この岸から彼の岸に送る殺意とは

昨今の世の中は相当妖しい。昨年は砒素入りカレー事件、今年は母親が喘息の薬を多量に自分の子供に飲ませて殺しかけた。何れも保険金が絡んでいた。人は必ず一度は死ななければならないが、肉親に毒薬を盛られることは誰も考えない。トリカブトという深紫色の兜状の花に含まれる猛毒を盛った事件もあった。最近の関係者は証拠の保全が良く出来ているようで、何と無く怪しい事件などの場合は検体が保全されていて後日に発覚する。なめてはいけない。鈴之僧正さまのお話を要約。田川純照

保険金詐取のために我が子を殺すなんてあんまり

奈良市の中年の女性が引き起こした我が子毒殺未遂容疑はあまりにも常識の埒外(らちがい)にあるもので、人間の持つ悪なるものの恐ろしさを改めて物語っている。

高校一年の少女は「うちは呪われているのだろうか」と友達に漏らすことがあったそうだ。

四年前の春に妹が急性肺水腫で亡くなり、秋に長男が同じような病状で亡くなっている。

今年になって祖父母も頻脈などで入退院を繰り返している。

その原因が喘息の治療に用いられる硫酸サルブタモールと推察されている。過剰に投与されると心臓は激しく鼓動を打ち頻脈となるそうで、不整脈、心停止等の重篤な副作用があるとされる。

このように家族が次から次に病気になれば、呪われているような気持ちになっても仕方ない。

四年間も殺意を持ちつづける そのような憎悪をもてますか

商売の邪魔をされたとか、肉親を殺傷されたとか、並外れた放蕩者で家族に不幸をもたらすとか、暴れ者で誰彼となく喧嘩を売るとか、恨みに思ったり、憎悪するようになったとしても、殺したいと思うことは出来ないと思います。

世の中には苛めも嫌がらせも随分ありますが、殺意を感じたことは無いと思います。

この女の子は母親が見舞いに来て何か飲まされる毎に具合が悪くなる、母親の殺意を感じて医師に相談して、医師が告発して逮捕となったのですが、可哀想なことだと思います。

母親が殺人を重ね、更に殺意を持ち続ける動機として保険金の受け取りがあったことは重大です。

どうして高校一年生に三千万円もの保険をかける必要があったのでしょうか。このような保険の契約に応じた保険屋さんにも倫理的に大きな責任があると思います。

保険契約について分相応の金額に止める法律が出来たら保険金殺人は減ると思います。親が死んだ場合には成人に達するまでの必要な金額、子供の場合は葬儀代まで。成人の場合は最高でローンの金額までとか、子供の教育費までくらいに上限を法定して欲しいと願います。

経営者保険というものがあって支払いも経費になるし、受取人も会社というのがあります。死ぬ気で働いて、生きていればかけ損、万一の時は経営危機に陥らないように担保するものがあります。

観音院では私や住職などがかけていて、今は私は引退した立場だからもうかけていません。

人が死ぬということは掛け替えの無い損失で金銭で埋めることは出来ません。食中毒保険とか施設管理者保険をかけていますが、これは万一の時に補償するもので自動車保険にも入っています。火災保険も地震特約付きです。

しかし、保険金の給付によって利益が生じる性質のものは契約していません。損失を補填する性質とか他人に損害を与えた場合に補填する性質のものだけです。

生命保険は郵便局の簡易保険くらいのもので、これは貯金のようなものでした。

時々、飛行機に搭乗するときに掛け金千円の保険をかけることがありましたが、あれは何だったのかと反省しています。

寺が火災で焼失することを祝融といいます。災難があって、それに住職が対処するために努力して一人前になる。災難というものは人間を傷つけると同時に、育てる働きをもっています。

海外旅行の保険は妙ですね。比較的に低い金額で、年齢不問で医師の診断もなく高額な保険契約が可能です。

フィリピン旅行を利用して保険金詐取がなされたのもよく聞く話で怖いことです。

人の命で保険金を狙って殺人がなされる。火災保険を狙って放火がなされる。保険制度はとても良い制度だとは思いますが、悪用されることも当然計算されて支払い保険金額は算定されていると想像します。怖い制度です。

保険契約は必要最小限に 復興とか遺族の生活のために

高額な保険は受取人の心を迷わせます。子供に高額な保険をかけるようなことは止めましょう。

子供の将来が心配なら自分自身に保険をかけて子供を受取人にしておけばよい。自分自身も多額な保険はかけない方がよい、自殺して家族にお金を残してやりたくなります。会社の債務を保険金で充当したくなる誘惑にかられることになります。

親が死ねば子供は苦労するのが普通のことです。大金をもった子供の多くは不幸になります。

何度も言うようですが、持ちつけぬ大金を手にして幸せになった人を殆ど知りません。

皆さんの周囲にも親から相続した財産を売って高額な金銭を手にした人、何かの補償金をもらった人や慰謝料をもらって幸せになられた例がありますか。

奈良の准看護婦さんの保険金目的の殺人未遂や過去の殺人と思われるような犯罪はどのように考えても理解出来ません。

貯金の残高も数百万円あり、男友達に貢ぐために、次々と我が子を殺し、殺そうとした。このような殺人の動機はオマワリさんにも理解出来なかったでしょう。

あってはならない殺人、理解が出来ないから精神鑑定されることになったのでしょう。

それにしても怖い事件ですが決して参考にしないで下さい。


後輩を傷めて母親を金属バットで殺害 喧嘩の手続きや、相手に与える痛みを知る

岡山の少年の事件も理解が難しい。野球部の後輩から丸坊主に頭刈るよう、強要か苛めか余程の何かがあったらしい。授業が済んだら金属バットで叩き殺してやろうと考えたかどうか、若し実行すれば、母親も犯罪人の親として非難されるから可哀想だ、では母親も金属バットで叩き殺して。

このように考えたかどうか解らないが、とにかく後輩は叩かれたらしい。その後、母親を殺して自転車で北国に向けて旅に出た。

日本にかぎらず、体育系の部活などではしばしば「しごき」がなされていた。

陰湿なしごきも、時には死に至るしごきもあった。死に至る場合も意図されるものではなくて過失と思われるもので、殺意を伴ったしごきは到底考えられなかった。

私たちが日常生活で殺意を感じたり、殺意をもつことがあるだろうか。私は殺虫剤のスプレーを常備していて、殺虫剤を撒くときには蚊や蝿を殺す意志を明確にもっている。居るか居ないか判らないダニを駆除するため定期的に絨毯にダニアースを散布する。これらは正しくは掃除とか清潔を維持する行為で、殺意とか殺生の次元で取り上げることではない。風邪を引いて抗生物質を飲むのは殺生とは絶対に言わない。害虫や悪さをするウィルスを駆除するのは生存をかけた戦いである。

「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」と詠んだ僧侶がいるが、これは少々錯覚がある。

網に掬われた鰯の目が赤いのを見て哀れをもよおした僧侶もいたと聞いたが、出来すぎた話だ。

戦争における攻撃は殺生か 殺意は何処から来るか悲残

子供の喧嘩が取っ組み合いで済むような範囲に訓練されることが望ましい。叩かれたら、どの程度痛いか、叩いてはいけない急所などの教育がなされていない。岡山の少年も取っ組み合いで結果を出して欲しかった。

金属バットがあることが犯罪に結びついた。金属バットと言えば最近台所にあった金属バットで主人を撲殺した主婦がいた。

家庭内に許可を得ても銃刀類は置かない方が良い。しかし台所から包丁類を無くすことは難しいことだ。ゴルフ道具も金鎚も何でも凶器になり得る。自動車も走る棺おけにも他人を殺傷する道具にも簡単に変化する。

戦争は防衛以外は侵略と考えてもよいだろう。武器で相手を殺せば殺生そのものだ。困ったことに殺意の見えない武器が有る。爆弾とか爆雷とか、魚雷、地雷などは誰を誰が殺傷しようとしているのか解らない。核兵器などは使用を命じた人は百回も無期懲役刑に処せられるほどの大量破壊虐殺兵器だが、なかなか無くならない。

私の祖父や弟妹は原爆で死んだが、殺意の所在が見えてこない。第二次大戦が広島と長崎の原爆投下で終わったと言う説明は詭弁であると思っている。

戦争は勝った方が正しくて、負けた方が悪いとされる。負けたからかも知れないが、原爆は一般市民を巻き込んだ大虐殺だと思うが殺生を追及する声は聞かない。

私は広島の寺に居るから戦争とか平和について過敏でもあるし、戦争については殺生の観点から考えることが多いのです。

殺生と殺意の関係はとても重いテーマでこれからも丁寧に考えてみたいと考えています。

常々考えていたことですが、昔はお盆の最中に「お盆くらいは蜻蛉や蝉を殺すな」と親から諭された想い出があります。ところで、夏休みの宿題で昆虫採取がありましたが、蜻蛉や蝉を追い駆け回る子供心に殺意は無かったように思うのです。

川の都ですから、釣りも自然に憶えましたが、釣りをするのに殺生を考えたり、魚に殺意をもつ人がいるでしょうか。

釣りとか、漁・猟などは厳密に殺生では無いと言って上げます。

昔、釣り舟のことを殺生舟と説いた僧侶がいましたが、これは明確な誤りです。

生きているという点では植物も動物も同様です。何百年と生え続けた大木にしめ縄を掛けて神木として尊んだ日本人の心情はとても大切にしたいと思います。大きな木を切り倒すと木の精が祟(たた)って切り倒した人に災いが及ぶと信じて居る人は多いようです。

井戸にもよく似た性質の祟りの存在を説く人があります。おはらいをしないで井戸を埋めたりすると災いが及ぶと信じられています。

家を建てる時にも地鎮祭をされますが、これは地霊があるとすればこれを鎮めるものです。

銀杏(いちょう)は奇妙な植物です。広葉樹のようでありながら葉脈が異なる。枝から根が出て株別れする。雄と雌の木があって花粉が数キロも飛んで、受精するとまるで動物の精子のように動いていて、受粉は妊娠に似ている。丁寧に観察すると自然の営みに畏敬の念を覚えます。

自然界には動物と植物の中間のような存在がいて、自然界の不思議と生命の神秘を感じます。

妊娠中絶は全てが殺生ではない 殺意の継続の結果が殺生です

カトリックは全ての妊娠中絶を殺生として認めません。しばしばアメリカなどでは中絶をする医師が襲われたり焼き討ちにされます。

佛教も同様な見解をもちます。さりとて中絶した女性、それに同意した人を殺生をした人として祟りや障りがあるとするのは極論と考えます。例えば子宮外妊娠、胞状奇胎、切迫流産などは病気と考えるべきです。

出来ちゃった結婚なんて軽く言われることがありますが、これは正しい選択です。中絶して何も無かったように別離に至る。ここら当たりから殺生に該当します。

妊娠して中絶しようか、産もうかと迷う、結局は中絶する。殺意の継続が殺生になります。

医師の立場から考えられても明らかに殺生だと認識される場合があるそうです。看護婦さんも惨いと感じられる場合です。

少子高齢化に伴う中絶は殺生です。子供さんは二人から三人は産むよう心がけて下さい。一人っ子が豊かに育てられて現在の理解出来ない非行があります。

男女間の殺生。その報いは社会構造を変化させ多くの家庭の心痛の原因になっています。

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