信心に日曜祭日病欠は考えられません

僧侶は職業ではありません。僧侶は心の在り方を表すものです。
 今日はお休みなんてことは絶対に有り得ない事柄です。寺は年中無休で、夜間は照明とモニタで安全に参拝できますし、保守をなすために夜七時から朝七時まで、受付入口は施錠しますが、電話は二十四時間対応しておられます。
 職員も本来そのように有るべきなのですが、税金を払うとか、選挙に行くとか、医者に診察してもらうとかで、予約の都合もありますから話し合いの上で交替して寺務をしています。
 法主さんも住職さんも勿論お医者に出掛けられますが、これは信心維持のためには必要なことです。
 僧侶は信心の宿る{人体}ですから、これには、食事、睡眠、入浴、排泄は避けられません。衣食住は必用です。
 ですが、労働と休憩、私生活と言う概念には馴染みません。給与、有給、労働時間なんて対応されません。
 法主さんは慈悲そのものです。人間として見られると無理が生じます。
 法主さんの行動を左右するものは、それは慈悲のみで、例えば、お布施とか「愛する」ような事は、多かろうと
少なかろうと、軽かろうと深かろうと、「仏縁」でも無い限り、格別な方向に向けられるものはありません。
 出自、人種、身分、年齢、性別、職種など、法主さんの社会的態度に変化をもたらしたものはありません。
 強いて傾向が有るとしたら清潔志向です。外出から帰られると[嗽][手洗い][洗面]は欠かされません。
 持ち物に明治製薬の[イソジンガーグル]、小林製薬の[バクテノール]という[アルコールティッシュ]は必携のようです。清潔は見た目では無くて清浄さと除菌です。
 かつて一枚の銅製の入れ物で、洗面と手洗い、煮炊きと洗濯など、全部を兼ねられたという言い伝えが有ります。
ビニール製の手袋を常時お持ちで掃除は大好きです。
 風呂も便所の掃除も、若しかしたら唯一の趣味かも知れません。
 医薬品についての知識は深く、風邪の予防注射は必ず受けられ、抗生物質など薬も上手に使用して居られます。日経メディカルという医家向け雑誌を購入して読んでおられるようです。
 入れ物について、清潔なものを入れたら清潔とは考えられません。扱い方によって、入れ物は、不潔にも清潔にもなると考えておられます。人間も同じです。汚いことをすれば、汚れる。
 綺麗なことをすれば、綺麗になると考えておられます。
 入れ物も人間も、扱い方で、清潔と不潔に分けることが可能です。
 便所を綺麗に使えない人は、清潔そうな服装をしていても不潔な人です。
 歯周病や胃炎などの治療は大切で、臭い息で綺麗ごとを言っても始まりません、吐息は僧侶の大切な要件です。
 寺も入れ物、腐敗して臭い僧侶が居ると、寺は腐臭と汚物が溢れています。
 掃除と清潔は、寺の水準を示す判断の目安になります。僧侶の修行のあり方を示します。同時に住持する僧侶の指導力と覚りが判断できますよ。
 関空には男性用トイレが沢山あって、便器の中心に赤丸を付けたら汚れが減少したそうです。そんな工夫も大切。
 人間は注意しても、上半身の清潔は保ち難く、下半身は不潔に成り易い。これは大変な動物だから当然です。
 動物と異なるのは衣服をつけ、清潔を心掛けていること、この傾向は人間だけではなく、動物にも見られます。
 法主さんの清潔志向、几帳面さは今までに出会った人で見たことがありません。清潔精励は心が和みます。
 タイリンという会社の[エチケットビュー]という補助食品の一種を飲んでおられますが、これは便臭やその他の臭いを気遣ってのことです。
 臭く無い、不潔は、人間の常のことで恥ずべきことではありません。
 修行は、周囲に不潔感を与えないことも目標にしています。人間の住んでいる場所は放置するとスラム化します。
 寺は安心な場所です。清潔は安心の大切な要素なのです。
 法主さんの周囲には不必要なものが沢山あります。ある程度は受忍されますが、限界があって、それを超えるとある日、一切合切を何方かに差し上げられることがあります。
 これは必用、あれは要らないという考え方は有りませんので、全部、何もかも無くなります。
 存在する価値よりは、一切無の価値を重視しておられるのは確かです。
 知名度を上げるとか、マスコミを利用するような傾向は皆無です。広告塔も使用されません。マスコミとは仲良しですが、売り込みはされません。
 毀誉褒貶を感じられない神経です。何と評されようと、罵詈雑言も気に掛からない。無視とか黙殺とは比較すべきではありません。ご自分のことは、ご自分が一番知っていることと、気にされません。近付く人も世評で評価せず、会って判断されます。

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