しますと「その通りだと思います」との返事
でした。
 僧侶の養成や教育は、寺院の大切な役割です。
他の寺院ではと、横並びの意見を表明される方もいましたが、
他寺の運営は参考にしないのが、観音院の独自性です。良いと
思ったことはどんどんと取り入れ実行するのが長所です。
 観音院は以前より戒名料は無料でした。得度支具料は実費を
お供えして頂いておりましたが、無料にしました。
 お寺の運営について、世間の常識も大幅に取り入れることが
必要です。しかし、私は気が付いたことは提案しますが、決める
のは皆さんのご意見です。
 私や専従役職員の知恵や知識は小さいものです。今後の観音院
の在り方や運営は皆さんです。維持運営については、全て皆さん
次第です

■僧侶は、舌禍筆禍を起こさないよう話すこと、書く場合に迷惑
を掛けないように注意してください。表現に建前とか本音がある
と辛いことになります。
 建前と本音が一致するよう努力することが大切です。

■理解できないことを奇跡とは受け取らない。地獄を説かない、
極楽は理解できてから、説いてください。恐怖と人参、飴と鞭で
信徒が増えると大変です。
 超能力よりは普通の能力に磨きを掛けましょう。

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