ギリシャからの贈り物

今年の八月にはギリシャのアテネでオリンピックが開催されます。
 様々な競技種目で、アスリートたちが日頃の練習の成果を発揮すべく鎬を削ることでしょう。
 アテネは、一八九六年に近代オリンピック開催の地として知られていますが、古代オリンピックが開催されたのは、紀元前七七六年、ギリシャの「オリンピア」だったとされています。
 そのルーツ(起源)は、作物の豊穣を祝ってオリンポスの神々を祭る祭典だったとのことです。
 現在は三十五種類とバリエーション豊かな競技種目がありますが、当時は陸上競技が中心で、後にできた五種(パンタスロン。短距離競走、幅跳び、円盤投げ、槍投げ、レスリングの全競技を一人でこなす。現在でいう近代五種のようなもの)以外は、シンプルな競技が多かったようです。
 ギリシャによって植民地にされた地中海沿岸諸国の男たちが覇権をかけて争っていました。また、開催期間中はギリシャ全土に休戦協定が出されるなど平和的な一面もある催しだったようです。

 ギリシャは「オリンピック発祥の聖地」というほかに数々の神殿や彫像が発掘されるなど、考古学上においても大変有名な場所として知られています。
 今年のオリンピックの競技場を整備する過程でも多くの出土品が発掘されているそうです。
 彫像の中には、古代のオリンピックが裸で競技されていたこともあってか、ギリシャ神話に登場する神々の鍛え上げられた裸像が、多く見受けられます。
 彫像や神殿などの様式で、ギリシャの文化で有名なものに「ヘレニズム」があります。これは「ギリシャ」と「オリエント」の文化が融合したものだとされています。実は初期の頃の仏像も、このヘレニズムに多大な影響を受けているのです。
 仏教伝来から現在まで、東大寺の大仏や東寺の立体曼荼羅など、日本各地にいろいろな仏像がおまつりされています。
 しかし、釈尊の入滅直後には、出家者たちの間では、涅槃(ねはん)の境地に入った釈尊のお姿を形に表すことは恐れ多いこととして禁じられていました。
 そのため、当時は、人間の姿で彫刻された仏像ではなく、その代わりに、釈尊の「遺骨(舎利)を納めた仏塔」や、「菩提樹」や「法輪」が釈尊の象徴として崇められていました。
 しかし、マケドニアのアレキサンドロス大王の東方遠征の際、隆盛を極めていたギリシャ文化が地中海を越えて東方を席巻することになりました。
 そして、東西文化の交わるガンダーラ地方(現在のパキスタンの北西部)で、遠征後も当地に残ったギリシャ人たちにより、ギリシャの神像に倣って仏陀像が造られるようになりました。その頃の仏像彫刻を、地名をとって「ガンダーラ美術」といいます。
 それまでの抽象的な偶像に代わり、仏像が造られるに至り、仏教徒の礼拝や瞑想の方法に、大いに変化を及ぼしたことでしょう。

 仏像を造る際にモチーフにする仏陀の身体的特徴に、「三十二相」というものがあります。それは、足下安平立相(足裏が平らで大地に密着する)、足下二輪相(両足裏に法輪が刻まれている)、手足指縵網相(指の間に水掻きのような膜がある)、真青眼相(眼は青蓮華のように、紺青色で澄んでいる)、頂髷相(ちょうけいそう・頭上に肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している)、白毫相(びゃくごうそう・眉間の間に白毛がある)など、釈尊の徳を象徴した三十二種の特徴を表現したものです。

 日本に伝来した仏像は、一般的に、如来・菩薩・明王・天部・その他の、五種類に分けられます。
 如来像は、悟りを開いた者、諸尊の最高位の仏を象った像で、その特徴は、螺髪(らほつ)で三十二相に基づき、宝冠や胸飾りなどの装飾品をつけずに一枚の衣を纏っただけの姿(大日如来を除く)をしています。
 菩薩像は、悟りを求める修行者、如来の慈悲行を実践して、衆生を救う仏を象った像で、特徴は、髷(まげ)を結い、宝冠などの豪華な装飾品を身に付け(地蔵菩薩を除く)、天衣(てんね)を纏っています。出家前の釈尊をモデルにしているといわれています。
 明王像は、如来の命を受けて人々を調伏(ちょうぶく)、救済する仏を象った像で、特徴は、髪を逆立てた焔髪、忿怒(ふんぬ)の表情、様々な武器を手にして、背中に炎を背負った姿(孔雀明王を除く)でしばしば表現されます。元々はバラモン教の神々だったのを、密教が取り込んだといわれています。
 天部像は、超人的な力を持ち、仏法や如来を守護する仏を象った像で、特徴は、甲冑(かっちゅう)を着けた武人、女性の姿をした天女、非人間的な姿をした鬼神などで、如来や菩薩の眷属(けんぞく・従者、つき従うもの)として、本尊の周囲に安置されることが多いです。
 明王と同じく、元来はバラモン教やヒンズー教の神々が、仏法に帰依(きえ)し、守護神になったとされています。

 ここまでバリエーション豊富な仏像が出てくるに至ったのも、その根源にヘレニズム文化の伝来が大いに関係していることでしょう。調和を重んじる仏教は、他の宗教と違い、あらゆるものを取り込んできました。そのおかげで、ここまで芸術性の高い像が生み出されてきたのでしょう。

 現在では、我々は衛星放送で瞬時に遠隔地の映像を見ることが出来ます。オリンピックに出場する、ヘラクレス像や「明王像」の様に鍛えられた肉体の競技者の姿を、家に居ながら目の当たりにすることが出来ます。
 しかし、仏像は、源流から河口まで流れ着いた石のように、その形を徐々に変えながら、長い道のりと歳月をかけて私たちのもとにやってきたのです。
 仏像は、いにしえのギリシャの神々から、仏教徒への贈り物なのかもしれません。

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