お盆の先祖供養を考える

関西では八月がお盆である。電気の五十サイクルと六十サイクル
と同じことで深い意味は無い。
 お盆の棚経は、僧侶の地獄で、一日に四十軒から八十軒くらいも
お経の宅配をしなければならない。

 昔の村の規模で隣家から隣家へ読経していた時代は良かったが、
檀家が転居・散逸して広範囲となり、僧侶が車を運転して渋滞でも
巻き込まれようものなら、予定は滅茶苦茶になる。
 駐車場の無い家では違反切符を切られて点数が無くなる。
 夏の甲子園も僧侶の抵抗勢力で少々声を張り上げても高校野球の
放送には勝てない。檀家の子弟が選手で出場でもしていようものな
らば一試合は読経を中断して一緒に応援する方が好かれる。

 お盆の最中に檀家が亡くなられると、ぎっちり詰まった予定に、
枕経、通夜、告別式と押し込んで大変なことになる。
 最近は時間の予約を望まれる方が多いが、棚経の時間予約などは
全く意味が無く約束は守れない。

 八代将軍徳川吉宗公が僧侶を檀家を回り怪しき物あれば届出よと
キリシタン禁制の犬にしたとか。
 檀家制度は寺院存続の基盤となり、仏教は世襲制度になった。
 新幹線の窓から見える大きな屋根は大半が寺院で、周囲にその寺
院を支えた集落がある。
 檀家制度は崩壊し、過疎の寺院は失われつつある。中間山地には
荒れ果てた墓地も多く見られる。  

 棚経は檀信徒合同で、寺院本堂で営まれる例が見られる。観音院
はその代表的な存在で、信徒数は十万戸を超え、運営と経理は公開
になっている。
 家の宗教から個人の宗教へと移り変わり、棚経も読経から経典の
勉強へと大きく変化して寺院や僧侶の在り方も変わる。

棚経は住職は行かないもの
旦那寺の小僧として棚経(たなぎょう)を読み歩く、と広辞苑に
載っているが、最近の小僧は棚経に行かない。若い者に苦労させ
ると僧侶にならぬと言い出しかねない。
盆過ぎに、声を潰すのは普通、過労で倒れる僧侶も少なくない。
本来の盂蘭盆は、仏法僧に供養することなのだが。

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