光然の高野山修行日記 ・十八

前回に引き続き、加行期間中における専修学院の一日の流れをお話しいたします。

専修学院での加行は早めにその座を終わらせたも、全員の行法が終るまで法界定印(観音院二階客殿にいらっしゃる大日如来様が結んでいらっしゃる印がこれになります)を結んで席を離れる事は許させていません。

行法をゆっくり進める者、途中で居眠りをする者、間違いを寮監先生に身咎められてしまい、正しく出来るまで延々とやり直しをする羽目に陥った者等々・・・・・。

そう言った諸々の事情のために、急いで行法を進めても何もする事が出来ない待ち時間が生まれるだけなので、一つ一つの所作を丁寧に進めて行く事が何より実があると感じていました。

もちろん、全員が遅滞なく素早く行法を終える事が出来れば、その後の時間にも余裕が生まれて一番良いのですが、中々そう上手く行きませんでした。

さて最後の一人が行法を終えると、寮監先生が戒柝(拍子木)を一度打ち鳴らし、他の院生にその座の終わりを告げます。

それを聞いた私たちは行法の次第(手順書)をお香の煙に薫じ、左袖の袂に納めて立ち上がります。

話は脱線してしまいますが、左右の袂はに入れて良い物、入れてはいけない物が決まっています。
左の袂には経本、加行次第、念珠など僧侶として必要がある物のみを納めて良い事になっていました。

反対に右の袂はハンカチや筆記用具、メガネなどで、こちらに左袂に納めるべきものを入れる事は厳禁となっています。

よく聞く話ではあるので皆さんご存知かとは思いますが、インドでは右手が清浄の手、左手は不浄の手と言われているそうです。

そこで左袂を見ると余程変わった取り出し方をしない限りは、左の袂に納めている物は清浄な右手で掴んで取り出す事になります。

つまり仏様からお預かりした大切な経本などを不浄の左手でとりださないための礼儀と、それを私物と混同しない配慮で左右の袂に入れる物を分けているそうです。

左の袂に納める理由は理解しながらも、不浄の手(左手)が間近にあるというのは、それはそれでどうなのだろうと思わなくもありません。

しかし専修学院の偉い人監事先生が用いられる無敵の言葉「そういう倣いになっている」を思い出し、「そういう倣いならそうなのだナ」と納得した次第なのです。

話を戻しましょう。半畳から降りて華香炉(樒)を手に立ち上がり、再度の戒柝を合図に三度の投地礼を行い、華香炉を脇机に戻します。

その後加行道場から退堂となるのですが、各人が好きなように出ていけるわけではなく、それぞれの学籍番号順に左右に振り分けられた院生が番号を乱さないよう入道した際の逆順に列を作り退堂していきます。

持仏堂に向けて、階段になつている長い渡り廊下を黙々と歩くのですが、そこの窓から見える早朝の高野山の空と景色は何とも言いようがない美しい物でした。

その時々の日の出の時間にもよりますが、晴れた朝の空や、薄暗い中遠くに夜明けの灯りが見える風景。

これらは、狭い空間に押し込められている慌ただしい生活でのちっょとした清涼剤となっていました。

持仏堂に戻り、全員が戻るまで合掌待機。大体六時前後と言った所。

一息ついた所で寮監先生のたった今終った「後夜行」に対する講評や、時には説教が始まります。

開始前に遅刻を誤魔化そうといた者、行法中の素行が目に余った者、最後まで正しい行法を行えなかった者はこの場での説教の後「事務所に来い」と呼び出しを受ける事も珍しくは有りません。

一通り嵐が過ぎ去ると「次は○分に出発します」と十分か十五分程度後の時間を告げられ、再度の戒柝で投地礼を行い一同解散となります。

「出発」の目的地は、赤い塔が目印の壇上伽藍への参拝となります。

その話は次回に回し、与えられた僅かな時間をある者はお手洗いに、またある者は行法の片付け、次なる座の準備に駆け出す事になります。

たかが五分十分ですが、自由にできる時間を有効活用する大切さを知るには、最適な環境ではありました。

 

タイトルとURLをコピーしました