二十一世紀にはいりましたが、さてさて

民主主義の米国大統領選出の大混乱の過程は報道で知るかぎり、理想とされる制度でも、上手く機能しないこともあるのが分かる。

民主主義、投票、多数決の原則がこんなに厄介なものだとは皆さんは想像されていたでしょうか。

観音院も経理公開、財務公開、世襲制廃止の民主的な寺院ですがいくら多数決だといっても決められないことがあります。明日の天気を晴れと決めても意味はありません。民主主義の怖いところは宗旨宗派は評議員の皆さんのご意向で変更することは可能です。信仰については憲法で自由が保障されているからです。ところで、一日三座の法要を多数決で決定されても、これは僧侶の能力の限界を超えますから実行不可能です。

景気も多数決では組められません。政治は多数決でリーダーも決められます。住職も同様です。

次の観音院住職は観音院の僧侶のうちから衆望を担う人が就任されることになります。ただし立候補制ではありません。何年もかけて自然に定まるということです。

大体、定まって、それを役員会が承認することになります。観音院には離婚すると役員を失格するという戒律があり、これは法律でには馴染みませんので裁判してもも門前払いになります。実刑はもちろん執行猶予が付くような犯罪を犯すと、これは宗教法人法で無条件に失格することになります。

住職は運営能力も問われます、金銭を集め過ぎてもらっても困るし、赤字が連続しても失格です。余剰金が大きく生じないよう、欠損が出ないように運営する能力が必要になります。

寺は慎重運転が常に求められていて、かつ皆さんのご祈願を達成することが大切です。

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