モラル・ハザード

MORAL HAZARD「道徳とか倫理のの欠如」という意味で使われています。難しく考えないで、約束を守る、誠実である、相手の立場で考えることが出来る。法律を守ることも含まれます。食品会社の回収品の混入などや、金融機関の破綻処理、大企業の破綻などの方法についてモラル・ハザードが指摘されているのはご存知の通りです。

法律は国によって異なり、時代によっても異なります。道徳・倫理も時代によって変化しているように思います。

相手を傷つけることは、倫理・道徳に反します。戦争をすることは当然に認められません。平和を守るための軍隊の存在はどのように考えられますか。経済が国を超えて利益を追求し、通貨が暴落したりするようなこともある現在の仕組みはどう思われますか。

倫理的責任はあるかもしれないが、法律的責任はないと言われることがありますが、法律は日常遵守すべき最低基準を定めたもの、倫理は人が如何に生きて行くか人間と人間との関係の有り方、規範、原理、規則全体を指します。当然高い倫理観を持っている人と、法律に触れさえしなければ何でもする人など色々に分けられます。

佛教の十善戒の不殺生を人を殺してはいけないと単純解釈すれば故意であろうと過失であろうと法律で裁かれます。相手の立場で考える、いたわり、慈しみ、思いやりをもつことと解釈すれば極めて高い倫理となります。ものを粗末に扱うことも、浪費することも、生かして使わないことも、他人を苛めることも、安心して働く場所を与えないことも、安心して住める場所を与えないことも、老後を安心して過ごせないことも全て不殺生に反することになります。

お盆は正しくは盂蘭盆と言います。中国で作られた偽経と推察されていますが、内容は釈迦の十大弟子で過去・現世・来世の三世を見通す力を有する目連尊者が亡くなった母親は如何と見ると、地獄に陥ちて逆さまに吊るされて苦しんでいる。何とか救いたいと思い釈迦に聞くと「安居(あんご)」の最後の日の僧自恣の日に多くの僧侶に供養をすれば良いと教えられ、そのようにすると母親が救われたという故事に倣った習慣です。

安居とは印度の雨季に僧侶が外出せずに部屋にこもって修行をすることで、観音院でも六月には夏安居(げあんご)、十一月には冬安居(とうあんご)と定めていて、つい先ごろまでは奇特な篤信徒が施主になられて、レストランでご馳走されたりしていました。

「僧供養」という言葉は聞かなくなりましたが、皆さんはどのように思われますか。

お盆の棚経に行きますと、高校野球をテレビで見ながらお坊さんに読経させて、これで先祖のご供養になるでしょうか、疑問です。

初盆などは遠方の親族が飛行機で集まっていたりして盆行の時間は正確であることが求められ、渋滞に巻き込まれたりすると寺に催促の電話がジャンジャンとかかって来て奥さんが泣いたりする。

僧侶は一日三十軒から五十軒を回らなくてはならない。お盆がお坊さんの稼ぎ時なんて、嘘です。本来の僧供養とは如何でしょう。

お彼岸を迎えるにあたり考える

お彼岸は昼と夜の時間が同じになるころで、秋彼岸は9月の20日が彼岸の入り、23日土曜日が彼岸の中日、26日が彼岸の明けと言います。この日太陽が真東から上がり真西に沈みます。

彼岸の佛事は古く平安時代には行われていたと伝えられています。

阿弥陀佛の居所である浄土は西方十万億土を経た所にあり、全く苦患のない安楽な世界で、阿弥陀佛が常に説法している。

十万億土とは娑婆世界から阿弥陀如来の極楽浄土に至る間にある佛国土の数のことで、極楽浄土が遠いことをいう。

この頃、太陽に沈む真西に阿弥陀如来のおられる浄土を念じて極楽往生を願ったものでしょう。

彼岸とは文字通り、彼(か)の岸で、迷いに満ちたこの岸から悟りの彼の岸を願う日でもあります。

彼岸に渡る方策として「お念佛」を唱えることや「十善戒」を護持するなど、いろいろあります。

彼の岸を来世と思っている人もあるし、現世で行き着きたいと考えている人もあります。

此の岸を出家前の釈迦と思い、彼岸を涅槃寂静の悟りの境地に入られた釈迦牟尼世尊の状態と思う人もあります。

法主さんは十善戒と八正道で彼岸に渡れると言われました。八正道とは。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定、すなわち正しい見解・決意・言葉・行為・生活・努力・思念・瞑想のことです。八正道は悟りに至る方便の船です。船を傾けないように乗り続けていることが大切だとも言われます。焦ると船から落ちてしまったり、もう駄目だと下船してしまわないようにすることが大切だそうです。

方便とは人を教え導く手段で真理に誘い入れるために仮に設けた例え話で「船」と言いました。

嘘も方便とは目的のために利用する便宜の手段で、時に嘘を使わねばならないこともあると言うことですが「嘘」はいけません。彼の岸とか此の岸、渡る船に例えたのは全部方便です。

八月十一日、日銀の零金利政策が政府の強い反対にも関わらず解除されました。政府も日銀も国民のことを考えての結論ですが、立場が違えば方法も異なります。まるで宗旨宗派のようなものだろうかと思いました。日銀の独立性を示す格好の事例です。

先祖を大切にする家は栄えると言う佛壇屋のコマーシャルがありますが本当のことです。

先祖を大切にすることは祖父母や両親を大切にすることで、墓参や読経、説教などを通じて聖職者と親しくなります。これらの行為は孝行と世間から受け取られます。

最近では親に孝行するとか、両親を大切にする考え方は無くなりつつあります。それらの中で親を尊敬し感謝し、大切に思うことは極めて麗しい日常であり、周囲の人に感心される結果になります。

この世に理想的な親はいませんし、期待される人間像をもつ子供もいません。これらの中で、親に心配を掛けたり、親を悲しませたり、親の悪口を言うことは見苦しいばかりでなく、損なことを日常的にする智恵の無い人であると評価される5 COナす。

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