世間が激動しても変わらぬ考え方を持ちたい NO1

世間が激動しても変わらぬ考え方を持ちたい 十善戒は己を戒めるものとして最適かつ不動 いたわり、慈しみ、思いやり、相手の立場で考える

不摂生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見は皆で守れば簡単。皆で崩せばこれまた簡単。皆で守れたら立派な事だ。皆で崩せば現代社会。十善戒は刑法で罰せられる事よりもまだ細かい。だから警察に捕まらない人は程々十善戒護持に近いのかもしれない。肩が凝る決め事。

どのように刑法に触れないように生きて行くかが出来る人は極めて善人で、社会人としては迷惑な存在かもしれない。

いたわり、慈しみ、思いやり、相手の立場で考えるのは十善戒を守る易しい考え方だけど、これは自分だけの事ではなくて相手の立場も考える社会的に優しい受け入れられ易い考え方だけど、皆が守れば世の中は金持ちだらけ、成功者だらけ、失敗する人なんか一人もいない。萬倍様を御祈願する時に「世の為人の為に尽くしますので、私の福徳を萬倍にして下さい」と願うようなものだ。

世の中が激動しているから、対応する現代人は迷うかも

倫理や道徳が教科書になって学校で教えるらしいけど、一体誰が教えるのか心配でならないが担任様とか。

道徳は先に生まれた方が実行して、その人の背中を見て後に生まれた人が自然と習得するのが望ましい。

最近中国では、儒教の教えが俄かにもて囃されて、年寄りの親を探し出して椅子に座らせて、足元にお湯の桶を置いて子供が親の足を洗う「洗足礼」が流行っているそうだ。
足を洗うぐらいは誰にでも出来るだろう、その後に続く介護や、老後の面倒を看るという事になると、経済的な負担で先ずへこたれるだろうな。今中国で足を洗う桶を作ると飛ぶように売れるかもしれない。

中国に旅行してホテルに宿泊した際、ロビーの横に百個ぐらいの桶が並び、其々にお湯と水とが出るように蛇口が付いていて、その前にお客さんの椅子がある。団体に引率していてそこへ案内されて、座ったら
男性客の前に若い女性が座りお客に流し目をしながら、足首までならなだしも、太ももの付け根辺りまで漢方薬を入れた湯で揉みながら洗ってくれる。
女性客の前にはとても可愛い男の子が付いてくれる。
旅行で疲れた足にとってはなんとも言えない快感があって引率した御一行は大変に喜んでいた。キャーキャーワイワイで大変なご満足だった。

ただし、私は引率者で無料だったが、皆さん其々多分三千円以上は払っただろう。「洗足礼」とは確実に異なるもので腿の付け根くらいまで揉みあげられるシステムは中国流の有料のおもてなしとして、「洗足礼」以前から有ったのだろう。

私は早く休んだが、多くの団体の人達は夜間外出して足の揉みあげ洗いの続きが有ったらしい。
どのようなサービスが有ったのか私には何も話してくれないので、全く知らない。明確に言えば、これは青少年の虐待が為されていたのではないかと想像しています。

儒教の考えとは全く関係が無い、親の足を洗って小遣いを貰う事は何だか気持ちが悪いですね。こんな親孝行をしてもらうと家庭内経済の循環が有るのかもしれない。

寝たきりの親の身体を優しく清潔にしてあげる事なら良いと思う。中国で現在為されている事は多分これに該当する事と思う。歩けなくなった人の伸びた爪を抓んであげる事は相当な注意力を要する難しい事だ。

母さんお肩を叩きましょうタントンタントンタントントンは望ましい親子関係のように思える。これは教科書にするとしたどんな光景になるかな。
祖父母や父母兄弟姉妹が助け合いながら、生きて行けるように日本の建物の間取りは出来ていない。

まして社会が老いた老人に優しくするには介護保険の問題かもしれない。

昔、日本では長男相続次男貧乏という言葉が有って、親に尽くさない長男は社会的に批判されただろう。私は長男でお寺は広かったから親が望むままにしてあげる事が出来て後悔する事は何一つありません。昭和の一行の生まれですから、当然かもしれませんね。

両親の躾は厳格な方で、決して甘やかされて育った記憶はありません。座布団に座って針山を左に立てて縫物や繕いものをしている母親からは何かの約束違反をすると竹の物差しでピシャリと叩かれていた。長男として、十五歳年下の弟の学業の指導も任されていて、
気に入らなくて叩いたことが有るかもしれない。幸いな事にそれでも兄弟の間には信頼関係があり、相互補完している。運が良かったのかもしれない、長男として親の跡を継いで苦労をしていたのを理解してくれたのだろうか。

寺の住職は私が五十二歳の時に三十七歳の弟に譲りました。それから今日まで生き永らえてしまった、親があの世からどう思われているだろうか。

両親は比較的善人で良い人柄であったように思う。母や五十七歳で父親は七十五歳で逝かれた。共に病気療養中で回復が出来なった。

思えば私のタイプは両親とかけ離れた刻苦精励型で寺の後継者としてと言うよりは、僧侶に生まれてついて観音院に居るのかもしれない。
真面目に礼拝を続ける事について両親は「続かない事は止めて欲しい」と言われていた。

<続く>

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