いたわり、慈しみ、思い遣り、相手の立場で考える事が鍵

十善戒は「不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見」の十戒を守ることだけど、私は禁酒禁煙を付け加えたい。それ程に難しい事では無い。あれしてはならない、これしてもいけない、あれしては不可と考えるから話がややこしくなる。自分から積極的に行動すれば夢多く、悩み少なく、この世はバラ色になります。不殺生は人を殺すな殺したら大変なことになる。これは人を活かす事に他ならないです。親が安心して暮らせるように孝養を尽くす。子供を大切に育てる、配偶者を大切にする。それが子供に面倒は見て要らない、子供は我儘放題、配偶者は飲んだくれで働かない。これでは一家離散、子供がリストカットする。配偶者はサラ金に行く、地獄だね。どうすればこの地獄から浮かびあがるか考えてみましょう。
観自在編集部

高齢者ホームへ這入る
家族から離れて施設に入る
 自分で苦労して家を立て、借金を払い、漸くヤヤコシイ事から解放される。今から人生を楽しもうと言う時に身体にガタが来ている。

 大分長生きする人達が増えて来ましたが、良く聞いてみると、膝や足が痛かったりして、長年の疲れが身に降りかかっています。

 私も心臓に二か所、下腿動脈に一か所ステントを入れてます。三階まで歩くのは平気ですが、四階では少し動悸がします。

 血がさらさらする薬を飲んでいますので、時々何もしてないのに内出血をして痛々しいようですが、実は痛くも何もありません。

 怪我せぬように細心の注意を払っています。小さな傷でも出血が中々止まりません。

 ですから刃物を使う仕事やネジ回しは一切止めました。電動工具なんてとんでもありません。

 それでも運転は出来ますから、買い物くらいは出掛けます。

 若い人に心配させない、若い人の幸いを願う、これは思ったより大変な事のように思われます。

 施設に這入って完全に若い人の前から姿を消しても良いのですが、それは僧侶の場合は無理です。拝むと言う事はむしろ達者になっている事が多いのです。

 その様な訳で、鈴之僧正と言うブランドは住職に譲りました。私は現在は融通無碍( ユウズウムゲ )と言う名を使用してます。自由自在とでも言ったら分かってもらえるだろうか。

 昨年は職員の一人が金庫の鍵を無くして自己を正当化するために罵詈雑言の限りを尽くし、私の不徳のせいだと深くお詫び申し上げます。

 又、地震の当日に観自在の編集人が仕事を投げ出して辞めると申し大変に混乱しました。幸い後任の編集発行人も早期に決定し、平常に戻って居りますのでご安心下さい。

 福島原発事故は当初、各国の支援隊も這入り第二次大戦後は毛嫌いされていた日本が各国との良好なる関係を示していましたが、風向き次第では広島でも汚染物質を検出する有様で、日本は海洋汚染国家として世界中から非難されようとしています。

 一号炉の廃炉を政府と東電が何とか使い続けようとし、国民に情報を隠した決定が遺憾な事態となりました。

 日本の置かれた被災地の復興、海洋汚染国家としての賠償は日本を大変な混乱に落としめ、日本国家の将来は暗澹たるものが有ります。

 このような時に日本は団結し、元気を取り戻し早期な解決を取り戻さなければ成りません。

 どうか取り乱さないで、勤勉、誠実、質素、艱難辛苦は日本の将来に輝きをもたらすでありましょう。

 日本の原発はメルトダウンを起こした。そのメルトダウンは空気に暴露したオープンエアメルトダウンで深刻な状態が続いています。汚染物質の放出が深刻なのです。

 今回の被災は地震、津波、原発の大惨事、続く大きな余震、被災の重複、こんな大きな災難は第二次大戦の敗戦を上回るものです。しかも世界中に大迷惑を掛けました。

 天変地異は同情されますが、人災は賠償を伴う政府、東電、日本国民の誠実さを証明するものでなくてはならない事です。

 保安院も従来の安全基準が十分で無かった事を認めています。安全基準が十分で無い物を運用して他国に迷惑を掛けそうな事態なのです。

 房総沖で地震は止まりましたが、これが関東、東海、九州まで連続した大震災である可能性もあったのです。

 日本経済は収縮し、苦難はこれからが本番です。万一、沈みこんだら日本の将来は有りません。

 日本国民が団結し、困難に対する模範を示すべき時です。

 団結しましょう。頑張りましょう、元気を出しましょう。人間一度は死にます。

 死ぬ気になって頑張れば浮かぶ瀬も有りましょう。背水の陣を引いて頑張らないと、本当に日本国民は海に堕ちて死にます。

 この際民主党政権は総辞職して、救国復興政権を組織すべきです。日本立て直しは政権の道具にしてはなりません。国民に愛想を尽かされている人達に何ができるでしょうか。何も出来ません。強烈なリーダーシップが必用な時に延命休戦する民主党の女々しい態度が国難を回復不可能なまでに消耗するだけです。

 国会議員や大臣の報酬を下げて、如何にも頑張っているような振りをする人達は浅ましい限りです。

 最後にこの震災で孤児となった子供達の将来を憂っています。

日本列島はユーラシアプレートと北米プレートとの二つのプレートから成り立っています。佐渡から伊豆半島の西位まではユーラシアプレート、富士山から北海道にかけては北米プレートです。伊豆半島から南はフィリピンプレート。静岡から和歌山沖、南海トラフ四国沖、九州沖をかすめて日本の下に潜り込むフィリピン海の海洋プレートが沈み込み帯と呼ばれています。なんて話してますが、宇宙と同じように地球の内部も未だ分からないことが多いのです。

 宮城県沖、福島県沖、茨城県沖と北米プレートが日本列島の下に潜り込んで幅二百キロ長さ五百キロでキシミました。フィリピンプレートがチョキッと折れて、東海、東南海、南海沖まで連鎖しなかったと言う説もあります。連鎖する可能性もあったそうで、若しそうなれば日本全体が東北五県を含んで同じようになったと言われます。

 今般の東日本大震災は史上最大だったそうですが、東日本大震災だったら世界史に残るような大惨事として記録されるかも知れません。

 津波の跡は正直言って原爆が広島に落された時と良く似て居ます。広島の場合は何にも無い。津波後は大きなゴミが一面を覆って居て、道路の上に巨大な船が鎮座していたり、ビルの上に自動車が乗って居たり、大地が海面の下になったりしていて、行方不明者や亡くなられた方が二万七千人を超えました。

 実は私も原爆被災者で五歳年下の弟が行方不明で、見つかった夢や、帰って来て喜ぶ夢や様々に約二十年は忘れる事が出来ませんでした。

 焼け跡へ六畳一間の家を焼け残ったトタンで建てて、床は周囲より少し高い土間でした。戦前は何故か沢山ありました。草木は七十年も生えないと言われましたが、折れた銀杏の根元から銀杏の葉が芽生えた時の喜びは今も忘れられません。

 物凄い艱難辛苦で有りました。父は腰を痛め、母は大火傷で呻吟していました。呻吟はシンギンと読みます、病床に苦しみ呻くことです。弟は西女学校と言う仮校舎で被爆しましたが、此処で学んでいた子供は全滅でした。

 焼け跡のバラックには此処の仮校舎の父兄たちが良く訪ねて来ました。

 皆さん子供が行方不明になられた方でした。何処かであなたの子供さんに似たような子供を見たと言われてです。

 この時は切なかったです。食べる物なんて何も無い。電気も無い。ガスも無い。鍋釜も焼け爛れている。その内に親族などから頂いて一通りは揃いました。バラックは六畳と台所を建て増しして、しかし勉強机なんて蜜柑箱を重て使ってました。翌春に南瓜の種をを撒いて、これが滅茶苦茶に育って、三食南瓜を食べるような事になりました。醤油は無い、塩も無い。海水を持ち帰り煮詰めて塩を作りました。

 時計が無いのは辛かったです。中学校は二十キロ位離れた廿日市と言う校舎に通って居たのですが、往復歩きです。夜中の十二時ころに朝と勘違いして、学校についても中々夜が明けない。

 ですからと言う訳では有りませんが被災者のお気持ちは涙が滲みでるように理解できます。

 この頃には鉱石ラジオと言う物を作成して澄んだ放送を聞いてました。

 ところで、ある日からバラックの家の壁がNHKの放送を鳴らすような不思議な現象を起こしました。

 水道は被災当時から出てました。病気や傷の手入れには水は不可欠です。

 今はテレビがニュースを受信する情報の元です。一日も早く、水道、ガス、電気にテレビを被災者に上げたいものです。時計も上げたいです。

 知り合いの被災者に腕時計を送ってとても喜ばれました。復興の過程が人を育てます。艱難辛苦は日本人をキラキラ光る玉のように磨き上げます。

 ご一緒に頑張りましょう。亡くなられた方の御冥福を祈り毎日午前十時、正午十二時、午後二時とこの観音院の続く限りご供養申し上げます。

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