人間関係の良いことが幸せの基盤

人は城、人は石垣、人は掘、情は味方、仇は敵と昔の武将が言っているが、正しくは、加えて安心して住める家、食べれるだけのお金が無いと生活していけない。良い人間関係の中に安住しているつもりが、年老いて介護の認定を受けるようになったり、知らない人間関係の中に置かれたり、怪我などで身動きができぬようになって他人さまのお世話を受けるような立場になったりして、この世の中は立派につくりあげたつもりでも、気付かぬ内に周囲がすっかり変わってしまうことは珍しくない。鈴之僧正さまのお話を要約 補足・田川純照 記

                    


物事は移り変わり動いて止まらない

普通はテレビを見ないのですが偶然にNHKのラジオ体操を見まして真似をしてみたのですが、これが座ってしても疲れる、ぼつぼつ満六十七歳になりまして、老いを実感し愕然としています。

記憶力の減退は物凄く、沢山の名詞が思い出せません。

ワープロやパソコンは扱えますが、何でもない英単語や電話番号が口や手に出てこない。これは悲しい限りです。

先日、若い人と船を運転して江田島の能美ロッジまで往復したのですが、帰ると体重が2キロくらい減った感じでした。

夜は熟睡するタイプででしたが、最近は夜明けに夢を必ず見るようになった。悪夢ではなくて、幸せな夢ばかりだから、見るのが楽しみなくらいで気にはしていない。

主として信徒さんの願望成就の夢だから、とても気にかけているのだと言えなくはありません。

物事を成就するコツは成功した状態を瞼(まぶた)に描いて仕事をすることだから、良い傾向だとも思っています。

完全禁煙にして一ヶ月、従来はお客さんに合わせて喫煙したり禁煙したりしていたが、それでは喫煙者と同様で、ぴたっと禁煙すると少々物足りず、お医者さんに相談したら「ニコチネル」という禁煙補助のパッチをくださって、夢を見るのはその副作用かもしれないと言われる。但し、普通は悪夢を見るそうです。

最近、専従僧侶志望の青年が来た。広島大学の大学院から、イギリスの著名な大学院へ転じて二年、専攻は哲学と倫理学だそうです。

弟子が育つか育たぬかは、「縁」もあるだろうが、私たちの配慮と信徒さまの配慮に関るところが大きい。格別のご配慮をお願いしたいものです。早速、今月から原稿を書いてもらい観自在に連載することにしたいと思います。

彼が観音院を知ったのはインターネットのホームページ。色々なお寺のホームページと比較して観音院を選んでくれたのですから、ホームページも大切だと思います。

春木さんは三十年、能島さんと田川さんは二十年の勤続年数、信徒時から観音院に尽くして献身的な努力を続けてくれています。

観音院にはとても良いスタッフが揃い感謝しています。同時にボランティアとして甚大な協力を惜しまれない方々が百数十名、この方々のご努力に関しても長く記憶に留めて感謝したいと願います。

寺院を運営するには、良い僧侶と豊富な布教資金が必要です。今更に寺を拡大しようとか、立派な寺にしたい、言ってみれば煩悩のようなものはもっていませんが、良い後継者を育て、安定した運営基盤を有し、布教に努めるのはみ佛さまにご恩報謝するようなもので、これについては信徒さまの格段のご協力を願いたいと思います。

今年は観音院開基以来四百年に相当し、七夕(七月二日・日曜日)には大般若転読と共に感謝の祈りを奉げたいと願っています。

盛大に祝いたいところですが、思い止まりました。開基とか開創とかご遠忌など、月日の回ることを口実として記念行事を行い、寄付集めをすることが珍しくないからです。若しかすると、このような寄付金集めは宗教団体にとってとても大切なことかもしれません。

宗教団体の記念行事は必要な時にすれば良いので、百年毎にするのであれば、回忌法要と同じような性質をもち、私には大きな疑問が生じて来たのです。

この考えの基本には平安時代のころには法事といえば「迎わり」つまり一周忌くらいしか営んでおらず、鎌倉時代になって三回忌、とか七回忌などがなされるようになって来ました。

人の死後、迎わり、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌と執拗に法事が行われていますが、私はそのように何度も仏事を営まなければならないようなことはしていません。毎日、朝昼晩と三座の法要を一日も休むことなく執行しているからです。

これらと来世とか往生ということを合わせて考えると、僧侶として大きな疑問に突き当たります。釈尊も祖師もこのようなことには一言も言及しておられません。

先般、信徒さんがご先祖さまの百回忌法要のご案内が寺から来てどうしたものかと問われまして、とても困りました。お祖父さんやお祖母さんさんならいざしらず、顔も名前も知らない人のご供養をしろと言われても実感が沸かないと言われて、それもそうですねと答えました。


世の中の変化に適応しながら生きる 周囲に適合出来ないと苦痛を体験する

世間が激動することの無常さはバブルが弾けて皆さん思いしらされたのではないかと思います。

こつこつ貯金して置けば知らぬ間に増える。一番利息の良い時代は実際に預けた金額が十年経過すると大体倍額にはなっていました。

年利が六分なんて最低の部類で中期国際ファンドなどはもっと利回りが良かったと記憶しています。

お坊さんが葬儀をしても天国へ往生するような世の中の成り行きですから、年金の将来が怪しくなるのも無理はありません。

インターネットは便利な道具ですが、使えない人にとっては屁ののようなものです。使える人と使えない人の能力の差、境遇の差はデジタル・デバイドと申しますが大変な差があります。

多くの商店街では櫛の歯が折れるようにシャッターを下ろす店が増えてきました。一方では楽店市場というバーチャルな商店街が出来て、軒数が三千を超しそうです。

その家賃が月額五万円とか、これはいささか高いようです。その会社が上場して四百億円くらいが集まったらしいとか。

これ私がやって上げれば家賃は無料で喜ばれただろうと思うのですが、似たようなものを早稲田の十七歳の高校生が全国の商店街に働きかけて、これは学生起業家ですね。新しい社長さんの出現ですが、この社長さんの出現を認めたのは商店街の人々の無知によるもので、ここもお金が何百億か集まると思います。

このような仕組そのものがビジネス特許とかで保護される傾向にありますから、簡単に真似をするとえらい目に会う可能性も十分に考えられます。

観音院のバーチャル霊園は無料ですが、実はビジネス特許は取っていない。将来に問題になる時が来るかもしれません。

掲示板のシステムも相当高度なものをもっていますが、これも特許は取っていない。「メールでお参り」も爆発的人気ですが特許は取っていません。

銀行がお越しになって一億でも二億でもご用立てしますと言われますが商売気がありません。

何はともあれ、既にお気づきであろうかと思いますが、将来に展望が開けるか閉じられるか、その差が情報処理技術(IT)の差になって現れているのがお解りいただけると思います。この差がデジタル・デバイドと申しますが大変な差があります。

年寄りとか機械は苦手などと言われていると、気が付いた時には回復不可能なくらい差が付いていることも予想されます。

  


中国の桂林で見たかっての日本のバブル

先日、中国の桂林にまいりましたが、大変な活況に見えました。

国家プロジェクトとして桂林を一大観光地にしようとかで、空港は日本の地方空港より遥かに立派に作られ、高速道路が建設中、新築のホテルが林立し、街中が建設工事でごったがえしていました。

水の都を標榜する広島市の市会議員さんに是非とも見学してもらいたいような美しい観光地として水辺が再構築されています。

観光バスも米国との合弁会社で製造された車両ですが、窓は大きく大変に快適で、中国十数億の人たちの発展性を想像すると、これはアジアの大国になると思ったような次第です。

驚いたことはガイドさんがインターネットのメール・アドレスをもっておられることで、帰国してから電子メールを書くと折り返して礼状が来ました。

中国の人たちもパソコンやインターネットに大きな関心をもっておられ、書店にはその手の専門書が山積していました。

中国といえば、囲いの無いトイレに象徴されるような日本とは文化の相違がありますが、急速な勢いで発展していて、途上国と見下すようでは日本の将来が思いやられる次第です。 

しばしば繁栄する台湾と比較されますが、政治的には中国を大切な国家として交誼(こうぎ)を厚く結ぶことが正しい選択ではないかと考えたりしました。

日本は不思議な国家です。猛烈な繁栄を示したり、急激に景気が悪くなったり、財政赤字が急激に膨らんだり、そのくせ世界一の外貨を保有していたりします。

第二次大戦中に日本軍は桂林よりまだ奥の方で進出し、激戦がなされたと聞きました。

福岡空港から経由地の武漢までジェット機で僅か三時間、そこから更に一時間、台湾から約七百キロ東、タイまでも同じく七百キロくらい、当時の日本軍は恐らくは徒歩でこの地まで至ったのではないかと想像します。

桂林の対日感情は良く、もう昔の戦争の話などは持ち出す人もいないようです。

ですが、戦争は怖いと思いました。幾ら桂林が景勝地であったとしても、歩いてこの地まで来る人は考えられません。私は四国八十八ヶ所霊場を何度か歩いて参拝したことがあって、歩くことの苦痛は良く知っています。最近の戦争は異なった意味で歩くことは少ないと思いますが、第一線の兵隊は上層部の人たちの理解できない苦痛があると思います。二度と戦争はやってはいけません。

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