光然の高野山修行日記 ・十九

前回は早朝の加行「後夜行」を終えたところまでお話いたしました。

今回は後夜行の後、壇上伽藍の参拝に出発する前の様子をお伝えしようかと思います。

持仏堂で解散後、次の集会まで十分から十五分程度の時間を与えられた生徒は、各々後夜行の片付けに次回行われる「日中行」の準備やお手洗いなどを済ませるため、わずかな時間を無駄にするまいと慌ただしく動き回る事になります。

実を言うと加行が始まった最初の頃はそこまで急ぎまわる事は無く、皆のんびりと壇上伽藍に行くための整列をするだけでした。

しかし、行の段階が進むごとに一座にかかる時間が延びてくると、いかにして時間を生み出すかが重要になり、わずかな時間であっても何もせずに過ごすよりは少しでも後の余裕を得る動きに変化して行きました。

また、慣れて来ると片づけだけなら五分あれば可能になってくるので、自室に忘れていた経本を取りに行くにしても、お手洗いに行くにしても片付けだけはやっておこうと目論む者が多数を占めるようになります。

片付けはどのような手順で行うかと言うと、まずは如法衣(お袈裟)を着用したまま、作業を始める事は許されないのできちんと折りたたみ、脇机に置いておきます。

余談になりますが折りたたむ時間を惜しんた数名の生徒が、如法衣を明り屏風に引っ掛けて片付けをしていた際に、普段は加行後は加行道場に上がって来ない寮監先生が顔を見せた事があります。

「これまでの学院生活で、仏様から頂いた大切なお袈裟を丁寧に扱う。お坊さんとして基本的な気持ちの指導が出来ていない事が悲しい」と下手人ではない者が申し訳なくおなる言葉から始まった長いお説教と、罰の下座(掃除)を一同揃って頂いた事も今となっては良い思い出です。

片付けに話を戻して、まずは行で用いた「六器」と呼ばれる器に入っているご供養が終った十四枚の樒と「飯器」と呼ばれる台にお供えしているお洗米を取り除きます。

以前もお話ししましたが、この樒を行に使えるよう用意するのもそれなりに時間が掛かります。だからと言ってここでもったいない精神を発揮して再利用してしますと、コトが露見して際に格別重い「指導」を受ける機会に恵まれるという噂が有ったので、皆そこは慎重にならざるを得ませんでした。

樒を片付け、六器を香華盆と呼ばれている長方形のお盆に乗せ、洗浄するため流し台へと移動します。
洗浄すると言っても、ただジャブジャブと洗うわけではありません。

行法の中では六つの器それぞれに役目とご供養の順番があり、それは洗浄する時も例外ではないのです。

洗浄の作法は六つの器を所定の順番通りに重ね、閼伽水と呼ばれる井戸水を一番上にある器に少量注ぐところから始まります。

そして水を注いだ器を手に取り、一つ下の器に水を移します。次に新たに水を注がれた器を手に取り、そのまた下の器に水を移し、空になった器は先ほどまで上にあった器に重ねていきます。それを六つ分注ぐ事を一巡として、二巡する事で洗浄の作法は終わります。
なぜこのような水を使いまわす作法なのかというと、仏教発祥の地インドでは水は貴重品であるために、それを無駄なく使い切るための智恵と水への感謝を現わしているのだそうです。

水に濡れた六器を自分の壇へと持ち帰り、ぱぱっと次の準備をするわけにはいきません。ここで水気をきちんと拭き取る事が、快適な加行生活を送る上でとても大切なポイントとなります。

先ほども申し上げましたが、洗浄に用いた閼伽水は井戸水であるため、色々な成分が混ざっているのでしよう。
放ってそのまま蒸発してしまうと、どことなく白っぽい水垢として残り、磨き落とすのに時間が掛かってしまいます。

自分の将来的な時間を奪わない為にも、手を抜けないのです。

いきなりですが、ここで仏器の水取りに悩む皆様に、耳より情報をお伝えしましょう。

「汚れ激落くん・マイクロファイバータオル」これが有るか無いかで、六器洗浄の世界が変わります。

さらしやただの雑巾では、水気を吸うよりもいたずらに水分を全体に拡げてしまいがちなのですが、このタオルなら撫でるだけで、即座に水分を吸着してしまいます。

何かの宣伝のようになってしまいましたが、この魔法のようなタオルには感謝の念が尽きない私なのです。

 

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