元気に生きることが大切

短気で決断力に飛んでる人は、大変な厄年になりそうです。理屈を通すと道理が引っ込む、なら良いのですが、社長が逃げる時代です。

 あちこちに建設開業された大規模量販店は、個人業種を次々と圧迫閉業に追い込んでいます。自意識過剰な人、個性の強い人、融通の利かない人には大変な時代になりつつあります。

 自分は少々出来ると自信を持っていると、働く場所が無くなります。

 世界はひとつです。その世界の何処かで、一日三百円で働いている人たちもいます。日本人も、同じ地球の上で戦かわねばなりません。

 高度成長、内需拡大という消費、その中で、すっかり贅沢が身に付いた日本人、生活レベルは中々下げられません。どうしたら良いか、家庭で使う光熱費を低くする、冷蔵庫に物をためない、小遣いの減額、不要なものは買わない、少々遠くても安い家賃の家に住む、遊興費を減額する。衣服に掛ける費用を減らす。喫煙・飲酒は家族関係を病的に経済的に苦しめます。

 少しずつ貯金をする。他人をを当てにしない、他人の事情なんて分からないです。昨今、家経費を圧縮している家庭が少なくありません。

 だから、安易に貸してもらおうなんて考えていると人間不信になります。

 世の中が目まぐるしく変化していますので、半年前の約束はおろか一ケ月前の約束も守れないように社会が変化しています。

 人間に例えると老いが十倍の速さでやって来る感じですよ。

 その場でその都度、約束を守れれば立派、将来に向けて守られるべき約束は履行が無理になりつつあります。

 中年のシングルが増加しています。結婚関係の維持が難しくなっています。

 結婚という約束も結び難く、維持が困難になっています。婚カツなんて、ナンセンスです。合コンも破綻率が高いようですね。原因は高望みやお手軽さがいけない。 結婚式場は軒並み稼働率が落ちています。地味婚が増えました。双方の両親の生活が相当痛んでいます。

 私は「いたわり、慈しみ、思いやり、相手の立場で考える」ことをモットーとして生きてきましたが、この考えが通用しなくなりつつあります。

 この二十年で、何故か理由の分からぬ出費が約三千万円。

 これが上手く回っているような日本人の借りたら返す、恩義を感じる倫理観が有ったのです。そのようなものが無くなって、嘘のうったえや、誤魔化しが僧侶の世界まで入ってきました。だから、融通する原資が無くなってきました。信徒の旦那の弁護士が嫁さんと離婚するので慰謝料を払う必要かある。信徒であるお嬢さんは母親が癌のと治療中、慰謝料も無く離婚されたら大変だと役立てたら、話は真っ赤な嘘。

 世も末です。私は僧侶だから少しくらいの金銭も大金も借用書などの世界に縁がありません。

 ある信徒さんが母親の永代供養料として二千万円お供えされました。その方は役員でもありました。よくよく大丈夫ですかと念には念をいれました。

 決算も無事済ませて二ケ月後、あのお金を返して欲しいと言ってこられた。寺の会計からは返せませんから。住職のほうに言ってくれれば良いものを、引退してる私に愚痴です。何故か百万円少なくてもよいということでしたが、私にとっては大変な負担でしたが寺の名誉を保つために支出しました。

 僧侶七名を揃えて大葬儀をされた方もありました。ある意味虚栄も含まれていますね。葬儀終了後、お礼を言いたいと私応接に上がられました。監事も一緒に上がってくれれば良いのに。

 暫くは職員一同は私に布施を渡されたと信じきっていました。私といえば綺麗に忘れていたら、お布施の行方が分からないと誤解されました。

 おそるおそる聞かれて、そうなのと、その場で電話を掛けましたら、職員たちも納得してくれました。

 トンでもない誤解が生ずる機会が生まれる事があります。以来、私は監事不在の折には信徒の礼は受けません。

 僧侶へ直接の金銭授受は一切止めました。監事制度を厳しくして、誤解を受けぬよう注意しています。

 まあ世の中が飛んでもないことになりつつあります。

 お坊さんも相当注意しないと、思わぬ濡れ衣を着ることになります。

 なんだかんだ言いながら、寺に起居させてもらっています。最近は融通を頼まれても無い袖は触れません。

 毎月四十八万七千四百四十円の手当てを貰っていますが後期高齢者保険料が五万五千六百円、台所負担金が十万円。自動車も公用以外に使う必要はありませんが寺からは支給されていません。坊主丸儲けなんて、そんなことはありません。ほぼ世間の皆さまと同じ水準で生きております。それがまあ私の本望とするところで、それ以上でもそれ以下でもありません。

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