出家得度剃髪しなさいなんて言ってるのではありません

ひょんな事から「聖の会」を設立しようかと言う話になりまして、広島にはもう事務所も出来ています。ところが困った事がありまして、聖と言われるような人では会長になるような欲望がある人は聖ではありませんね。お金を扱う会計も成り手がありません。聖の会に監査役でも置いたら滑稽です。そもそも聖の会は目的を定める事も困難です。
 NPO法人と言うものもあるのですが、これは宗教活動は禁止されています。まあ組織は必要かもしれないが、窓口くらいでしょう。会の組織化はさておいて、僧侶のような気持ちで皆さんが日々を過ごされると世の中は大分良くなると思っています。小乗仏教の国では通過儀礼みたいに二年ぐらい戒律の世界で生きてみれば大分変化するとは思います。

 坊主と言う言葉が差別語に属すると言われるくらい僧侶の信用が失われているように思います。私もお坊さんと言われるのはまあ良しとして坊主と言われるのは好きではありません。
 日本語は微妙でして、普通の職業ののひとが息子さん「内の坊主が」と言われることも少なくありません。
 「ぼんぼん」と良家の若い息子を言うこともありました。会社の二代目社長を軽い侮蔑の意味を含めて「ぼん」と言う場合もあります。もちろん僧侶を「ぼん」と呼ぶ場合もあります。
 お坊様なんて敬称は聞かなくなりました。働かざる者は食うべからず、と言う考え方もありますし、僧侶は読経という労働行為の反対給付で生活して行けば良いと言う考え方もあります。
 本来の僧侶には生産性は有りません。布施されたもので生きて行く、乞食は「こつじき」、僧侶の有るべき姿を表しています。無欲の境地にならない迄も欲望のコントロールをすることが生きて行く上でどれほど役に立つか理解出来ます。もし、座右に不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見を置くならば、優れた人間関係の中で快い生涯を全うできます。
 先日、欲望をコントロール出来ると思う人が胃癌を手術されて「無くなったものに執着するよりは、あるもので前向きに生きて行く」と言われてましたが、落ち込みが少ないと免疫力の回復も早いようです。転移を防ぐために広範囲のリンパ節を取られ、抗がん剤を隔週二年間注射しなければならないらしいのですが全く苦にしておられない様子です。免疫は気分でも相当に左右されます。この人は寿命がある内は精一杯に生きると言われてました。
 たくさんの苦痛や不自由を背負っている人々を知っていますが、現在の自分で、最善を尽くして生きて行くことが大切なことだと思います。
 足るを知ることは大変に難しく、勉強する気が無い、一生懸命に働く気も無い、配偶者も求めない、その日その日は親が面倒を見てくれる、特に他人に認められることも望まない。
 やる気と言うか元気と言うか、その気を引き出すのは大変なことです。
 勉強の嫌いな子供、登校拒否なども難しいですね。気を無くするのは必ず原因があります。
 良い先生と言うのは、これまた難しい概念で、好きな科目や学校へ行くのが好きにしてくれる先生です。
 登校拒否と同じように出社拒否と言うのもあります。良い上司や同僚に恵まれると仕事が好きになります。人前で無能呼ばわりされたり、給料泥棒と罵られたりすると、一時的にノルマを達成出来ても、有意な人材も退職しますし、お客も離れて行きます。
 恥をかかす方法や罵詈雑言は絶対に人を育てません。馬鹿と言われようが、迷惑だと塩を撒かれても平気になって仕事が上手になるとは思えません。
 何か出来ないことが有る時にお護摩を焚くと大きな効果が有ります。何故か私にも理由は分かりません。
 み仏様のご加護か、信ずることで免疫が高まるのか、兎に角元気が出る、私自身にも皆さんを元気にする、やる気を分けて上げる事が可能なように最近では信じています。
 観音院の年中無休の三座の法要は元気法要と名付けても良いと思います。
 み仏様のご加護や、ご利益[りやく]は理論的に説明することは不可能で体験されるのが一番です。

得度を希望する人は激増の傾向
得度するには面接か推薦が必要です

 得度はみ仏様と正式にご縁を結ぶ事です。僧侶を志す人には面接があります。生前戒名を望む人には面接はありません。
 僧侶を志す人は聖と言われるような人になって貰いたいと願います。
 ところで、聖は自分で称する事では無くて、衆望によって社会から尊称されるもので、聖と言う資格は観音院から差し上げられません。
 「聖者が街にやって来た」と言うような人が沢山出来ると良いですね。
 仏縁を結ぶ得度は正式な信徒として不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見をできるだけ心がけて日常を過ごそうと願われる人です。
 どちらも観音院を実家のように期待されることが認められます。困ったときは帰っておいでと言う感じです。
 仏縁を結ばれた得度者は時々観音院に参詣して信心を高めて下さい。
 僧侶を目指される人は皆さんと個別に相談しながら四度加行から続いて教義やご修行をして頂きます。また随時MLなどを利用して勉強して頂きます。
 また僧侶を目指す人は観音院のテキストは著作権フリーで利用できます。
 僧侶を目指す人も自らを高め覚りをを目指す人と、住職を目指す人、私の相談相手として、観音院のスタッフとして、ご希望も色々と受け入れます。
 十善戒を守って欲しい、ですが、ガッチリ守って裁判官をやる人は大変に迷惑な存在です。一々十善戒に照合判断する人は他人を傷つけ、自らも生きて行くことが出来ません。湯加減がとても大切になります。凍結しないよう、火傷しないよう注意して下さい。良薬も微量では役に立たず、大量に摂取すると危険ですね。
 得度した人に是非ともして欲しい簡単な修行があります。般若心経一日千巻百日間の易行です。これを遣り遂げると霊的能力が開発されます。
 もっと簡易にすれば千日でも、一週一日でも、只の一日でも、何かを得られて納得されれば終了されると良いと思います。遣り遂げれば「観念」の意味が理解でき、生きるのが易しく楽にになります。
 大切なことは出来ないと投げ出さず相談し指導を求めることです。
 得度を受けるに当たり、天国や極楽、地獄観は捨てて下さい。善き人間関係に恵まれたこの地球上に輪廻転生する死生観をもって下さい。死に死に死んで、行き着く所は常に現世です。その上で環境を大切にし、愛国心をもって下さることが大切です。
 死んだら霊魂はお花畑、よく聞く話ですが、花にも種・芽・成長・開花・結実、枯死のサイクルがあって年中お花が開花していたら誰かが入れ替えて展示しているのです。来世ではありません。多分「花の万博会場」でしょう。
 快楽と四苦八苦はセットです。快楽だけを望んで善行を積んでも無意味です。生死は同じことです。
 あまり深く考えなくても良いと思います。あれこれ考えると、何も出来ません。得度を受けることは生き方を学ぶことです。十善戒はそのノウハウと言っても良いでしょう。
 最初の小さなステップが得度です。観音院は世襲制ではありません。得度を受けた人たちは後継者候補の資格者です。このお寺を皆さんの力で維持して下さい。経理と運営は公開の原則でやって下さい。

■来月得度なされる予定の新しい方々の内先着順にご紹介申しあげます。
▼岡村和夫 川崎市中原区 株式会社カフェ代表取締役社長
 農業施設園芸を通じた、少年達の心のケア、生活環境改善施設を創設する。
 私ごとき人間が良いのかなと言う気持ちと、自分自身が正しく、自然体にて今後の人生を如何に生きれば良いか教えて頂きたい。
▼伊藤博 東京都千代田区 有限会社スユア代表取締役(経営コンサルタント)
 人のためになるための自己の修養の出発点として。
▼古寺真一朗 渋谷区 昭和46年 株式会社エス・エス・イー代表取締役(システム会社と炭の製造会社の二社を経営)
 現状行っている、地球環境に貢献していく事業を大きくしていきたい。
 日本に馴染んだ宗教に触れて、学ぶことにより自己成長したい。
▼村上 卓也 横浜市港北区 村上コンサルタント事務所代表(コンサルタント)
 強い会社を育てるコンサル会社、教育、就職支援など。
 人生の折り返し点で、生まれ変わる気持ちです。
▼川西密雄 東京都大田区 管理機構サービス株式会社代表取締役(マネジメント会社)
 システムではない人間性の研究。加賀先生、村上氏との仏縁。

 何だか、この人たちだけに観音院の将来を任せても大丈夫なようですね。
 今回、加賀勧善僧正の許に全部で二十人くらいが得度・受戒されます。
 東京事務所は加賀さんが中心のようになりつつあります。加賀さんは鈴之僧正の名を貰って下さった方です。
 私が色々なものに執着しないのは、死んでも死なない後継者が次々と生まれていて、世のため人のために尽くして下さる組織が自然に発生してきているからと申せましょう。

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