人間はとても弱い生きものであることを自覚

七十一歳と言う年齢を考えてみると、よくもまあ無事に生きて来たものだと、運の良さと、皆さまのご信心と、御仏さまのご加護に感謝せざるをえません。
 空襲で機関銃の掃射も経験しましたし、原爆で弟妹を失い、自動車も約五十年乗りましたし、最近では月に二回は東京広島間を新幹線や飛行機で往復し、様々な人間関係の中にあって、これは怖い、困ったことだ、腹が減ったと思うことも無く、変な醜聞等に巻き込まれることも無い、税務署の指導も受けず、刑務所で服役することも無い、よほど運が良かったのでしょう。出合った人々は例外なく善い人ばかりでした。強いて言えば、年金を貰うことが心苦しい、反省や後悔は苦手ですから。夜は、これまでを感謝し、皆さまの多幸を祈って、心配や悩み事無く過ごしたいです。私が心痛していてはさまになりません。

(法主さまのお話を田川純照が筆記)

働き過ぎは良くありません
無理は絶対にしないことです

 六十歳くらいまでは空いた高速道路を制限速度を超えて走行したこともありますが、事故を起こさなかったのは幸せでした。
 最近は速度違反なんて絶対にしません、あれは馬鹿のしたことです。でも法定速度を守ると、渋滞の原因になります。迷惑を掛けています。
 今の公用車はクラウン・マジェスタで、日常はアコードです。このアコードをインスパイヤか何かと買い換えてと考えています。私用と言えば医院で健康診断を受けることだけです。
 車を運転するつもりは皆無だったのですが、最近元気になったようで、移動だけならタクシーで十分満足ですが、運転する行為には快感がありますね。皆さんも車に乗られますが、この快感が曲者で、迂闊に求めると交通事故や世間の迷惑になると思います。
 楽しいことや快いことは全部用心しないと、過つと、世間の人を悲しませたり、最悪殺生をすることになります。車の買い替えは慎むべきでしょう。
 私が持ち上げられる物の重さは二十キロまで、それ以上の事が出来ると思うと自信過剰です。重い物を持ち運びするのも、早足で歩くことも無理です。
 自惚れや自信過剰は事故の元です。出来ない事と出来る事を見極めて、出来ない事をしようとするのは無謀です。
 交差点では信号を確かめて、余裕をもって、左右を良く見て横断すること、このような単純なことに注意することが災難を避ける基本です。もう直ぐ秋のお彼岸ですが、彼の岸に渡ることは大胆では無理です。常日頃の「慎重さ」が「彼の岸に渡る大切な条件」です。
 長生きにコツは有りません。不安の無い日々を送るのもコツは有りません。 私は食べ物に好き嫌いは無い方ですが、嫌いなものはさておいて、食が進むことがあります。好きなものは過ごしたり、人を夢中にさせたりします。食べ過ぎくらいなら、一過性のことで多分大丈夫ですが、肥満は要注意です。
 ゆっくり、ゆっくりと手探りで日々を過ごして行くのが良いですね。
 世の中の革新はとても刺激になります。この知的な刺激を出来るだけ受け入れて慣れ親しむことが日々を快適にしてくれるようです。
 生きて行く上で、お世話になった方に感謝することは、今後もお世話になる上でとても大切なことです。
 他人様がして下さることに、多少の不満があっても辛抱になれれば、感謝の気持ちに変わります。
 世の中は全て思うようにはなりません。思うようにしたいと願うと無理が起きます。
 若い人を信頼することが大切です。信頼すれば、必ず親切にして下さるものです。被害妄想はするべきではありません。思っていることと違うことが起きた時は、必ず理由があります。
 人は一人一人独立した人格があります、たとえ家族と言えども、別の人格を持っています。この独立した人格は絶対に犯してはなりません。聞かれたことに答えるのは大切です。言うことに従わせようとしてはなりません。
 善意で交際しても、悪く悪く取る人があります。残念ですが見放すことが必要です。他人のみならず家族も同様です。これが割り切れないと、地獄の苦しみに堕ちます。思い切って関わらないように決断して下さい。道理から外れて無茶苦茶な自己主張をする配偶者や子供は見切りなさい。
 口にすれば、人間関係が壊れることを承知の上で捨て台詞を吐く人は近付けないことです。無礼、失礼、侮辱するような言葉で左右されず、相手にしないことが心痛しない大切な決断です。
 親子夫婦間の不仲は深刻な苦痛です。第三者が公平に判断することは不可能です。お互いの心はずたずたに切り裂かれていますから、回復は不可能です。
 壊れて回復不可能な関係を修復しようとすると、更に傷つきますので諦めるのが解決の近道です。

重い物を持って走らないこと
自信過剰と無理はしないこと

 最近のキャスター(車輪、脚輪)は良く出来ています。頑丈に出来ていて移動する物に付けると非常に便利です。
 キャスター付きのバッグにふつうは下着・靴下各三組、スーツとノートパソコンを入れてますが、それでも合計二十キロには足りません。
 階段があるところではなるべくエスカレーターやエレベーターを利用しますが、どうしても階段を利用し、手で持ち上げて移動する場合があります。
 出来れば、若い人と一緒で、荷物は持ってもらう習慣です。
「人生は重い荷物を持って坂道を登るようなものだ」とも、言われますが、体力以上の荷物は持ちたくありません。
 最近は運送屋さんに依頼して、あらかじめ荷物を送っておくことが習慣のようになりつつあります。
 荷物のことを話しているのではありません。「人生」のことを話しているのです。自分の能力以上の負担を持つと苦しいと申しているのです。
 全部を自分で背負うのは他人を信用していない、権限の委譲が嫌なのだと思います。苦労して重荷を持つより、身軽な方が楽です。
 私は早く荷物を下ろしました。権限なんて何も持っていません。
 揺れる吊り橋を渡ったり、一メートル以上ある溝を跨いだり、発車間際の乗り物に飛び乗ったりすることは、絶対にしたくありません。スリリングな体験なんてしたくありません。兎よりは亀が好みです。
 約束は厳守しますが、無理な約束は致しません。借金が嫌いなのは、現在に無理がありますし、その上に返済日のことが気になって夜もゆっくり眠れないことになるからです。
 金銭を貸すのは、返済をあてにしますから、もっと嫌なことです。
 約束を破りたくなかったら、金銭の貸借をしないことです。
 金銭が出て行く時は、返らぬものと覚悟して、無理をせずに差し上げれば良いことです。それよりは不要な金銭を持たぬことが肝心かも知れません。
 金銭に限らず、物も余り多くは持たぬ方が賢明です。「起きて半畳、寝て一畳くらい」が理想的です。
 最近、二十年か三十年の返済計画でマンションを買い、生活水準が下がって家庭が崩壊しそうになった相談が立て続けにありましたが、愚かなことです。明日にでも車に撥ねられて死ぬかも知れない生身の人間が割賦で物品を求めるなんて苦労と心配を払い終わるまで背負うのですから、大胆です。
 改めて言うまでも無く、人はとても弱いものです。何時血管が破れるか、詰まるか、うっかり墜ちるか、何かに衝突するか、地震が起きるか、災難は予測出来ません。とても危険な日常の中で、皆さんは生きているのです。
 物は、全て疲労劣化し、例外は期待出来ません。諸行は無常なんです。
 その上に少子高齢化で人口が減少する、事務所もマンションもガラガラになると思うべきです。
 人口が半減化する予測は、皆さんご存知のことですね。大きな銀行が合併する話題もご存知ですね。人口が減少すると、経済は縮小に向かいます。お仕事が減り、お勤め先が合併縮小破綻は当然の成り行きです。どなたも三十年先の収入がどうなるか見当が付きません。日本の国力が衰退に向かいつつあることは実感されているでしょう。
 国家の興亡は自然なことです、衰退すれば、何れか隆盛に向かうでしょう。
 第二次大戦の直後と現在を比較すれば悲観することも無いでしょう。
 七十年は草木も生えないと言われた広島の原爆投下直後と、現在の広島を比較すれば、悲観の理由はありません。多くの日本の戦災都市は立派に再生したことを皆さんご存知ですね。
 これまでの右肩上がりの幻想をもち続けて生活設計を立てると予想もしなかった困難に直面するかも知れません。
 素直に考えて日本の将来に悲観はしていません。日本人の平均的な教養知識は高く、人口が減少しても、人口を養うだけの知識と技術はあるでしょう。
 むしろ問題になるのは現代の需要に合わせて造られた沢山の設備、建物、道路、学校などの施設の回転率が下がり、採算が取れなくなることが運営を困難にすることです。
 一部の大学では生徒の獲得に躍起になって案内状が来ているようです。
 大事にすべき日本しかない技術も、伝承がされないかも知れないるのです。
 人口半減化も平均年齢が五十歳を過ぎた社会も突然には来ません。ゆっくり来ますので順応は出来ます。
 しかし、確実にそうなりますので、三十年、五十年にもわたる計画、ローンなどを組むのは慎重にして下さい。
 大災害も覚悟しておいた方が慌てないでしょう。世の中が大きく変化して行くことでしょう。

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