初夢

寅さん  つかぬことを訊ねますが初夢をみる日は、正月の何日でしたっけ?
ご隠居  一月二日の夜にみるのが初夢だが、それがどうかしたか。
 そのとしで、いまさら初夢でもあるまい。それとも、うら若い娘さんのようにロマンチックな夢でもみたいか?
寅さん  それもわるくありませんが、来年こそは、もうすこし増しな良い夢をみてやろうと思っているんです。
ご隠居  それだったら、日本には昔から伝承されている良い夢をみる「おまじない」がある。つまり七福神が載った宝船の絵を、一月二日の夜枕の下にしいて寝ると、良い夢がみられるといわれている。
寅さん  そういえば、そんな話を聞いた覚えがありますね。
 なるほど、宝船の七福神か・・恵比寿、大黒、弁天に布袋・・・?
ご隠居  そして毘沙門、福禄寿に寿老人、以上で七福神だ。
寅さん  その中の紅一点が弁天さまというわけですね。
ご隠居  とびっきり別嬪(べっぴん)さんの天女だな。彼女は梵天王(ぼんてんおう・仏法を守護する神)の妃であるとも娘であるともいわれ、「辯才天」と訳される場合には音楽とか弁才をつかさどる女神の性格を示し、「辨財天」と訳す場合は主として財福とか智慧の女神であるとされる。
 ではひとつ、辯財天についてもう少し詳しく調べてみることにしようか。

 ここに信暁という僧侶の書かれた「山海里」という著書がある。
 以下この書物より抜粋して紹介する。

長寿に富裕(ふゆう)

 金光明最勝王経の第七巻大辯財天女品には、四千四百四字でもって、寿命増益(ぞうやく)の利生(りしょう)から得福無量の義をあらわし、第十卷大辯財天女讃歎品(さんたんぼん)には、三百七字でもってこうある。・・辯財天が仏を讃えて、微力ながらわたくしの力によって、如来の何万分の一なりとも功徳(くどく)をささげたい。それは、いってみれば蚊子が大海の水を飲むようなものであるかもしれないが・・・・。
 ねがわくは、この福をもって、広く有情に及ぼし、永く生死(しょうじ)を離れて無上道を成せしめん、と誓願(せいがん)した。仏もまた、辯財天を善哉善哉(よきかなよきかな)と褒めたまいて、「汝、久しく修習(しゅじゅう)して大辯財をその身にそなえた。今また、われの前において我を讃歎(さんたん)してやまない。
 汝、これより速やかに無上の法門を証し、汝のその相好(そうごう)円明なる容姿のごとく、豊かに満ちてあまねく一切を利せよ」と説きたまわれた。
 また、仏説辯財天経においては怨敵退散(おんてきたいさん)、諸人愛敬(あいきょう・愛し敬う)、一切福田(ふくでん・仏に供養すると福徳が生ずるのは、田が作物を創りだすようなものだとの意)、財宝満足をつかさどる辯財天は、その宝冠の中には白蛇がいて、その蛇の顔面は老人のごとく、眉毛なども真っ白だという。なぜ老人の顔なのかというと、それは諸仏の出世(しゅっせ)のたびごとに仏をお迎えし、衆生を利益(りやく)するという年久しい瑞相であってこれを宇賀神(うがじん)という、と説かれている。
 そして、このお経の末尾のほうに、釈迦如来が大衆(だいしゅ)諸菩薩に告げて、次のようにいわれている。
 「この宇賀神を軽侮することなかれ。西方浄土にありては無量寿仏と号し、娑婆世界(しゃば・この世)にありては如意輪観音と称し、まさしく生身(しょうじん)は日輪の中に居して、四州の闇を照らし、托枳尼天(だきにてん)の形を現じては福寿を施し、大聖天とあらわれては二世の障難(しょうなん)を払い、愛染明王の形をもって、愛福を授け、無上菩提(ぼだい)に至らしむ」と。

 この宇賀神 すなわち辯財天が、衆生の貧を転じて大福長者になさしめようと、種々の形を現されるのである。維摩経のなかに「菩薩は欲の釣り針をもって率(ひい)て仏道に入らしむる」とある。
 この世界は欲界であって、欲を楽しみとする者ばかりであるから、はじめから離欲寂静(りよく・じゃくじょう)の涅槃(ねはん)に導くことは至難のことである。
 したがって、利行同事(りぎょう・どうじ)のことわりどおり、欲の衆生を済度(さいど)するには、まず「欲」の釣り針を垂らして、福の餌を嘗(なめ)めさせ、それを端緒として、徐々に仏の道に誘引する手段であると知らねばならない。
 これはひとり辯財天のみならず毘沙門天、歓喜天、聖天稲荷、吉祥天女、大黒天等はすべて、仮に福神に姿を変え、欲の釣り針となって欲界の衆生を済度(さいど)される菩薩の権現(ごんげん)であるといわれている。
 それゆえ仏法に因縁のある神々、あるいはまた天部など、いずれも菩薩の化現(けげん)である。
 ことほどさように日本の神々はわれわれ仏教徒の目から見ても、宗教的な違和感を感じることがない。むしろ親近感すら有するのである。そのことは、仏教がわが国へ伝来してよりこのかた、日本の神々が仏法を忌(い)みたまわれたと聞いたことがない一事によっても明らかである。
 いな、忌みたまうどころか、古来より諸神が仏法に帰依(きえ)し、仏戒を受けたまわれた事例も数多くある。ゆえに弘法大師は不出世の大英知をもって、本地垂迹(ほんちすいじゃく)の説をお説きになったのである。
ご隠居  以上が「山海里」に書かれている要旨だ。
寅さん  へえ、本地垂迹説はお大師さまが元祖ですか?
ご隠居  それは信暁師に聞いてみなければ分からないな。

七曜戒 朝の言葉・金曜日
 善意に受け取る。善意に受け取る人になすべき仕事と住む場所が与えられる。
 人すべて平等(ひと)しくみほとけの心を持てり、世に悪しき人なし、人の言葉と行いは、善意に受け取るとき、善意の力もちてその人を浄めゆく。
 人はすべて善き人と讃えられんと望み、善き人と受け取られるとき、善き人ならんと努力す。人の言葉と行いに善意を見出すことはその人の本来もてるみほとけを見出すことに外(ほか)ならず。
 人の心、素直に善意に受け行くとき、その人ならずば他にかえることできずという固い信頼が生まれ、信頼は仕事を与えられる始めとなり、仕事ある人に住処定まる。
 疑い深き人、人に信頼されることなく、仕事を失い、やがては住むべき場所もなし。
 観音院常用教典「まことの道」 五十二ページより

*皆さまも朝あるいは夜、空いた時間に、お声に出して、意味を考えながら、自らのこととして、ゆっくりとお読みください。
大乗教典の功徳で救われた話「日本霊異記」より
 奈良の京に一人の僧が住んでいた。名前は分からない。
 その僧はいつも、方広大乗(ほうこう・大乗教典の総称)を手元に持して、熱心に読誦(どくじゅ)していた。ただその生業は、人に銭を貸して家族を養うという暮らしぶりであった。
 あるとき彼の娘の中の一人が、ある役人のもとへ嫁いで行った。
 孝謙天皇の御世、その娘の夫は昇進して陸奥の国の掾(じょう・三等官)に任官した。婿は舅である僧に銭二十貫を借りて、装束をととのえ、意気揚々と任地の陸奥の国へ旅立ったのであった。

 こうして歳月が過ぎてゆき、婿に貸した銭二十貫に利息がついてもとの二倍ほどもかさみ、元金がやっと返済されただけで、利息分がそのままにされていた。さらに年月がたって、舅が婿にしきりに返金の催促をするようになった。
 娘婿に舅を憎む心がひそかに生じたのは、その頃のことである。
 そしてそれはいつしか殺意にまで発展し、機会があれば殺してやろうと考えるようになっていた。
 そんな物騒な状態になっていることとは知らないから、舅のほうは当然のことのように返納の催促を繰り返していた。
 あるとき、用事のため任地から奈良へ帰っていた婿が舅に言った。
「舅殿も久しく会っていない娘の顔なども見たいでしょうから、こんどの船で私といっしょに陸奥へ旅してみませんか・・」
 舅は心をうごかした。さっそく身支度して陸奥行きの官営船に乗りこむ。
 胸に良からぬ企みをもつ婿は、船人の一人にいくばくかの銭を与えてしめしあわせ、陸地を隔てたはるか沖合に船がさしかかったところで、舅の手足を縛り上げ、海のなかへ抛りこんだのである。

 陸奥へ帰ってきた夫が、痛ましくてならぬげな表情で妻に告げる。
「気持ちをしっかりもって聞きなさい。お前の父は、陸奥にいるお前に会うため、私と一緒に船に乗ったが、途中、時化(しけ)に遭ってお父さんは波にさらわれ、行方がわからなくなってしまった。さいわい私は辛うじて難をまぬかれたが・・」と、悄然(しょうぜん)と肩をおとす。
 それを聞き妻は袖を濡らして泣き崩れた。「なんという可哀相な父なんでしょう。大切な父が亡くなったなんて、大事な宝を失ったおもいです。これからは父の姿を見るには海中を捜すしかない。そしてその海底に真珠を見つけることはできようが、父の姿をどうして捜しだすことができるでしょうか。悲しいこと、痛ましいこと」

 一方、船から放り出された僧のほうである。
 僧はいったんは海に沈んだが、その間も、つね日ごろから癖のようになっている方広経の読誦(どくじゅ)を忘れなかった。
 すると、いつのまにかまわりの海水が僧を避けるかのように両側に分かれ裂けて、漏斗状(じょうご)のくぼみができた。
 僧はその底に、しゃがんでいて溺れることがなかったのだ。

 そうこうして二日二晩が過ぎ、近くをこれもやはり奥州辺へ向かう船が通りかかった。
 その船上から沖を眺めていた水夫(かこ)が、海面を浮遊する奇妙なものを発見した。水夫はその浮遊物を棹ですくい、手元にたぐりよせた。一本の縄であった。
 それで縄をおもいきり引っ張っていると、ぐるぐる巻きに縛りあげられた坊主頭が海面に浮かび上がってきたのである。
 しかもその僧は生きていた。船の上に助けあげられた僧を遠巻きにし、船人たちがこわごわと問う。「あんた、一体何者だ?」
 べつに怪しいものではない、私はこれこれいう僧だと名乗って、「船旅の途中、盗賊にあい、縛られて海に落とされたのです」
「それで貴僧はどのような秘術を使って、海中で生き長らえることができたのですか?」
「ああ、そのことでしたら私にも分かりません。今も不思議に思っているほどです。ただ、私はつねに方広大乗を誦持していますのであるいはその経典の不可思議な力によって、このたびのご加護をいただいたのではないでしょうか」
 娘婿によって危うく生命を奪われそうになったという事実は一切口にしなかった。そして、このまま自分を連れて、どこか奥州の港に船を着けてくれるように頼んだのである。

 さて、こちらは娘婿のほうである。彼は何食わぬ顔で、亡くなった舅の法要の準備にとりかかっていた。それは地方官吏(かんり)の身分にしては不相応に大がかりな法要で、手間と費用を惜しまず斎食(さいじき)を設けたくさんの僧を招請(しょうせい)するという盛大なものであった。
 その法要に、舅の僧も一員として加わっていた。
 やっとのおもいで陸奥の国に上陸した舅は、あちこち托鉢(たくはつ)して歩くうち、どういった巡り合わせか、当の本人を供養する法事の場に出席することになったのである。
 舅の僧は、大勢の僧のなかに立ちまじり、威儀(いぎ)をあらためて施主に対した。
 やがて施主の婿が、凶悪な心をおし包み、みずから布施を捧げて衆僧一人一人に献上してまわる。
 そして、ついに舅の僧の前に座をすべってきた。神妙な面持ちで婿が僧に型通り、うやうやしく拝礼する。そしてゆるゆると顔を上げて、目の前に座っていてる僧の顔を見た。・・!!!
 両者の目と目が合わさったとたん、婿はまるで瘧(おこり)でも起きたかのようにガタガタふるえだし、わけのわからぬ叫び声をあげながら、這うようにして法要の場から姿を消した。
 その間、舅の僧は、そんな婿の恐怖の様を見ながら、泰然自若として、むしろ穏やかな笑みさえ浮かべていたのであった。
 舅の僧は、そののちも一切口を噤(つぐ)んで娘婿の悪事を他言することがなかった。
 非情にも妻の父である自分を海に突き落とし、生命を狙った相手を、なぜ僧は大度(たいど)に許すことができたのであろうか。

 そこで分かったのは、大乗経のあらたかな効験(こうけん)、諸仏諸菩薩のご加護であった。
 賛にいわく「美しきかな、彼、その悪を挙げず、なおよく忍ぶること」 このように、この僧はまことに大いなる忍辱(にんにく・忍受して恨まない徳)という気高い行いをなし遂げたのである。
 長阿含経に、「怨(あだ)をもって怨に報いるは、草でもって火を消そうとするようなもので、決して消せるものではない。慈(うつくしび)をもって怨に報いるは水をもって火を滅すが如し」とあるように。

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