お経のなかの説話

ご隠居  譬喩経(ひゆきょう)にこんな説話が出ている。
 昔、仏在世のとき、釈尊十大弟子のひとりの目連(もくれん・神通第一)が、神通力(じんつうりき)に乗じて刀利天(とうりてん)に到ったさいのことだ。
寅さん  刀利天というのは、どこにあるんです?
ご隠居  刀利天(とうりてん)は須弥山(しゅみせん・古代の仏教世界の中心にそびえ立つ山とされた)の頂上にある。
 そこには、阿修羅(あしゅら)を征服した帝釈天(たいしゃくてん)がいて、仏法を護(まも)っているといわれている。
 刀利天に到った目連が、帝釈天の園にはいって、あちこち散策していると、一人の天女と出会った。
 その天女の美しさといったら、尋常のものではなかった。身体全体から光明を発して、目をあけていられぬほどのまばゆさであった。
 目連が、天女に近寄って訊ねた。「貴女は、どういう身分のお人なのか? また、どういうわけで、常の人から超絶して、そのように異常に美しいのか?」
 すると天女はこう答えた。「わたくしの前身は、瓶沙王にお仕えしていた王宮の采女(うねめ・女使用人)でした。
 その広い王宮の中に、仏の精舎(しょうじゃ・お寺)がありました。ある夜のこと、精舎にはいって仏塔のなかを見ますと、真っ暗で何も見えませんので、わたくしはお灯明を燃やして、精舎に明るさをもたらしました。
 そのような因縁によって、この身にいま、とりわけ妙なる光明が宿ることとなったのです」
 仏前に灯明を献ずる功徳(くどく)はまたかくのごとくである、という教えであるな。
天眼(てんげん)を得た秘密
ご隠居  同じく譬喩経に、次のような説話がある。
 昔、仏在世のとき、衆にすぐれた弟子たちが大勢いたが、しかもその優秀さは一様でなく、皆それぞれ個性ゆたかな徳と能力をそなえていた。
 すなわち舎利弗(しゃりほつ)は智慧が第一であったし、大目連は不思議な神通力を有していた。
 そして阿那律(あなりつ)のごときは天眼(てんげん)第一であって、よく三千大千世界(さんぜんだいせんせかい・有情の住む世界、仏の教化される世界)を見るばかりか、微細の世界の奥深くまでも見透せることができたという。
 阿難が、彼のそうした神業ともいうべき能力について、仏に訊ねると、仏はこう言われたという。
 —- 阿那律がどのような因縁によってあの天眼を得ることができたか、というと、 いにしえ過去九十一劫(こう)に毘婆尸仏(びばしぶつ)入涅槃ののち、彼は盗みを働く賊であった。
 ある日、仏塔の中に忍び入って物を盗もうとしたとき、仏前に灯してあった灯明が、まさに消えようとしていた。
 盗賊は、目的である盗みのことを、束の間忘れて、手にしていた鏃(やじり・矢の先端)でもって灯芯を正し、元通りの灯にもどした。そして、あらためて周囲を見回すと、正面に、光明につつまれた仏が厳然と浮かび上がり、こちらを凝視されているのであった。その威光に打たれ、身の竦(すく)むおもいを味わった盗賊は、みずからに言い聞かせて、心に誓った。
 世の大多数の人々は、自分の財物をも、すすんで喜捨(きしゃ)するというのに、己れはどうだ。自分は他人の物をかすめ取ることをなりわいとしている。これまで重ねた己が所業(しょぎょう)の、なんと唾棄(だき)すべきことか、と、しんから心を悔い改めたのだ。
 仏前の灯芯を正した福徳の因縁によって、盗賊であった阿那律はそれより以後、九十一劫を経るほどに、つねに善処に生じて、いま仏に会うことができ、出家修行して阿羅漢果(あらかんか・煩悩を断ち切って、悟りを得、功徳のそなわった仏教修行者の仏位)を得て、天眼(てんげん)、徹視(てつし)すること衆人のうちの第一人者となったのである。
 前非を悔いて、至心に灯を仏前に燃やすところの福徳は、はかりしれないほど大きいのである。
 「仏灯に、愚痴(ぐち・仏教で理非の区別のつかない愚かさ)の闇を除く効能あり、と真俗仏事篇は説き、また羂索経(けんじゃくきょう)十九に、灯の真言を説いていわく、「かくの如きの真言を三遍、灯明を加侍(かじ)して献じて供養すれば、持法(じほう)の者、もろもろの暗障(あんしょう)をのぞく」と。
四人の比丘(びく)
ご隠居  次の説話を見てみよう。
 観仏三昧経にこうある。「昔、過去久遠(くおん)に仏ありて世に出でたまう。号して空王という・・ 入涅槃ののち四人の比丘あり。[比丘は梵語の音訳、仏に帰依し出家して具足戒を受けた男子。女子は比丘尼という。]
 共に同学となりて、仏の正法を習いける。されど煩悩(ぼんのう)の雲は我が心を覆(おお)うて、仏法の宝蔵を堅持することあたわずして、不善の業多かりければ、まさに悪道に堕すべきに、空中に声ありて、比丘に告げていわく、〔空王如来はまた涅槃すといえども、汝が犯す所の罪は他に救う者なからむ。汝等、いま如来の塔に入って、その像を観念し、仏在世の時と等しうして異なりあること無かるべし〕
 比丘は空中の声を聞きおわって塔に入り、像の眉間(みけん)毫相(ごうそう)を観じて即ち念言すらく、〔如来在世の光明色身、これと何ぞ異ならん。仏如来大人の相、願わくは我が罪を除きたまえ〕と。
 この語をなしおわって、大山の崩るるが如く五体投地(ごたいとうち)して、もろもろの罪を懺悔(さんげ)す。
 されば、彼、仏塔に入って、像の毫相を観ずる懺悔の因縁(いんねん)によってのち八十億阿僧祇劫の間、悪道に堕せず、生々常に十方の諸仏にまみえ、諸仏のみもとに於いて、甚深なる念仏三昧を受持(じゅじ)す。
 三昧を得おわって十方仏の為に現前に授記(じゅき)せられ、今、悉(ことごとく)く成仏(じょうぶつ)す。
 東方に国ありて名づけて妙喜という、仏を阿閃(あしゅく)と号す、即ち第一の比丘これなり。
 南方に国ありて名づけて歓喜という、仏を宝相と号す、即ち第二の比丘これなり。
 西方に国ありて名づけて極楽という、仏を無量寿と号す、即ち第三の比丘これなり。
 北方に国あり蓮華荘厳(しょうごん)と名づく、仏を微妙声と号す、即ち第四の比丘これなり。
 この因縁をもって、行者、まさにかくの如く、しばしば仏を観ずべし」と・・。

真仏と仏の像

寅さん  たいへんに結構なお話のようですが、このお経に説かれている意味は?
ご隠居  信者であるわれわれは、み仏をあつく信仰し、お大師さまに帰依(きえ)している。けれども残念なことに、その信仰の対象である仏も、そしてまたお大師さまも、実際にこの目で見るわけにはいかない。
 したがって私たちはやむを得ず仏像とか肖像、仏画などを代わりにあてて拝んだり、お祈りしたりしている。そして、それでなんの不便も違和感も感じたりはしなし、仏の御加護を感じることができる。
 仏を信じる者が仏像に向かえば、真仏とまったく異なることなく、敬虔(けいけん)な気持ちで対することができるし、仏法を信じていれば、たとえそれが紙墨にうつした教典であるにせよ、ありがたくて自然にこうべがさがる。
 この観仏三昧経は、仏像がその内にかくしもつ功徳力のようなものを、四人の比丘の成仏という話にことよせて説かれている。
 では、ここに書かれている話の内容を大雑把に説明する。
 —-はるか昔、空王という仏がおられた。空王、入涅槃されたあとに四人の比丘(出家僧)がいた。
 比丘たちは熱心に仏の教義を学び、修行にいそしんだが、ややもすれば煩悩が雲のように心を覆い、日々のおこないも乱れがちで、いつか修行どころではなくなっていった。そんな時のことであった。
 比丘たちは空王如来の声を聞いたのだ。「今のおまえたちを救える者は誰もいはせぬから、せめて、如来の仏塔にこもり、内に安置してある仏像を観念し、空王如来在世のころと同じ気持ちで精神をまっすぐに正せ」
 声にはげまされて仏塔に入った比丘たちが、仏像と向かい合う。
 その像は、姿かたち、顔の表情まで空王如来とそっくり生き写しであった。四人の比丘はおもわず身体を地に投げうって礼拝し、自堕落だったこれまでの数々の所業を懺悔した。
 それよりのち、つねに諸仏のみもとにおいて、念仏三昧の日々を送るうち、ついには仏の授記(じゅき・仏が弟子の未来の成仏について予言すること)得て、四人はことごとく成仏した。
 一番目の比丘は東方にあって阿閃如来となり、二人目の比丘は南方にあって宝相如来となる。三人目は西方にあって無量寿如来、そして四人目は北方にあって微妙声如来となった。
 この因縁の示すように、仏法修行者たる者は、いつも仏を心に念じ、仏像を礼拝しなければならない、と説いている。
 以上のように生身の仏、または仏像を拝むのも、その功徳においてすこしも異なるところはない。
 四人の比丘のように、空王の仏像を拝んで懺悔したごとく、在家のわれわれが、日頃より信仰する仏像を大切に拝んだとしても、そのご利益(りやく)にかわりがあろうはずはないだろう。
 仏法は釈尊によって始まったけれども、釈尊の仏眼(ぶつげん)を借りて仏法をよく観察すれば、過去久遠の昔よりずっと世にあって、仏法の徳化もご利益も、先仏と今仏とすこしも異なることなく、仏法は三世(過去・現在・未来)に通ずる教えである、と観仏三昧経は私たちに説いている。
絵による発心(ほっしん)
ご隠居  迦葉経(かしょうきょう)に、「昔、過去久遠(くおん)阿僧祇劫(あそうぎこう)に仏ありて出家したまふ、号して光明と曰(い)ふ—-」という書き出しで、次のような説話が載せてある。以下要約して紹介してみよう。
 ・・光明仏が入涅槃ののち、ひとりの菩薩がいた。名前を大精進といった。そのとき精進は十六歳。
 彼はバラモン種(古代インドの四姓の一つで最高位の階層)の出であり、たぐいなき端正な少年であった。
 あるとき、画の上手なひとりの比丘が、白い布の上に仏の像を描いて、精進に進呈した。
 布に描かれたその仏の姿を見た精進は、心の打ちふるえるような大きな感動をおぼえた。「この如来像のすぐれた出来ばえはどうだ。いわんや、この仏身のお姿の崇高さはなんと表現すればよいであろう。
 ねがわくは私も未来において、かくのごとき妙身を成就(じょうじゅ)したいものだ」 しかし、と精進は思念する。「もし、私がこれまでのように家にあって、これまでのように同じ生きかたをしつづけるならば、この身に仏身を得ることなど、とてもできはしない」と心に決めて、父母のゆるしを乞い、出家することを申し出た。
 父母がいう。「われわれは年老いたうえ、お前は一人っ子だから、ほかに子もいない。もしお前が出家すれば、私たち二人は残りの生涯を寂しくおくることになる。どうか考えなおしておくれ」
 けれども決心した精進は、父母の繰り言に耳をかさない。「もし、私の出家を許していただけぬなら、今日より以後、いっさい食べもせず飲みもせず、寝床にも入らず、口をきくこともいたしません」と、決心のほどを両親に告げたのち、実際にそれから六日間、食を絶ってしまった。
 父母をはじめ精進の多くの友人そして八万四千の采女(さいじょ・宮中に奉仕する女性)たちは、みな、嘆き悲しんだが、とうとう精進は初志をつらぬいて出家した。
 ここで初めて分かるのであるが精進は、実は王子であって、彼の父母は、したがって国王とその后(きさき)であった。
 出家した精進は、くだんの仏の画像を奉じて山中に入り、草を刈って座とし、画像の前に結跏趺坐(けっかふざ・如来の座り方。左右の足を互いに反対のももの上に組むこと)して、一心に諦観(たいかん)する。「この画像は如来に異ならず。また、この如来の像は、覚に非ず、知に非ず、一切の諸法もまた是の如し」と、観をなし終え、日夜を経たのち五通を成就する。
 清浄(しょうじょう)の天眼をもって東方阿僧祇(あそうぎ)の仏を見、清浄の天耳をもって仏の所説を聴いてすべてを理解し、智をもって食に代え、一切の諸天を散華(さんげ)供養する。
 こうして山を下りた精進は、村里の人々のために説法する。
 二万の衆生は菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)し、無量阿僧祇の人は声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)の功徳に住(じゅう)し、彼の父母や親族の者は、みな無上道に住した。
 そして彼は迦葉にいった。「昔、精進と呼ばれていたのが、今のこの私です。白い布に描かれた像を観ずることによって、成仏することがかないました。もし、どなたか、私のなした「観」をおこなうならば、かならず未来において無上道を成就(じょうじゅ)するでありましょう」
 絵に描かれたほとけさまであっても、生身の如来とすこしもかわらぬ功徳がある、というたいへん為になる説話だな。

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