動かざること山の如し

観音院の布教も設備も慈悲の限界も、すべては融通無碍さまが始められたことです。原点としての立場は一寸たりとも動くこと無く、何が起きても世のために役立ちたいと願われています。

 観音院き議事録が無い団体、経理が公開されていない団体とは提携しません。

 当然に観音院も運営の公開、財務諸表の公開、あるいは複式簿記を採用していますので、これらについて知識のある会計士さんや税理士さんが信徒さんの依頼により、帳票調査をしたいとお申し越しがあると、観音院の役員が立会して調査に応じさせて頂きます。

 ずっと昔はどなたでも自由に帳票を閲覧していただいていたのですが、帳票と領収書などの原本をお持ち帰りになられたことがあります。幸いコピーがありましたので問題は起きませんでしたが、公開を害意をもって要求される場合もありました。立件され懲役八ヶ月、執行猶予五年ということで片付きました。

 礼拝所不敬罪(第百八十八条第一項)、説教等妨害罪(第百八条八条第二項)には、神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し、公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処せられる。また、説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処せられる。とあります。

 寺院神社に対しては尊厳維持に手厚く保護されています。

 観音院の仏像がお祭りしてある場所は全て礼拝所と同じ扱いです。

 礼拝所で気分が優れず、横になられるような場合は心臓除細動装置も二台常備しています。すぐに救急に連絡して、適切な処置をとります。 産意が急につかれた方も無事に産院出産して頂くことができました。

 死にたいご相談には絶対に応じられません。お金に関する相談、保証人になることも不可能です。観音院は住職の個人のものではありません。信徒さんの所有に関わるものです。お金を貸したり、借りたり、保証人になることは、責任役員会と評議員会の賛成が必要です。宗教活動の一環で無い限り絶対に賛成は得られないと思います。

 信じられないことですが、お寺に慈悲の強要をされる方も時にはあります。このような時は警察が対応してくださいます。

 震災のお見舞いとか、死にたい相談などは融通無碍さまが一人の人間として対応されて来ましたが限界がありまして、融通無碍さまが相談に乗られて自殺された方が過去に一人居られます。明日お寺に行きますからと明るい声で応答されて、安心しておられたら、ホテルの窓から飛び降りて自殺されました。自殺は保険金が受け取れる制度は『悪』と言われます。

■二千六年六月、「自殺対策基本法」が成立しました。重要な社会問題であり、個人で対応しきれないからです。

 平成十年以降、十四年間も自殺で亡くなる方が三万人を超える水準で推移していることはとても残念なことです。

 広島県にも健康福祉局、健康対策課、自殺対策担当 TEL082-513-3074 が設けられています。

 広島県には社会福祉法人『広島いのちの電話』TEL082-221-4343 が二十四時間対応され、なるべくそちらを紹介するようにされています。

 『いのちの電話とは』。多くのいのちの電話では二十四時間対応しておられます。
 ・名前は告げる必要はありません
 ・相談内容の秘密は、必ず守られます
 ・お互いの宗教や主張は尊重されます
 ・相談は無料です
 ・金銭的な援助はされません

■電話相談にあたるのは、定められた養成過程を修了し相談員としての認定を受けたボランティアです。

■融通無碍さまはこの講習を受けておられません。とても難しいことで、決して自殺の相談に乗って上げるような善意で片付くものでは無い難しいことです。

■高校生が一生懸命に勉強して大学試験に合格された。入学金と授業料を親に相談されたら、父親は母に相談しろ、母親は融通無碍さまに相談しろ、このような相談は爆沈相談と言います。

 学校では先生も友達も喜んでくれている。入学できないと『死ぬ』です。

 お金は後日返還されましたが、返還は本当に珍しいことで、お金を出して上げることは自分の出来る範囲でと考えておられた、無碍さまの財布が底を尽きました。この場合も本当に無碍さまがお金を出さなかったら自殺されたかどうか、とても微妙で判別できません。

 ですから、素人が自殺の相談に乗ることは危険と言われます。できるだけ専門家に紹介しなさいと言われます。

 お墓に照明が二十四時間点いて無かった昔には、お墓で睡眠薬を飲んでと言う例がありました。朝までに死ねません。救急車で病院に運ばれることになります。

 モニターカメラが付いて自転車泥棒と墓地の自殺未遂は無くなりました。

 自殺の問題は努力しても力が及ばないと述懐されます。

 日本には自殺者の遺族に関する統計がありません。遺族三百五人を対象にした調査では、遺族達の四人に一人が自分も死にたいと考えておられ、一家の大黒柱を失った事による経済的困窮に悩まされるなど、その辛い実態が伺えます。自殺が起こったのを半数の遺族が自分のせいだと考えており、十年近く経過しても抑うつ感が消えない遺族も多い。また自殺者が事前に何らかのサインを出していたかという問いには約四割があったと答えているが、自殺以前にそれに気づいたのに二割にとどまった。半数以上が周囲からの偏見にさらされた経験が有り、「あなたのせいで死んだ」などの心ない非難を受けておられるそうです。

 自殺の葬儀は過去に二件しか経験しておられません。

 そのような意味では僧侶は慈悲深く生きる立場ですから、積極的に『いのちの電話』に関わるべきかもしれません。

 どんなことがあっても良く話を聞いて上げて、自分の力で救えることは絶対に自惚れないようにと指導されます。

 慈悲深い僧侶としてのご意見ですから記貴重です。従うべきです。

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