はたして佛教各宗は世尊の本意に

全号に引き続いて、今から約百年前に、宗教関係のある新聞に掲載された、投書子と回答者の、一問一答をご紹介いたします。
 

はたして佛教各宗は世尊(釈尊)の本意にかなっているか?

質問 天竺(インド)から中国、そして日本に伝来した仏教は、多くの宗派に分かれ、現在十二宗三十余派に分派して、それぞれ各宗派の信者がその宗派の教義を信奉(しんぽう)して、おのおの信仰箇条を異にしております。
  そこでお尋ねしたい。これらの宗派はいずれも世尊の本意にかなっているのか、またはそうではないのか——

 各宗にたいする小生のおもいは、
--分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を眺めん--

ですが、しかし、いま各宗各派の動向を冷静に観察すれば、おたがいに「わ
が宗こそが世尊の本意である」とがむしゃらに自宗に固執(こしつ)しているきらいがあるようです。
  かりに釈尊がこんにち、ご存生であれば、こういった状態をどのようにお思いになるか、憂慮に堪(た)えません。ねがわくは、この小生の妄をひらくためにご解答を切望する次第であります。
 
回答 禅語のなかに「答は問処に在り(答えは質問内容の中にすでに表出している)」という古語があります。
  貴方が提示された疑問も、またそのとおりです。
  したがって貴方の質問にお答えするより、むしろ、貴方の意見を引用して、これを証明したほうがよく分かるのではないでしょうか。
  なぜならば、各宗各派の信仰箇条は、はたして世尊の本意にかなうかどうか、というとき、貴方が引用した「分け登る麓の道は多けれど——」の歌意を考えれば、その解答はおのずと出ているのではないかと思います。
  ただ、ここで特に言っておきたいのは、貴方は各宗各派が自己の属する宗派に固執するのは良からぬことのように思われているふしがあるようですが、はたしてそうでしょうか?
  固執は、固結(堅く結び合うこと)であって、心を一つの境地にとどめるために、その目的に到達するのが早いばあいもあります。
  たとえば「浄土宗」のごとく、一心一向(いっしんいっこう)に阿弥陀仏を専念口称(くしょう)するをもって行(ぎょう)とし、「禅宗」のごとく念仏修懺看経焼香礼拝(ねんぶつ・しゅせん・かんきん・しょうこう・らいはい)を用いず、只(ただ)打坐(たざ)して、心身脱落せよと教え、「日蓮宗」のごとく、もっぱら行者をして題目を唱えしむ、そして「真言宗」においては、行者をしてもっぱら三密(さんみつ)相応(そうおう)の三摩耶(さんまや)に住(じゅう)せしむるがごとき、すべからく、その目的にできるだけ早く達するためです。
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 諸宗の祖師、開山が、ひろびろとして果てしない一大佛教のなか、
純粋かつ分かりやすい、それぞれ一宗をお開きになったゆえんは、すべての衆生(しゅじょう)にその依(よ)るべき所の方向を指示されるためでした。
  なぜならば、仏法というものは、大海のごとく、はなはだ茫漠(ぼうばく)としてとらえどころが無く、われわれ衆生は、いずれの宗派がより優っているか、その選択に迷い、いずれの方向に向かって修行すべきかを知らない。
  かくして迂回(うかい・まわり道)の小径に彷徨(ほうこう・さまよう)する衆生をあわれみ—-念仏(ねんぶつ)是れ正因なり、座禅是れ直入(じきにゅう)なり、信仏是れ正業(せいぎょう)なり、題目是れ直道(じきどう)なり、止観(しかん)是れ円入なり、法界(ほっか)是れ道場なり、
三密(さんみつ)是れ即証なり、と、おのおのいずれも仏法の正門一心の直路(じきろ)を指定し、しかして、なるべく早く真如法性(しんにょほっしょう)の名月を衆生に望ましめようとの、お祖師方の慈悲心であります。
  したがってわれわれは、単純自力の一路をめざすのも、あるいは単純他力の一路をめざすのも、もとより自由ですが、可及的速やかに「おのおのご縁のある宗旨」に帰入(きにゅう)して、ひたすらなる信仰に没入することが何よりも肝要なわけです。
  いたずらに法の深浅、宗の優劣を論じ、各宗各派の宗義は釈尊の本意にかなっていないのではないか、といった疑問をもつこと自体仏法修行の大きな障害(さわり)となります。
  かかる「さわり」は五蓋(ごがい)のうちの一つであり、最も戒めねばならぬものですから、そのような雑念は速やかに払拭し自己の宗旨を、あれこれ迷うことなく選択することが何よりも大切です。

 けだし往生(おうじょう)得道(とくどう)の成否は、文章表現の上手下手や言葉の多寡(たか)ではありません。
  在家信者の立場としては、宗派の優劣、法門の深浅などあげつらうことなく、ただ一筋に、自分に因縁のある宗旨を信仰して、誠実に修行することこそいちばん大事なことであります。
  いまだ一宗の奥義(おうぎ)にさえも通じていない未熟な身でありながら、安易に日本佛教各宗を教判(教相判釈・きようそうはんじゃく)するがごとき態度は、あたかも蚊子(ぶんし)の鉄牛を咬まんとする行為より、はるかに愚かなことです。厳に慎むべきです。
  昨今、世の中の人間が傲慢(ごうまん)になって、何ごとに限らず、ろくろく知りもしないのに知っているようなふりをよそおい、世界のことはすべて一呑みにしたような言辞を吐き散らかし、軽薄なる批評を加えたりする。
  仏法を習う人においても、とかくその傾きを拭えない。仏法においてはこれを増上慢(ぞうじょうまん)人という。
  この増上慢人は、とてものこと信解行入(しんげぎょうにゅう)するのは至難(しなん)であるが、貴方の場合、知らないことは知らないこととして、今回のように疑問を寄せられた。これはたいへん殊勝(しゅしょう)なお心掛けです。けれども、次のことだけは、よく弁(わきま)えてほしい。
  従来、人おのおの縁のある各宗各派の教義を心底信じてその教えを良く理解し、修行に忠実なる者はかならず往生得道し、しからざる者は、みな邪境、悪道に堕落したものであることを—-。
  このようなものは、たとえ釈尊の出世(仏が衆生を救うためにこの世に現れること)があるといえども、また、いかんともなしがたいと言わざるをえません。

経文拝読の功徳はいかに?

質問 誦経(ずきょう)はいかなる功徳(くどく)を有するのか。たとえば、お経に書かれている内容もよく分からないまま誦経したとして、それがはたして死者への功徳になるのでしょうか?
  また、木仏画像にたいして誦経すると、それでいかなる利益(りやく)を得ることができるのでしょう? これらの疑念(ぎねん)が胸中に鬱積(うっせき)しておりますので、ご回答を願います。
 
回答 読経することは、師僧について学び、貴方ご自身が御利益や御加護を実際に頂かれて、不可思議な宗教的な体験をなされることがなによりのことです。
  仏は精神的な治療にたけた医師のごとく、また、経は良薬のごときものですから、信頼厚い医師の処方箋によってこれを服用すれば、かならず効能(こうのう)があるように、「誦経の功徳」もそれと同じように、あるいは現世の利益(りやく)を得、あるいは未来の利益を得ることになります。ただし、それらの功徳は経文によってそれぞれ異なり、かならずしも、同一ではありません。
  このように仏の経文には不可思議な功徳があって、何気なく単にそれを読誦(どくじゅ)するだけでも、洞徹(とうてつ・はっきりと知り尽くすこと)なる神識(しんしき)を有する冥界(めいかい)の人々は、それらをよく聞き分けることができるのです。
  書かれている意味さえ心得ず、単に読誦するだけで利益があるという経文の功力(くりき)ですから、内容をよく理解し、これを信じて誦むときは、不可思議のうちに必ず功徳があるのは当然です。
  たとえば薬を服用するに似て、服用者は薬のことにはまったく無知であっても、医師から奨(すす)められた薬を、病が平癒(へいゆ)すると信じて服用すれば必ず効果があるように、ひたすらに仏を信じ、拝み、誦経三昧に入るときは、必ず仏意に通ずるものと、ご安心ねがいたい。
  また、お尋ねの、木仏、画像等にたいしての誦経のことですが、自らが仏と信じて、美しく尊いと観ずればすでに単なる木像・画像ではなく、尊信する礼拝の対象、仏の分霊であり、読経することは、それは、成仏への誦経三昧(ざんまい)を成就(じょうじゅ)するためのひとつの手段であって、これという善き対象を定めることによって、雑念を払い、精神を一点に集中させる一助ともなるからです。そんな側面もあるわけです。
  仏身は法界(ほっかい)に充満して、いずれの場所において念仏しても良いようなものですが、とかく凡夫の心はとりとめがなく、雑念が多いゆえに、それらをまとめて一処に集中するためにも、佛像の前に念仏すれば、より効果と利益があるというわけです。誦経もまた、かくのごとしです。
  ただし、お経にもそれぞれ向き不向きがあり、あるいは報恩のためにする誦経、あるいは追善(ついぜん)のための、あるいは所願成就(じょうじゅ)のためにする誦経と、いろいろあります。
  したがって、その利益は千差万別ですが、誦経者の「心得」ひとつで利益の厚薄があることも忘れてはなりません。

  鷲にさらわれた嬰児が
    遠い他国で父親に再会した話
                    「日本霊異記」より
 飛鳥川原の板蓋宮(いたぶきのみや)に宇御(あめのしたおさ)められた皇極天皇の御世、癸卯年(みずのとうのとし・六四三年)の春三月、但馬国七美郡(たじま
のくにしづみのこおり・兵庫県美方郡)の山里の、或る家に可愛い嬰児(みどりご)がいた。
  ある日のこと、その子が家人といっしょに中庭に降りて、草の上をハイハイしたり、よちよち歩きしたり、機嫌良く遊び戯れていたとき、家人がちょっと目を離した
ほんの一瞬のすきに、一羽の大鷲(おおわし)が幼女を爪にかけて空へまい上がり、東を指して羽ばたき去った。
  とつぜん鷲に愛児を奪われた両親は、八方手を尽くしてわが子の行方を捜し求めたが、杳(よう)としてその所在は分からずじまいにおわった。
  父母は悲嘆にくれながら、不仕合わせな児のために、ささやかな仏事をいとなみ、心から冥福を祈った。
  こうして八年が過ぎて、難波の長柄の豊前宮(ながらのとよさきのみや)に宇御(あめのしたおさ)められた孝徳天皇の御世、庚戌年(かのえいぬのとし・白雉元年、六五○)秋八月下旬、鷲に愛児をさらわれたあの父親が、たまたま所用のため丹後の国加佐郡(舞鶴湾を臨む土地)あたりまで旅をし、まだ日の高いうちに、とある一軒に宿をとった。
  長い道中でほこりまみれの足をすすごうと、水場は何処かとキョロキョロ見まわしているちょうどその折り、その家の娘とおぼしき童女が、水桶をかかえ出掛けていく姿があった。
  これさいわいと後についてゆくと、湧き水を囲んで数人の子どもがめいめい水を汲んでいた。童女もそのなかに入って水汲みの作業に取りかかると、なぜかそこにいる子どもたちは、素直に童女を迎い入れなかった。
  そればかりか、手荒く童女の小桶を奪い取ると、声をそろえてなにやら一斉に囃したてた。
「やーい、おまえは、鷲(わし)の食い残しの分際のくせに、どうして俺たちの水を汲もうとするのか」と口汚く罵り、水場から追いだしてしまった。
  みんなから寄ってたかっていじめられた童女が泣きながら帰ってくると、その家の主(あるじ)が訊ねた。
  「どうした? 何があった? またいじめられたか?」
  両肘( ひじ)をはって顔を覆(おお)い、ヒクヒクしゃくりあげている童女の傍(そば)から、これまでの光景を逐一見ていたくだんの父親が、その間の事情をつぶさ
に話し、そして、あらためて主に訊ねた。
「ところでこの娘さんは可哀相に村の子どもたちから、鷲の食い残しと口々にあざけられ、邪険にされていましたが、差し支えなかったら、そのわけを話してもらえま
せんか」
  家の主人は昔の記憶をたどりながら、とつとつと話しだした。
「あれはたしか、これこれの年の某月某日のことでした。わしは鳩を捕ろうとして大きな木に登っておりました。
  そのとき突然、嬰児をかい込んだ鷲が、西の空から飛んできたとおもうと、巣で待つ雛の餌として与えるつもりか、いきなり嬰児を巣の上にばさっと落としました。
  鷲の爪牙からやっと解き放たれて人心地がついたか、火がついたように泣きだした嬰児のいきおいに恐れをなしたのでしょう、雛はあとすざりして、親鳥の持ってきたせっかくの餌をついばむどころではありません。
  わしは全身をつっぱらかして泣く子をそっと抱き上げて、木から降ろしてやりました。その嬰児がすなわちこの子であります」
  忘れもしない、愛児を奪われたあの日のことと今の話はぴったり一致する。どう考えてもわが子にちがいない。
  父は嬉し涙に暮れながら、鷲に奪い去られた、その時の顛末(てんまつ)を縷々(るる)語って聞かせると、もちろん宿の主人も否やはない。こころよく童女を実の
親のもとへ返すことを承知したのであった。
  偶然に宿を借りた家に、わが子を見つけた父親のよろこびはいかばかりか ——。
  誠に知る。天の慈悲、父子の深い縁(えにし)の不思議を。これ奇異(めずら)しきことである。

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