わたしの役割は一生懸命に拝むこと、そして……

頭の中は、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、
不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見で一杯で他にあまり考えることは
ありません。日々皆さんの願望がかなうようみ仏さまに祈り、皆さ
んのご先祖さまのご供養のために存在しています。あまり、色色な
ことは考えられません。嫌なこともありまして、毎週日曜日の晩に
大河ドラマを見るようなことは苦手です。定時にニュース番組を見
ることや、同じ場面を重複して放映される類は全部駄目です。それ
からどうなると興味を持ち続けることには集中力が欠けているよう
です。好きな音楽は例外で、何度でも聴けます。名画は別として、
同じ画像を何度も見ることは耐えられない苦痛なのです———-
と法主さんは言われる。(田川純照筆記)

不必要なら遠慮なく出して
      役に立てないなら静かに去る

 観音院は極めて公益性の高い寺院で、私の行為や考え方で相応し
くないと皆さんが思われた時は、遠慮なく言ってください。着の身
着のままで寺を去ります。私(法主)は観音院に置いていただいて
いるだけで、権利権力はもちません。
 昨年度の宗教法人や学校法人の申告漏れが百五十九億円で増加傾
向とか。
 このようなことをわたしは嫌悪しています。観音院は経理と運営
を公開していて、収支には常勤監事の承認が必要です。評議員さん
は五十名おられ、責任役員は十名。これらの方が帳票などを監査さ
れる場合、妨害または拒否した人は、わたくしでも住職でも免職さ
れる規定があります。

 僧侶は聖職に分類され、それを汚す行為は容認できません。わた
したちを含めて、何ら遠慮することなく、この方針は今後とも厳守
してください。  
 僧侶といえども人間だからという斟酌(しんしゃく)は観音院の
わたしや住職には全く必要の無いことです。厳格に対処してくださ
い。わたし(法主)は不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、
不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見の世界に居て、無用な思
いやりは必要ありません。
 破戒は大変なストレスになり、精神衛生上良くありません。

 ただし、在家僧侶の方々に十善戒を守ることを厳格には申しませ
ん。戒を護持することは、ともすれば破り勝ちな、守ることが難し
く、そのために用意してあるのかもしれません。

 十善戒を護持すれば限りなく大きな自由が得られます。代償とし
て五感に感ずる一切のものに対する執着を断たなくてはなりません。
その上でただの石ころになっては本末転倒です。大きな慈悲の中に
住んで、それを世間に伝達することが自然になされるように、十善
戒を厳格に護持すれば、十善戒にも執着が無くなるものなのです。
四苦八苦から解脱(げだつ)できたとしても、無意味な日々を送る
ことが平気になっては大変です。
 わたしは刻苦精励を性癖として過ごしています。無常が理解でき
ても、物事をいい加減に、投げやりでなすようなことがあってはな
りません。厳格になり過ぎても、度を過ごせば無法者になります。
優しい人であって欲しいものだと思います。

望まれるように使ってください
       動けぬ人の相談なら何処にでも

 わたしは自分で計画を立てて行動することはありません。わたし
の二十四時間は皆さんのものです。全て予約で、行動しています。
プライバシーは有りません。ご相談でも祈願でも供養でも何時でも
承ります。寺から必要な手当てをもらい、旅費もいただいています。
直接に金銭の授受はいたしません。謝礼は受付と相談してください。
受け取ったご喜捨は浄財として全て観音院の運営維持費用に充当さ
れます。
 わたしは金銭や布施の額は存じませんし、知ろうとも思いません。
誠心誠意、全力を挙げて祈り、供養させていただきます。住職も同
様です。
 観音院はご喜捨の金額氏名を張り出しません。競争の原理で布施
を集めると浄財が穢れます。布施や喜捨はご自身の徳を積まれ、仏
縁を厚くされるもので、皆さん自身の貯金と同じです。
 僧侶の立場は布施の額で左右されることは絶対にあってはならな
いことです。全ての参詣者の方々に平等に「光と愛と祈り」を誓願
しているものです。
 本来であれば僧侶は財産を持たぬものです。貨幣社会の中で無賃
乗車も食い逃げもできませんので、若干の金銭は止む得ず必要とし
ますが、若干ということがとても大切になります。

 何度も申し上げますが、寺は決して僧侶の所有するものでは無く、
信徒の皆様の所有に帰するものです。また、僧侶の住処であっても
なりません。
 わたしも住職も寺を差配する何の権限ももっていません。寺を出
るようなことがあっても退職金はありません。
 そのような理由で、次の良い住職さんを育てることは大切なこと
になります。わたしは五十二歳で引退しましたが、現在の住職も終
身住職を続ける意向は全く無いと言っています。

 昔は人里離れた場所に庵を結んで心静かに暮らす考え方がありま
したが、街中の観音院に居ても、心を静かな場所に置くことはでき
ます。
 わたしは、自分の部屋や風呂・便所の掃除をなし、洗濯も自分の
手で、食事は一人の場合は一日二食です。
 未だ多くの人から声が掛かりますので、暫くは観音院に居ます。
どうぞ遠慮なく息絶えるまで「こき使って」ください。ただ、あま
りにも来客が多いので、お待たせしないために予約日時を決めてい
ただいています。
 困り事・悩み事の相談は、電話よりは面談が大切です。わたしは
人相や手相は見ませんが、お会いする人は雰囲気を持って来られま
す。その人の総合的な情報のようなもので、面談を重ねて行けば、
電話でもお役に立てるようになります。ですから、国内はもちろん
外国からも寺に来られますし、場合によっては旅費宿泊代を寺負担
で出張しても差し上げることができます。

■昨今の僧侶で十善戒を基準として生きておられる方は少なくなり
ました。法主さんは酒の一滴も飲まれません。良い映画を見られる
ことは欠点とは思えません。

■法主さんや住職さんにご相談されるには、電話 082-232-8251 で
相談日時を必ず予約してください。
インターネットの方は info@kannon-in.or.jpでも受け付けています。

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2001-12-2

万倍(まんばい)さまのご霊験は凄い
  大体願い事を千倍から万倍にしてくださる

 わたし(法主)が観音院の専従僧侶になる時に、万倍さまの祠
(ほこら)の前でお願いしたことは、僧侶として生きて行く上で、
どうして良いか分からない。
 引き継いだ墓が二百四十基、檀家は全部原爆で被災して、転居先
から訪ね歩く日々。葬式仏教なんて現代の僧侶を嘲る人もあるが、
葬式も法事も滅多にない。時間は有り余っているのだが、何も無い、
動きが付かない状態で、そこで毎日三座護摩を焚くことにしたら、
母親から続かないことは止めなさいと言われる始末。母は被爆者で
五十九歳で亡くなりましたが、寺が全焼して、檀家も行方知れずが
大半、先代住職は生涯に一度も嘘を吐かなかったと評されたような
人ですから苦労されたでしょう。

 中学一年の時に食い扶持を減らすために広島大学の先生のもとに
書生に出されたのですが、仕事というのが焼け跡に穴を掘って瓦を
埋めて更地にすることだけ、お陰さまで筋肉質に育ちまして六十八
歳を過ぎても腕立て伏せが百回くらいはできます。

 戦後の苦労は何方さまも同じですから、愚痴そのもので、止めま
す。ただただ有難いことに、出会いが大変に良かったと思います。
み仏さまご加護です。

 しかしながら、戦後の掘っ立て小屋のような寺と檀信徒のいない
僧侶に何ができるでしょうか。

 その頃、万倍さまの祠(ほこら)はありまして、まぁ、素直に
伝説通りに「世のため人のために尽くしますので、福徳知恵を万倍
にしてください」と、先代の言われるままに願を立てました。

 親切で優しいお寺にしたいと願っても人がいないのです。だから
大蔵経の中に埋もれて気がついたら三十七歳。年月の経つのは早い
ものですね。
 それから毎日、毎日、み仏さまを拝んで、住職になって、五十二
歳で今の住職に地位を譲って、皆さんが立派な寺を建ててくださり、
今日に至ったのですが、わたしの福徳知恵は従前のままですが、
ご霊験あらたかに観音院は間違い無く「万倍」になりました。

わたし個人については「世のため人のため」願ってのことですか
ら、自己の毀誉褒貶などは論外のことです。
 自分に厳しく、他人に優しくを標榜して生きて在りたいと思いま
す。み仏さまに守られて「あれが欲しいとか、これが欲しい」と思
う暇も無く、今現在も欲しいものは何も無く、持ちたい物も欲しい
物もありません。自分の生命も粗末にはしませんが、執着は無く、
このような毎日は有り難いことです。
 多くのトップと言われる地位にある方は成長も結構ですが、恐ら
くはわたしのように「欲しいものは何も無い」と思われたいのでは
ないかと思います。
 地位ある方々の責任は大変だと思います。わたしは寺の運営など
には毛頭関心を持たずに過ごせて、このような考え方で日々を過ご
せることは例えようも無く安穏なことです

失業率五・三% 失業者三百五十七万人
   経済恐慌に構造改革、追い討ちの無差別テロ

 IT関連企業の思わぬ落ち込みは大手電気企業の採算を悪化させ、
赤字転落、数千人単位のリストラ、流通大手の「そごう」の破綻か
らマイカルの民事再生法、ダイエーも長崎屋なども思わしくないと
いう噂話。
 噂話と破綻は連鎖しやすいもので、危ないのは大半の事業で、こ
んな時に良いところは少ない。
 テロによる影響は、旅行者の激減、旅行社の破綻–、アメリカの
国民総生産が八年振りのマイナスで、失業率五・四%と日本よりは
悪い状態。
 構造改革無くして回復無し、という総理のご意見は論理の筋だが、
少々の痛みではなさそうです。
 経済破綻が原因とみられる自殺者が三万人を超えるとか、交通戦
争の犠牲者が年間一万人前後ですから、これからどうなるか心痛し
ています。年間数万人の大殺生は怖いことです。

 加えて来春からペイオフ、預金者も大変ですが金融機関も保険も
証券も皆さん大変な事態のようです。まるで泥沼にはまったような
状態で、皆さんが足を捕られた感じで、支離滅裂なトンネルの中で
手探りで這っている様子です

一日に七千人が失業している日本の経済は何処へ向かっているの
でしょうか。小泉総理の政策はもしかすると大変な緊縮財政で、国
の行く末を過つのではないかと大変に心配です。

 大変なのは事業所や働く人たちだけではなく、自治体も大騒動で
す。東京都も一兆九千億円の公金を二十の金融機関に預けています
が、ペイオフが実施されると一千億単位で不良預金となります。だ
から独自に金融機関を調査して、危ないとひろから預金を引き上げ
る計画だそうです。

世の中がギスギスしても
       言ってはならない捨て台詞

 社会構造変革に伴うこと苦痛もさることながら、困難な経済状態
の中での人間関係で、絶対に言ってはならないことは「捨て台詞」
です。
 捨て台詞は、してはならない過失を起こして窘(たしな)められ
たり、無理なことを相手に言って断られたりした時に、自分の過失
や落ち度を反省せずに相手に理由の無い侮蔑(ぶべつ)「侮り蔑む」
の言葉を吐くことを「すてぜりふ」と言います。捨て台詞が実害を
伴う攻撃的な内容を伴っている場合は人間関係は破綻します。

 捨て台詞を吐く人は習性のようなものがあって、性格は反省して
直るようなものではありません。そのような人と人間関係をもった
のが運が悪かったと言うべきでしょう。

 職場であれば解雇、仕事の関係であれば取引停止、夫婦であれば
離婚に至ります。十善戒の不殺生、不偸盗、不妄語、不綺語、不悪
口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見に相当する大罪を犯したのと
同じことになります。

■仕事が順調に行くと幸せですね。世のため人のために尽くすこと
を約束して万倍さまに福徳知恵を万倍にしてもらいましょう。
万倍にしてもらったら社会に還元して下さい。

■人は過失を犯すものであり、また他人に無理を言うこともありま
す。反省して繰り返さないことが大切で、捨て台詞を吐くようにな
ると全て人間関係は終わり、無限地獄です。

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2001-12-3

捨て台詞は人間関係を滅茶苦茶にします
   悪い習癖で矯正しないと無限地獄に堕ちます

 十善戒(じゅうぜんかい)、即ち、不殺生、不偸盗、不邪淫、
不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見の中
から不妄語、不綺語、不悪口、不両舌の四つについて述べますが、
これら仏教の戒は一つだけ独立して犯される場合よりは、複合する
場合が大半です。

 十の戒を身三、口四、意三と、三密(さんみつ)に分類されるこ
ともありますが、してはならないこと、言ってはならぬこと、考え
てはならぬことと分けても良いですね。
 言わざる、見ざる、聞かざるは三匹の猿の姿態でよく見かけます
が、不平不満を溜め込んで、爆発すると見聞きしたことの言い放題
では、辛抱も身のためになりません。

中間管理職は辛抱と忍耐と矛盾する寛容を求められる職責ですが、
何処かが綻(ほころ)ぶと多重人格かと疑われるほどに仰天するよ
うな悪質で陰湿な態様を示すことがあるそうです。
 一度、堰(せき)が切れると暴言どころでは済みません。「寸鉄
人を刺す」なんて生易しいものではありません。一言で心臓を抉り
出されるような物凄い言動を周囲は体験することにもなります。
「どんでん返し」と言いますが、コントロールを失った人はほんと
うに怖いものです。

「捨て台詞」は訂正、または撤回することが不可能です。人間関係
を壊しているので修復の機会が与えられません。
 大変に気の毒なことですが、自分の言った言葉の重みを自己嫌悪
になるくらい考える機会になるでしょう。運が悪いと仕事も失って
いるので、収入を得ることや、今後の生き方について苦労します。
相手が配偶者である場合は離婚、恋愛関係なら失恋、お仕事でした
ら取引停止と、大変に大きな損失をだしたことになり
ます。後悔しても回復できません。

 捨て台詞を吐いて、人はご自身で地獄をつくり、自分で堕ちる人
です。多くの場合は組織にも打撃を与え有害無益な言動の代表みた
いなものです。   
 捨て台詞は侮辱語に比較してやや長く、それにしても僅か五秒か
十五秒で人生を棒に振り、組織を破壊に導く言葉ですから、絶対に
使わないように厳重に慎んでください。口は災いの元の代表的な例
に嵌(はま)ることになります。
 捨て台詞は一般的に去る人の使う言葉で、去るつもりが無い人が
使って去る羽目になるのは気の毒です。

 捨て台詞に似た言葉に「追い討ち語」があります。例えば、去る
人に向かって「お前さんはほんとうに詰まらないことをしてくれた」
なんて言葉です。深い恨みをかって、内部告発のような形になった
り、最悪の場合は報復されたり、自分に向けて地雷を仕掛けたよう
なもので、何時爆発するかしれず、何時までも心配が残ることにな
ります。
運が悪いとか、どうしてこのように不幸が続くのだろうかと嘆く
人は少なくありませんが、多くの場合は自業自得(じごうじとく)、
自分で吐いた言葉が地雷になって、それを踏んでおられるようですね。

養子縁組は苦労の元です
      人参は最後まで食わせぬこと

 最近の相談でもありません。昔から良くある相談で、特定の人の
相談内容を漏洩しているのではありません。
 あなたのことを言っているのではありませんので怒らないでくだ
さい。
 相談の趣旨は子供さんに恵まれず、資産があって、死後に資産を
あげるの良い養子が欲しいという趣旨です。

 これは無理な相談で、実の子供でも勘当したいような家族が大半
で、昔のような家庭的あたたか味を求められてもそのような教育を
受けた人はもういなくなりました。店であろうと、会社であろうと
事情は全く同じで、後継者不足は深刻な問題です。

 良さそう人を見つけても、人参を食べると早々に逃げ出してしま
います。
 人参家屋敷遺産などは死ぬ寸前まで、自由に処分できるように
ご本人の意思が大切にされるようにしてください。
 観音院では孤独な人との対応は次のように定めています。ご意見
があれば改正しまので申し出てください。

■観音院のお年寄り対応のきまり■
前文 この規定はお年寄りを大切にするためと、お年寄りとの接遇
   について誤解が起きぬよう定めたものです。
一、この規定はお年寄りとの対応が始まった時に自然に適用されます。
一、寺とお年寄りの間に如何なる性質の私的契約書も作成できません。
一、親切にすることにあたり対価を受け取ってはならません。
一、ただし、全ての信徒は役員会の同意があった場合に限定して、
  寺とご 希望の趣旨にそって公正証書を作成することができます。
一、葬儀の委託は、観音院で執行し、観音院に納骨し、永代供養を
  依頼される場合に限定します。
一、特に依頼があった人については、定期的に訪問してあげる。
  または電話を掛けて安否を確認してあげる。
  病気などの場合は入退院の世話をしてあげる。介護が必要な場合
  は必要な手続きをしてあげること。
一、普通のことを普通のようにしてあげることが大切で、人間関係や
  経歴や資産などの個人のプライバシーに踏み込んではなりません。
一、望まれない親切をしてはなりません。
  親切は押し付けてはなりません。
一、万一の場合、丁重に葬儀を執行して、納骨、永代供養を執行し
  ます。ただし、遺産相続の争いについて観音院が巻き込まれて
  はなりません。
一、信徒さんは親切や出入りを何時でも断ることができます。
                         以上

■真実を語ることが大切です。悪いことを言えば悪い将来が待って
います。良いことを言えば良い将来が開けます。相手の立場に立っ
て考えて、思いやりを持ちたいものです。

■観音院以外で葬儀と納骨と永代供養を依頼される場合は、観音院
が施主になって全てを差配することは僧侶としての道に反しますの
でお世話ができません。ご了承ください。

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