努力をせずに、のうのうとして役員報酬を得ている人は……

盗むという行為、夫婦間では成立しませんが、警察に捕まらないまでも、泥棒はしてはなりません。盗んではいけないもの、最近では「情報」を盗むことが大変な問題になっていますね。企業やお役所の個人情報を盗むのは、大変な悪事ですが、家庭で、家族の携帯電話の番号を見る、メールを見る、犯罪として警察に捕まりませんが、家族の信頼関係が崩壊します。家庭の崩壊は、その過程が地獄です。 子供の日記を読むのも良くない親です。子供の心に土足で入るようなもので絶対になさらないで下さい。他人のプライバシーを犯さない第一歩は、家族のプライバシーを犯さないことから訓練して下さい。家族がお互いに秘密を有することは望ましくありませんが、読まれることを意識して日記を書きますか。

(法主さまのお話を田川純照が筆記)

私は日記は書きません
全て記憶で死ねばそれまで

 祭祀(さいし)に携わるものが業務上知り得た 他人の情報を 漏らすと、刑法に触れます。
 情報管理は徹底していて、信徒さんの氏名住所まで丸秘事項に指定しています。これらは電算機に資料が収められていますが、内容を抜こうとするといかに優秀なハッカーでも不可能です。電話線に繋いでありません。
 漏れたら職員、または保守に来た関係の社員さんに限定されます。その他にも情報保護のシステムが設置してありますが、保安上説明できません。
 一般的に情報漏洩はインターネット経由よりは、従業員や電算機会社等の社員による物理的な単純コピーで行われることがほとんどです。
 私や職員は、個人秘に属する情報は記憶です。原則として共有しません。ですから、信徒さんにとって必要な契約は文書にして貰って下さい。
 情報は金銭よりも貴重です。皆さんも大切に保管して下さい。
 私は原則として他人のパソコンには触らないことにしています。
 サーバは管理パスワードを破れば、自由に出来ます。但し発覚すれば罰金五十万円で済めば良いですが、場合によっては懲役です。
 情報の価値と、不正利用した結果、損害があれば、大変な額の損害金を請求されるでしょう。他人の情報は決して盗んではなりません。

み仏に祈っても札束は降らない
宝籤も買わねば絶対当たらない

 私は貨幣経済の中に住みながら、金銭のことで苦悩したことが有りません。
 実は観音院を建設した時に建物と什器備品で六億円を必要とし、寄付金が六千万円で、残りを銀行借入で補った経験がありますので、借金返済の苦しみはよく存じています。返済が済んで現金が一億円になった時は死に掛けていました。現在、生きて元気ですから死んではいなかったのですが。
 その後は代表役員を辞したので、お金の苦労から解放されました。借金には利息が付きます。浄財を寺のためとはいえ利息に当てると、み仏さまから盗んだような気持ちになります。
 役員報酬は借入の連帯保証人などになっている場合を除いて、顔も出さず仕事もしないで名前を貸しているだけでお金が貰える、これは不可解なことで、良くありません。
 夫婦で起業し成功して、夫は努力して会社を大きくした、ところが、勉強しないでのんびりと専業主婦をしていた奥さんがしゃしゃり出て、社長の奥さん面で世間で主人の足を引っ張る。夫婦反対の場合もあるのですが、これは見苦しく、配偶者やその組織の品位を奪う、盗人と同じです。
 競争で相手に打ち勝つことは必要ですが、卸先に圧力を掛けたり、相手の人材を引き拭くことはやり過ぎです。
 恨みを買わないように怨念をもたれぬように仕事を進めてください。
 目の前をお金が通る立場、そのお金を本来の目的外に流用したり、自己の借金の穴埋めに使用することは、金銭の持つ魔力でしょうか。
 お金が通過するあらゆる通過地点で起きる偸盗(ちゅうとう)行為です。業務上横領は厳しく罰せられるのが通常で、前任者から引き継いで横領し、プールする、関係者の冠婚葬祭や歓送迎会、ついでに自分も少し頂く、なんてことが、お役所等でなされていると、税金を納めたくないですね。
 社内会社、よくあることですが、二重伝票操作です。納品書や領収書を余分に持っていて、売った価格と会社に納める金額が異なる例等は、枚挙にいとまがありません。
 多くの企業や組織は被害金額が弁償されれば表沙汰にしません。それに本人が弁償出来なくても、保証人が弁償して終わることもあります。
 盗みをすると、何時発覚するかと夜も眠れぬ筈ですが、病気のようなものでしょうか、地獄の様相です。

殺生(せっしょう)と偸盗(ちゅうとう)は類似点が多くあります
殺生は破壊すること、偸盗は自己のため再利用すること
 十善戒の第一には不殺生、二番目には不偸盗が説かれています。
「殺生」は生命を奪い、破壊することですが、「偸盗」は 他人の心や物を盗み、自己のために利することです。
 どちらも悪質ですが、偸盗は速やかに返還し、お詫びをすれば許されることもあります。
 殺生は回復は不可能ですが、偸盗は回復可能なこともあります。
 魔が差した、例えば万引きをして、これはいけないと元に戻すか、出口でお金を払えば、偸盗には当たりません。気を付ければ、犯さない済む犯罪です。

 偸盗に分類される配偶者のある人との性交渉があります。これは破戒ですが、婚姻関係がすでに破綻している場合や一方が不能となった場合、敢えてこれを邪淫とか偸盗と呼ぶことに躊躇します。それが秘密が守られていて、扶養の義務等が果たされていれば、当事者は得るものと同じくらいの気遣いをしているのが普通で、目くじらを立てるほどのことでは無いとおもわれます。現実は、戒律に当てはめないように幅を持って考えるようにしてます。

 実に多くの信徒さんの悩み事の相談に乗りましたが、物差しで計ったようには助言ができないのです。
 人は間違いを起こし勝ちなものです。間違いを起こさないようにと十善戒もつくられています。
 破戒は起こり易く、それが本当の人の姿かも知れません。完全に十善戒を守れる人は少ないのです。
 だからこそ十善戒も必要なのです。人は間違い易きものと思う時に、他への優しさや思いやりが生まれます。
 私は、人の破戒を忘れることが出来ます。自分自身が十善護持を完全にとは絶対に言えない事を知っています。
 善事に執着することは時として悪事をなすより、より悪い、と思うことがあります。「十善戒」は心を広くして皆さんへの普及を願います。

 私の尊敬する信徒の年長者で「絶対に曲がったことはしない」と頑固者と有名な方がいました。
 この方の困った事、問題点は「真っ直ぐな定規」を持っておられなかった事です。ですから、自分で信じ込んだ正義が定規で、行動し、家族に社会に自己の信じることを押し付け、通らないと不参加、時には反対行動、ダイナミックな方でしたから、日本国憲法よりは存在感がありました。この頑固者憲法は、約束を守る、嘘を言わない、勤勉に働く、大家長で、泣く子も黙る、て言った権勢でした。この人のために泣いたり、悔しい思いをした人は、数知れないほどでした。 
 何かで立腹すると羽織袴で白足袋履いて、本当に頭から湯気を噴いて怒鳴り込む、一寸した迫力でした。
 その方が私と面談してお話申し上げるとの文書を寄越されて、日時は指定したのですが、私はこの方のご機嫌をを損じたのかと大分考えました。
 当日、何時もと異なり、しずしずと通られて、応接で「申し訳無い、告白することがある」とのことで頭を付けて平伏し、小さくなって震えている。もうご夫婦で逝かれて十年になるから話しても良いでしょう。
 若い頃に、近所の娘と出来て、そのまま兵士として出征して、そりきり、又、出征中に買春したことがある。私は悪人です。」と言うこと。
 殴ってくれ、とのご要望でしたが、仏前で般若心経百巻読誦を申し渡して、その様子を見た周囲の人が、何をしておられるかと聞くので、善人になっておられると言っておきました。
 木魚の代わりにボクボクと叩いて欲しいとの要望でしたが、羽織袴の木魚なんて知りません。
 「まことの道に説いてある十善戒を読んで、間違っていたと気がついた」そうです。「自分が悪人だと」・・・・。
 善人の衣を脱いだ途端に、ほんとうに善人らしくなりました。
 この方は私の成長期に大きな影響力がありました。説明不足で誤解されますと、湯気を噴いて羽織袴が飛び込んでくるのですから。
 昔はこのような人が必ず何処かにいて、地域社会を取り仕切っていたのですが、最近は他人の間違いに口を出すことが難しくなりました。
 私はこの人に大変に感謝しています。もちろん菩提も丁重にしています。
 最近はお寺の世話をしたり、住職や徒弟に間違いがあると、強烈な注意をして下さる人が少なくなりました。

 観音院は運営と会計は公開です。五十人の評議員、三名の常勤監事、十名の責任役員、七名の教師総代を抱えて情報公開に積極的です。怒鳴り込まれるようなことは役員会に丸投げ、僧侶は運営のことなど考えずに礼拝と供養に専念し、あたたかい心で、相手の立場で考えて、布教に専念すれば良いということになっています。

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