五月はご無事にお過ごしでしたか

 連休や正月前など、回復不可能な病人で、家族が看病看護に疲れ果てたころに、もうこれ以上、それ以上は想像しかねますが、管や針を抜かれる。家族同意の尊厳死と思われるような葬儀があります。被害妄想かも知れませんね。一人暮らしの方は、直ぐ分かるところに本籍地を表示して置いて下さい。火葬許可書が取れないので火葬ができないのです。できれば、遺言状も残して置いて下さい。お通夜の席で遺産争いが始まるなんて真っ平ご免ですよ。さらにお寺を種にした嘘は困ります。葬儀代一式はお寺に預けてあるからと言うような嘘は困りますね。容態が不安定になった時に施設の方から連絡があって、万一の時にはよろしくお願い申し上げますなんて、このように言われても、観音院は関知してないことがあります。観音院は経理公開で、お預かりしたお金があれば、台帳に記載されています。

何やかやと多忙になる連休
観音院は面倒見の良い寺で
信徒さんに親切にして下さい

 お寺で使うお香は伽羅です。この香は純金よりも高価です。通常使用されているお香なら千円そこそこですが、一座の法要に使用する伽羅が十万円を超えることはよくあります。
 伽羅は沈香の一番高級な物で日本に在庫が多くありません。
 寺には昔に数キロの単位で購入した伽羅の在庫があります。
 伽羅はそれ自体が善い香りですが、大変な消臭作用をもっていて、煙草の臭いや体臭などを打ち消します。
 仏前に供える最高のお香です。三百人が焼香されますと百万円を超えるかも知れません。
 大切にして焼香台に置いています。ところが、善い香りだからとお持ち帰りになる方もありまして、対策の立てようがありません。
 大半の事は気にしないように申し付けていますが、寺子屋に置いて開放して使ってもらっていたパソコン。一台ずつ無くなって、今年は五台減りました。パソコンは買えますので簡単に解決できますが、書籍の管理は大変です。
 一冊二十万円、一揃い三百冊なんて稀覯本もありまして。自由に開放していましたが、貸し出しは一切止めていますね。図書館と同じことです。
 単純なものでは百科事典もありますが三十八冊から一枚二ページが切り取られている—-。私は本来は本などは読まれてこそ価値があると思っていますので執着してません。
 在るものは無くなる、単純な事ですから、自由に開放するのが良いと考えています。少し極論ですが、専従職員に、火災の際は信徒さんの誘導第一。寺が無くなるなんて気にもしていません。
 ですから事実が無くても信徒さんを嘘吐きには絶対に致しません。
 寺に葬儀代が預けてあると言われれば、全部お寺が費用を負担することにためらいはありません。
 お寺を運営する上で建物什器備品などを大切にすることは当然です。それを前提にして、お寺が災害などで全損に至る結果になっても、あくまでも人命第一、信徒さん第一です。災害時に非常持ち出し貴重品などありません。
 寺が焼ける、災害で壊れることは、避けたい事ですが、万一、そのような事が有れば、僧侶は再建の資金集めが大変だと思います。この大変さが善い僧侶を生み出す機会になります。
 頭を低く、慈悲深く、教えを説かなければ、再建資金は集まりません。
 横道な態度の僧侶、浄財に甘えて生活する僧侶、勉強しない僧侶に、寺は不要です。そのようなお寺は必要有りませんし、存在の意味が有りません。慈悲深く、教えを説き、社会の規範となる生活をしない僧侶の住処など、誰が建立を望みましょうか。
 観音院は人々が幸せに生きるための十善戒を説くお寺です。み仏さまを木偶の棒にしないよう、霊験を示せるように良く礼拝すると善いですね。
 僧侶の世襲による寺の私物化は論外なことです。寺は信徒の所有に関わるものであり、信徒さんに霊験を引き出して上げるのが僧侶です。職業僧侶は不要です。信心の無い読経だけができる僧侶は僧侶ではありません。
 僧侶はみ仏さまの代理です、当然に死者の霊魂を迷わせること無く引導し、信徒さんの願望を成就せしめ、明確な死生観を説き、霊能ある僧侶として、遺漏無いよう活動しなければ成りません。それほど難しい事を言ってる訳でも願っている訳でもありません。
 当然のことを言ってるだけで、十善戒—-不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見を保てない者は観音院の僧侶の資格を欠きます。
 愛犬家の十善戒から総理大臣に差し上げる十善戒も堂々と説ける、そのような観音院で在って欲しい、私の切なる願いです。信徒さんの幸せと所願成就が私の全ての願いです。

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